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特集 伝統美のモダニズム “Cool Traditions”
浮世絵技術を現代に継承する職人集団「アダチ版画研究所」

小山 ブリジット【Profile】

[2014.01.22]

北斎や歌麿などの傑作の復刻を約1200点も手掛けてきた「アダチ版画研究所」。フランス人の日本美術研究家が工房を訪ね、江戸時代から変わらない制作の現場をレポートする。

19世紀以降、繊細な線、独創的な構図、そして美しい色彩で欧米の人々を魅了しつづけてきた日本の浮世絵。江戸時代、浮世絵は情報伝達の手段として、あるいは玩具や寺子屋の教材として、日常生活の一部となっていた。この多色刷り木版画は当時のヨーロッパ美術にも多大な影響を与えた。しかし今日、こうした美しい浮世絵を制作できる職人は希少な存在になっている。浮世絵という多色刷り木版画の素晴らしい技術を新しい世代にどう継承していくのか。幸いなことに、東京・目白にある「アダチ版画研究所」が、葛飾北斎(1760-1849)や喜多川歌麿(1753-1806)らの傑作の復刻と、新しい木版画の制作を通じて技術継承を図かり、浮世絵芸術の伝統を守ろうとしている。

今回、同研究所の中山周(めぐり)さんに工房内を案内していただいた。彫師(ほりし)と摺師(すりし)が江戸時代からの伝統を守り、当時とまったく同じ技術を使って、葛飾北斎『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』の復刻版を制作する作業に立ち会うことができた。

浮世絵復刻の制作過程(1~4は彫りの過程 5~8は摺りの過程)

1 版木に下絵を貼る 2 小刀で輪郭を彫る 3 鑿(のみ)で凹面をさらう 4 主版(おもはん)完成 5 版木に絵具をつける 6 紙を置く 7 馬連でこする 8 摺りの完成 →こうした色版を摺り重ねて浮世絵が完成

ミリ単位の精度が要求される彫師の仕事

彫りはきわめて緻密な作業であるため、手元を明るくしなければならない。版木の上方にある電球の下には水の入ったフラスコがつり下げられている。電球の光が水にあたって乱反射することで手元に影がなくなり、細かい線がくまなく見える。

工房の中は静まり返り、職人たちの集中した空気がみなぎる。この道50年の彫師、新實護允(にいのみもりちか)さん(69歳)の手元には小刀や鑿(のみ)など、さまざまな道具が並ぶ。

新實さんが使うのは山桜の版木。山桜は硬い木材だが、木目がとても細かい。湿度の変化による伸縮が少ないのも版画に適している。 彫師はまず、親指の付け根の部分を使って版木に米から作った和糊(わのり)を塗り、その上に、極薄の和紙に描かれた版下絵を裏返しにして当てる。版木の上で見ると北斎の描いた波が右側になるが、摺(す)りあげた紙の上では左側になる。

新實さんは、墨で描いた版下絵の輪郭線がよく見えるように、版木の上においた紙を指先で静かにこすり続ける。紙はちぎれてぼろぼろになり、彫りを入れる版下絵の輪郭線が浮き上がってくる。

女性の髪の線は1ミリ以下

輪郭線の両側に切れ目を入れて輪郭を小刀で彫り出した(写真上)後で、周囲の木材を鑿でさらう(写真左)。美しい版画ができるかどうかは、彫師の腕にかかっている。ベテランの彫師は、1ミリに満たない輪郭線でも寸分の違いなく彫りあげる。歌麿の美人画に描かれた女性の髪の線は1ミリ以下の細さだ。髪の毛を彫る作業を「毛割(けわり)」と呼ぶ。

全輪郭線を彫り込んだ最初の版を「主版(おもはん)」と呼ぶ。彫りの仕上がり具合を確かめるため、墨で主版の試し摺りを行う。「校合摺(きょうごうずり)」と呼ばれ、これを絵師に見せる。絵師は、輪郭線の間のスペースに朱で色の指定を行う。続いて彫師は、各版木の右下と左から3分の1の位置に1ヵ所ずつ、「見当」と呼ばれる切り込みを付ける。摺りがずれないよう、版木の上に紙を当てるときの目安だ。

岸千倉さん(28歳)(写真手前)は新實さんの実演を見て彫師の仕事を知り、この高度な技術を学ぶことを決心した。今は年季が明けて、プロの彫師だ。

彫師は、使う色の数に応じて版木を彫る。「色版(いろはん)」と呼ぶもので、『神奈川沖浪裏』では、4枚の版木を使う。主版は板が狂わないようにするため片面だけにしか彫らないが、色版は両面に彫る。こうした版木を使い、8回摺り重ねられて完成する。江戸時代において浮世絵は、利潤を多く上げるためにコストを出来るだけ抑えることが要求された。そのため色彩は制限され、使用する版木の数も5枚前後だった。

『神奈川沖浪裏』のすべての版木を彫るには約3週間かかる。この緻密で繊細な作業を行う彫師の正確で巧みな鑿運びは、“見事”という他ない。 

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  • [2014.01.22]

武蔵大学人文学部教授。パリ生まれ。パリ大学大学院で比較文学博士号を取得。早稲田大学大学院で日本の近代文学を学ぶ。専門は比較文学、美術(ジャポニスム)。著書に、『夢みた日本 エドモン・ド・ゴンクールと林忠正』(平凡社)などがある。

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