海外コミックの祭典

エマニュエル・ルパージュ 内面を見つめる旅人

文化

2012年文化庁メディア芸術祭マンガ部門の優秀賞を受賞したフランスのバンド・デシネ作家、エマニュエル・ルパージュ。2012年11月の初来日では、巨匠・大友克洋と語り合い、福島を訪れ、多くのファンと触れ合った。

エマニュエル・ルパージュ Emmanuel Lepage

1966年フランス・ブルターニュ生まれ。1986年、『ケルヴィンの冒険』で本格デビュー。以来、20作を超える作品を手掛ける。1991年から1998年にかけて発表した5巻のシリーズ『ネヴェ』(原作ディエテル)、1999年の『悪なき大地』(アンヌ・シブラン原作、邦訳は飛鳥新社刊ユーロマンガ8号に収録)で評価される。『ムチャチョ』(邦訳はユーロマンガから刊行)が日本の文化庁メディア芸術祭マンガ部門の優秀作品(2012年)に。最新作は『チェルノブイリの春』(2012年、邦訳未刊)。

憧れの大友克洋と語り合えた喜び

「これが日本人の働き方なのか知らないけど…、今日は1分たりとも遊ばせてもらえないね!」

ゲストとして招かれた海外マンガフェスタ(2012年11月18日、東京ビッグサイト)当日、トークショーやサイン会の合間をぬってインタビューに応じてくれたエマニュエル・ルパージュさんは、フランス人が困ったときによくする「プフーッ」というため息をついた。それでも目元には優しい笑みを絶やさず、スタッフが運んできた赤ワインのグラスをかかげて、「サントリー・タイム!」(東京を舞台にした米映画『ロスト・イン・トランスレーション』の主人公のセリフ)とおどけてみせた。インタビューはこんな風に、休憩中の雑談のようにリラックスした雰囲気で始まった。

「とても濃い1日だね。残念ながら会場を見て回る時間がないよ。でもランチは大友克洋さんといっしょだったんだ! そりゃ感激するよ。昔からの読者だからね。フランスでちゃんと翻訳されて出版された最初の日本マンガが『AKIRA』だった。いまはフランスで大量のマンガが出回っているけど、まさに第一号。その作者を前にしていると、若かった当時の自分に戻るような気持ちだったね。それからだんだんと、同業者としての会話になっていった。物語の展開とか、絵を描く技法とか…。崇拝する相手と、対等に仕事の話ができるなんて感動だよね」

福島で感じた恐怖と怒り

——滞在中、忙しい日程にもかかわらず福島に行かれたそうですね。

「日本に来てから急に決まったんだ。新聞記者に同行して、飯館村など避難区域をパトロール用の車で見て回れることになった。前日まで講演などで忙しかったから、心の準備をする時間がなかった。だから、福島に着いて車に乗り込んで、ようやく自分がどんな場所にいるか実感したんだ。それは線量計を見た瞬間だった。4年半前にチェルノブイリで感じたのと同じ恐怖がよみがえってきた。あのときとそっくりの感情だった。でもひとつだけ違ったことがある。恐怖のすぐ後に怒りが込み上げてきたことだ。人類はチェルノブイリから何も学ばなかったに等しいじゃないか、という激しい怒りだった」

『チェルノブイリの春』より Un printemps à Tchernobyl ©Futuropolis

——2008年、チェルノブイリ周辺の村に3週間滞在し、その体験を綴った『チェルノブイリの春』が昨年フランスから出版されました。

「ある市民団体から依頼されて、滞在記をスケッチの形で出版し、その利益で被ばくした子どもたちをフランスに招くという企画だった。そのスケッチ集は出たけど、僕の感じたことが反映されていないのが不満だった。僕はこれをバンド・デシネ(以下、BD)にしたいと思った。それで、自分自身が登場して一人称で語るスタイルを選んだ。フランスではここ数年、ルポルタージュ的な手法を用いたBDが出てきている。僕の場合は、かなり主観的だからジャーナリズムとは違うね。僕は旅が好きで、旅先でするスケッチも好きなんだ。チェルノブイリという特殊な場所が舞台ではあったけれど、旅やスケッチ、BD、あるいは人生そのもの…、僕の中で別々になっていた大切な部分を、ひとつにまとめるような試みだったかもしれない」

詩人の肖像画をヒントに

——先ほどのトークショーでは、「結局は、登場人物を通して、自分自身を語っている」と話していましたね。

「架空の人物を描いていても、実は個人的なことを語っている。僕はいつでも登場人物を内面から描こうとしている。人物に、生き生きとした輝きや真実味を与えるには、自分自身の気持ちや体験を通じて描くのが一番。それが人間を描くことになると思う。型にはまった人物像じゃなくてね。例えば、さっきの会場には何百人もの人たちがいて、みんな座っていたけど、その座り方はそれぞれ違う。座る姿勢がその人を物語っている。僕がデッサンでやろうとしていることはそれなんだ。つまり、座り方ひとつで、その人にしかない何かを描き出すこと。こういういろんな小さな要素を追い求めていかないと、生きた人物を描けないと思うんだ」

——サイン会に来た若い女性に話を聞いたら、今まで読んできたマンガとあまりにもスタイルが違うので衝撃を受けたと言っていました。

「僕はBDに何か新しいものを取り入れたいと思っている。文学や映画といった異なる物語の方法を用いたり、マンガやコミックスの手法を借りたりすることだって可能だ。要するに、常に好奇心を持って、別の分野にもアンテナを張っておかなくてはならない。例えば『ムチャチョ』の主人公であるガブリエルについては、ファンタン=ラトゥールが描いた詩人ランボーの肖像(※1)にインスピレーションを受けた。絵の中のランボーの視線や姿勢をヒントにしながら、ガブリエルという人物を想い描き、肉付けしていった。そうやって僕は表現の仕方を探していくんだ」

影響と刺激を与え合うマンガとBD

——滞在中、日本のマンガとBDの違いについての質問が多かったと思うのですが、うんざりしませんでしたか?

海外マンガフェスタのサイン会にて。1人1人に丁寧にイラストを描くルパージュさん。隣は『ムチャチョ』の翻訳者・大西愛子さん

「そんなことないよ。こっちは同じ質問を10回されたとしても、相手は初めて聞いているわけだからね。僕が小さい頃、BDは1巻が46ページと決まっていた。当然、物語の展開は早くて、省略がたくさんある。だから読者は絵をじっと見つめ、想像をふくらませながら読んでいく。ところがマンガは、動きに身を委ねるようにして読む。何千というページの波にさらわれていくような感じ。大友さんの作品に魅せられたのはまさにそこで、おそるべきダイナミズムがあった。マンガがフランスに登場して以来、BDもその影響を受けて、より自由な発想で描き、長いストーリーを展開する選択肢も少しずつ広がってきているんだ」

——たくさんのファンと接して、あなたの作品やフランスのBDが日本人にもっと知られる機会になりましたね。

「初めての日本だったけど、このイベント以外にも、いろんなところで講演会やワークショップを開いてもらった。そのたびに多くの人が来てくれて、僕の作品が少しずつ広まっていくのが実感できたよ。この会場に来て、僕の本を初めて目にした人も多かったと思う。マンガがフランスの若いBD作家に影響を与えているように、BDが日本の若いマンガ家の刺激になればいいね。同じものを作っても仕方がない。新しい表現方法を生み出すことが重要なんだ」

撮影=花井 智子

フランス語インタビュー・文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部)

(※1) ^ フランスの画家アンリ・ファンタン=ラトゥール(1836-1904)が描いた『テーブルの片隅』(1872年)。7人の詩人・作家とともにテーブルを囲む18歳頃のランボーが描かれている。

漫画 フランス バンドデシネ