「美味しい」は「楽しい」

雪が降るごとに美味しくなる冬の味覚の王者ブリ

ブリは世界で日本近海にしかいない魚だ。天然物の寒ブリは冬の味覚の代表だが、最近は夏や秋が旬の養殖ブリも登場してきている。その文化的な背景をひも解きながら、ブリの魅力を紹介する。

産卵場と餌場を巡る大型回遊魚

日本各地で「モジャコ」(藻雑魚)と呼ばれるブリの稚魚は東シナ海や北九州沿岸で生まれ、産卵場と餌場・北海道との間を北上と南下を繰り返しながら成長する温帯性の魚。体は美しい紡錘(ぼうすい)形で、背は青色、腹は銀白色、目から尾にかけて黄色い帯が走る。4年から5年かけて80センチ以上に育つ大型肉食魚だ。

日本海で北上と南下を繰り返しながら、4~5年で80センチメートル以上のブリに育つ

今でこそブリ漁と言えば北陸をはじめとする日本海に集中しているが、第2次世界大戦前までは、神奈川県小田原市(相模灘)や三重県尾鷲市(熊野灘)など太平洋沿岸の漁港がブリ漁のメッカだった。ところが、戦時統制で飼料の入手難から中断していたハマチ(ブリの若魚)養殖が再開され、モジャコが乱獲された結果、稚魚が小田原近海まで来なくなってしまった。

ブリは成長が早く、1年で30センチメートル、2年で50センチメートル、3年で60センチメートル、4~5年たつと70~80センチメートルに育つ。3年目くらいから大回遊が始まり、エサと快適な水温(16~17度)を求めて夏から秋にかけて日本列島近海を北上し、冬から春にかけて産卵に備えて南下する。「世界で日本近海にしかいない魚」(※1)でもある。同じブリ属に属するカンパチ、ヒラマサを含めてブリ御三家と呼ばれる。

成長に応じて呼び名を変える「出世魚」

成長につれて名前も変わる。戦国時代から江戸期にかけて武士や学者などは大人になった証しに元服(成人式)を祝い、名前を幼名から改名する習慣があった。吉法師(きっぽうし)は織田信長、竹千代は徳川家康に改められた。大きくなるにつれて呼び名の変わる魚は、縁起の良い魚として扱われ、門出を祝う席でよく使われた。関東では「ワカシ」→「イナダ」→「ワラサ」→「ブリ」と改名し、関西では「ツバス」→「ハマチ」→「メジロ」→「ブリ」と出世した。80センチメートル以上の成魚になると、どこも「ブリ」と呼ぶ。西日本では50センチメートル以下の「ハマチ」は養殖ブリの別称だ。名前が変わるのも日本だけの習慣で、海外では英語もYellowtailで統一されている。

冬季には寒ブリとも呼ばれ、雪が降るたびにおいしくなるとも言われる。とりわけ厳寒の日本海産の天然物は美味だ。400年以上の歴史があるといわれる富山湾の定置網で漁獲し、氷見(ひみ)漁港魚市場で競られた「ひみ寒ぶり」はブランドでもある。

氷見漁港に水揚げされたブリ(写真提供:氷見市観光協会)

「ひみ寒ぶり」とは、氷見魚ブランド対策協議会が認めた期間内に富山湾の定置網で捕獲され、氷見漁港で競りにかけられた7キログラム以上のブリのこと(写真提供:氷見市観光協会)

1916(大正5)年の新聞には「空に雷、太鼓をたたきゃ、山はあられに海はぶり」と歌われて、氷見では1日5万本の水揚げがあったことを新聞が伝えている(※2)。冬の雷が寝ていたブリを起こすという言い伝えだ。初冬の富山湾の荒れ模様のことを「ブリ起こし」が来たと言った。北海道から南下してきたブリが「ブリ起こし」を避け、天然の生け簀(す)である富山湾の定置網に逃げ込んでくるからだ。身が引き締まって、脂も乗って味は折り紙付きだ。

西日本に残るブリにちなんだ伝統行事

正月を迎えるたびに年齢を重ねることを「数え年」と呼ぶ。食膳に「年取り魚」(としとりざかな)を供え、家族で新年を祝った。西日本では「ブリ」、東日本は「サケ」が多かった。今もこの傾向が根強く続いている。

両者を分割しているのは大断層「糸魚川-静岡構造線」。日本列島を南北に横切る大断層が境になって、北(東)をサケ文化圏、南(西)をブリ文化圏と指摘する学者もいる。ブリが多く取れる富山県はブリ文化圏に属し、昔は保存用に塩蔵したものを「塩ブリ」として遠く飛騨(高山)や信州(松本)まで運んでいた。この輸送路を「ブリ街道」と呼んだ。

ブリをお歳暮に贈る習慣も残っている。現在でも富山県や石川県では海岸部の地域を中心に、結婚した年の暮れに、娘婿の出世や娘の嫁ぶりが良くなることを願って嫁ぎ先にブリを贈る習慣が伝えられる。一方、福岡県では嫁ぎ先から嫁の実家に「嫁御鰤」(よめごぶり)を贈り返す習慣も残っているという。

加茂神社(富山県射水市、いみずし)では、元旦に神饌(しんせん、神様の食べ物)として備えた塩ブリを氏子が切り身にして持って帰って食べる「鰤(ぶり)分け神事」が行われている。神様と同じ物を食べることで無病息災を祈る新年の祝いだ。同神社周辺が古く下鴨神社(京都市)の領地だったことの名残と考えられている。

ブリにちなんだ行事は珍しくなく、佐賀市松原の佐嘉(さが)神社や三重県尾鷲市、新潟県上越市でもブリ大量祈願の「鰤祭」が行われている。

焼いては「照り焼き」、煮ては「ブリ大根」と数々の定番料理

ブリはさまざまな調理方法がある食材だ。刺し身や寿司(すし)ネタのほか、照り焼きや塩焼き、ブリ大根は定番料理だ。脂の乗った寒ブリの刺し身のうまさも定評があるが、さっと湯にくぐらせて余分な脂を落とし、ポン酢などでさっぱり食べる「ブリしゃぶ」も人気メニュー。冷しゃぶにすれば、夏でもおいしい。

ブリ大根

イナダやワラサはブリに比べて脂が少なく、癖のないあっさりとした味わいなのが魅力的だ。生のまま薄切りにした牛肉や魚肉にオリーブ油やスパイスなどで和えたカルパッチョや肉、魚、野菜をバターなどで炒め焼きにしたソテーなど、イタリア料理やフランス料理の食材としても利用される。

ブリは体内では合成できない必須脂肪酸を含むドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)が豊富で、油脂に溶ける脂溶性ビタミンEも多い。中性脂肪や悪玉コレステロール(LDL)を減らして、動脈硬化や高血圧の予防も期待できる。糖分やコレステロールの代謝を促進し、疲労回復に効果があるビタミンB群、カルシウムの吸収を促進するビタミンD、貧血を予防する鉄分が多く、血合いには肝機能の改善にすぐれた効果のあるタウリンも多く含む。

寒ブリの刺し身

養殖で「夏ブリ」や「秋ブリ」も登場

日本では養殖物の占める割合が増えつつあるが、ブリは最も多く養殖物が60%近くを占めている。日本のハマチ養殖は1928(昭和3)年に世界で初めて事業化に成功し、一時中断しながらも西日本各地で脈々と受け継がれている。その後も国立研究開発法人「水産研究・教育機構西海区水産研究所」(長崎市)が本来3~5月のブリ産卵時期を前年の9~11月に早めることに成功するなど養殖漁業は日本が確立した重要な技術だ。

日本水産100%出資の黒瀬水産(鹿児島県串間市)は、天然稚魚ではなく優れた個体から人工採卵し、ふ化させる養殖技術を生み出した。ブリの産卵の時期を半年間前倒しすることによって、夏場でも脂の乗った「若ぶり」を09年6月から出荷し始めた。長崎県五島列島の橋口水産と宝生水産は養魚用肥料メーカー、アプロジャパン(大阪市)の協力を得て9~11月に出荷する「極上秋ブリ」の出荷を2016年から開始した。

秋に出荷される「極上秋ブリ」の水揚げ(写真提供:橋口水産)

五輪に向けて「国魚」にする動きも

消費人口が一番多い東京はサケ文化圏に属し、都民が食べるのは圧倒的にサケのほうが多い。2016年の秋サケは記録的な不漁だったが、その不足分は輸入(23万トン)で補われた。これに対し、ブリの養殖生産量は約14万トン(天然物10万5000トン)と増えたが、輸入されるサケにはかなわない。ただ、需要次第で供給をもっと伸ばせる余地はある。“国産魚”ブリの需要をどれだけ拡大できるかがブリの将来を握っていると言ってもいいだろう。

20年夏の東京五輪・パラリンピック大会はチャンスである。ブリが「世界で日本近海にしかいない魚」なら、ブリを国魚に制定することで、外国人観光客に訪日時にブリを賞味してもらい、帰国後は和食の伝道師になってもらう。この活動も既に始まっている。

取材・文=長澤 孝昭
イラスト=井塚 剛

バナー写真=寒ブリの刺し身

(※1) ^ 中坊徹次京都大学名誉教授編・監修『小学館のWEB図鑑Z』

(※2) ^ 伝承写真館『日本の食文化』6 北陸、農山漁村文化協会編

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