マンガは世界に何ができるか?
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京都国際マンガミュージアムで「世界のコミックス作家がみた3.11~マグニチュードゼロ~」展が2012年3月から開催(5月6日まで)、同月に日本で発売されたイラスト集「マグニチュードゼロ」(マインドクリエーターズ合同会社/朝日新聞出版)所収の約120点が出品された。
「マグニチュードゼロ」展が開幕した3月3日には、フランスのコミックス(バンド・デシネ(※1))原作者ジャン=ダヴィッド・モルヴァン氏と漫画家・しりあがり寿氏が会場に招かれ、「マンガがこの世界にできること」と題したトーク・イベントが催された。東日本大震災以降のマンガ界の動きをたどり、「娯楽」と受け取られがちのマンガに関わる人々が、どのように未曾有の大災害と向き合い、社会に果たす役割を意識してきたかを追ってみよう。
フランス発の呼びかけで世界から応援メッセージ
大震災は、人間一人ひとりの力は小さく弱いが、それを結集させれば大きな力となる、という連帯の尊さと強さを改めて日本人に実感させる契機となった。その連帯は、国民同士だけでなく、世界中から寄せられた支援や激励によって、国を超えた広がりを持つことを思い知らせてくれた。
「マグニチュードゼロ」はこうした思いの結実のひとつといえる。その出版や展示のきっかけになったのは、震災から半年後の2011年9月にフランスで発売された震災復興支援イラスト集「マグニチュード9」だ。
今回の「マグニチュードゼロ」は、海外のイラストレーターが「マグニチュード9」に寄せた作品と、日本のイラストレーターが新たに描き下ろした作品で構成されている。「マグニチュード9」に参画した世界各国のクリエーターの気持ちへの感謝とともに、それを引き継いで「もう一度ゼロから立ち上がろう」という日本の思いが込められている。
「マグニチュード9」を企画したモルヴァン氏は、3月11日の大地震当日、東京・吉祥寺にいた。激しい揺れを体験し、テレビで見た津波の壮絶な映像に大きなショックを受けた。すぐさま「自分に何ができるか」を考え、同じく東京にいた同業者のシルヴァン・リュンベール氏や、フランスを拠点とするイラスト専門のコミュニティサイト「カフェサレ」と連絡をとり、被災者支援のイラストをブログ上で募るプロジェクトを立ち上げた。呼びかけに応じて世界各国から集まったイラストは3週間で2700点に達した。そこから250点を選んでまとめたものが「マグニチュード9」として出版された。
モルヴァン氏は「世界のイラストレーターは皆、日本のマンガに影響を受けているし、日本が大好きなのです」と反響の大きさを説明した。「マンガやイラストは映画に比べてはるかに安く早くできる。それは大きな力です」と言うように、素早い行動のおかげで、世界から励ましのメッセージがタイムリーに日本に届けられた。
海外のクリエーターたちは未曾有の災害をどのように表現したのだろうか。ブログに寄せられた作品には、血の涙を流す女性の絵など、日本ではショッキングすぎると受け取られそうなイメージも少なくなかった。このあたりは、日本人と異なるセンス、表現の自由度の高さゆえとも言えるし、実際に被害を受けた日本との越えがたい“距離”があったのも確かだろう。
そのため掲載作品の選定には、モルヴァン氏も気を配った。「私たちなりの配慮をもってプロジェクトを進めたつもりです。特に原発については触れないようにしました。フランスでも原発は大きな問題だけに、関心がそちらに集中してしまう恐れがあった。被災者に気持ちを伝えるという趣旨を守りたかったのです」。原発事故に対して過熱し、センセーショナルに報道しがちだった海外メディアの動きとは対極の思いやりが感じられた。
震災後すぐに動いた日本のマンガ界
これに対して日本のマンガ界はどうだったか。リアクションは極めてダイレクトだった。京都国際マンガミュージアムの伊藤遊(ゆう)研究員によると、マンガ家、出版社、書店が震災の直後からアクティブに動いた。
震災の翌日から動き出したのは、『スラムダンク』や『バガボンド』で知られる井上雄彦(たけひこ)氏。人々の笑顔をテーマに描いた「smile」という連作イラストを立て続けにTwitterにアップした。
三宅乱丈(らんじょう)氏が音頭をとり著名マンガ家が参加する「地震のバカヤロー!!作戦」という企画が生まれたのも震災の翌日だった。未曾有の大惨事を前に「娯楽に携わる者の無力さ」を痛感しながら「それでもマンガでできることをする」との決意で被災者を励ますイラスト・メッセージを次々に発した。
出版社も地震や原発事故に対する人々の関心に敏感に反応した。
巨大地震を生き延びた少年を描いた1970年代のマンガ『サバイバル』(さいとう・たかを作、リイド社)が復刊されコンビニ店頭に並んだのは、震災から2カ月も経たないころだった。売上金の一部が復興支援の義援金として寄付された。
チェルノブイリ原発事故後の1988年に山岸涼子氏が原発の是非について問いかけた『パエトーン』(潮出版)という作品も、福島原発事故から2週間をおかずにウェブ上で無料公開され、多くの人々に読まれた。(パエトーンを読む)
「地震のバカヤロー!!作戦」に参加したしりあがり寿氏は、「(山岸涼子のような例外を除き)これまでマンガ家はあまり社会的な発言をしてこなかった。9.11でもマンガはほとんど動かなかった。でも今回は、放射能問題もあり、身近に感じざるを得なかった。Twitterやブログのおかげで、マンガ家が出版社を通さずに個々の表現ができるようになったのも大きな変化」とリアクションの速さを振り返った。
「あの日」からマンガはどうなるか
しりあがり氏は、2002年4月から朝日新聞夕刊に連載している4コママンガ『地球防衛家のヒトビト』で、震災直後から日本が直面している状況を描き続けた。「以前から日々の実感を描くという姿勢だったので、震災を無視しては通れなかった。ただ、原子力が安全と言えば怒られ、危ないと言えば怒られる中で、いろいろな立場の人々がいることには注意しました。また何かを笑うと必ず笑われる側が発生する。誰かを笑って傷つけることはしたくないので、主人公が笑われるという形を取るようにした」という。
しりあがり氏が震災以降に描いたマンガは、単行本『あの日からのマンガ』(エンターブレイン)にまとめられ、2011年7月に発売された。この中に所収の「海辺の村」は、月刊誌コミックビームに掲載された作品。震災直後というタイミング(掲載号は2011年4月12日発売)で、大地震から50年後にエネルギーシフトをして豊かさを捨てた人々の世界を描き、大きな反響を呼んだ。
「マンガ家ができることは何だろうと考えたとき、原発事故の影響を説明する科学者たちの仕事が頭に浮かんだ。科学者はさまざまな数値を出すけれど、その数字を受け入れる人、拒否する人、何とも思わない人がいる。いろいろな人が集まってつくられる時代の空気というものがある。僕はそれを描きたかった。そういう数字の先をマンガは描かなくてはいけない気がする。今はいやなことばかりでも50年先を考えたら希望が見えるのではないか。そんな思いで『海辺の村』を描きました」。
数字の先へ、科学の向こうへ——。
政治が現状の課題に取り組み、ジャーナリズムが問題提起を行ない、科学が状況を分析して解決策を探るとすれば、マンガにはそれらにできないことをやってのける力がある。被災者に思いやりを伝え、たとえ空想的だとしても未来への希望を描き出すことだ。
マンガは、不安や怒りや悲しみであふれた日々に、小さな笑いや楽しみをもたらした。原発・放射能という難題について考えさせた。そして、言葉を超えて世界の人々の気持ちを結び合わせてくれた。「マンガがこの世界にできること」はこれからも広がっていく。
取材・文=矢田 明美子
撮影=伊藤 信
協力=京都国際マンガミュージアム
イラスト画像提供=マインドクリエーターズ合同会社/在日フランス大使館
(※1) ^ バンド・デシネ(bande dessinée)はフランス語で広義の漫画を表す言葉だが、同時にフランスやベルギーで発展した漫画の一ジャンルを指し、アメリカの「コミック」、日本の「マンガ」と区別するときにもこう呼ぶ。その場合特に、頭文字をとって「BD(ベデ)」と呼ばれることが多い。フルカラーの大判アルバムが主流。