特集 伝統美のモダニズム “Cool Traditions”
和紙の世界へ③ 美濃和紙で作られる蛇の目傘
[2017.11.21]

江戸時代から続く和傘の産地、岐阜市加納町で、今も伝統を受け継ぐ、色鮮やかな蛇の目傘が作られている。素材は近在の良質な真竹と美濃の色和紙。スラリとした細身、手に持って軽く丈夫で、傘を差しても閉じても見目麗しい姿がその魅力だ。

竹骨に美濃和紙を張った傘

あめあめふれふれ かあさんが ジャノメでおむかえ うれしいな♪
(北原白秋作詞)

世代を超えて歌われてきた童謡「あめふり」に、ジャノメが出てくる。ジャノメとはヘビの目という意味だが、ここでは竹と和紙で作られる蛇の目傘のこと。昭和初期まで暮らしの中にあった、晴雨兼用のお洒落(しゃれ)な和傘である。

日傘にも雨傘にも使われる細身の蛇の目傘。小骨をかがる色とりどりの飾り糸は、きれいなだけでなく骨補強の役目も担う

美しい傘に似合わない呼び名は、その意匠から来ている。赤、青、紫の鮮やかな地色に白い一本線の入った文様が、大きな目玉のようなので付けられたらしいが、よりによってなぜヘビの目なのか。それは日本では古来ヘビは神さまの使いとされ、ヘビの目の模様にも、魔を除(よ)ける力があると信じられていたからだ。強い日差しをさえぎり、雨をよけ、ついでに魔も除けてくれる。ちょっと怖い名を持つ蛇の目傘は、人に優しい道具でもあった。

遠目に見る蛇の目の姿もいいものだけれど、手にとってみると、蛇の目傘の精緻な作りに目をみはる。

てっぺんの中心から、放射状に伸のびる数十本もの竹骨の直線。色糸飾りの繊細さ。柔らかな光を透かす和紙。雨粒を弾(はじ)くひそやかな音。風の強い日や狭い路地で人とすれ違う時は、コトンと一段すぼめて通り過ぎる。2段階に開閉する、ちょっとした気配りの仕掛けもさりげなく仕込まれている。

蛇の目傘づくりの町を訪ねて

岐阜市加納地区は、江戸時代中期に始まる和傘づくりの町だ。良質で丈夫な和紙を漉(す)く美濃和紙の里が近いことも幸いして、今も伝統の和傘作りが続いている。竹骨を木綿糸でつないで傘を組み立て、和紙を張り、エゴマ油を塗って防水加工する。蛇の目傘づくりは、細かな手仕事の積み重ねで、100を超える工程がある。

城下町岐阜の古い町並みに、蛇の目傘がよく似合う。白い線の入った紋様を大きな目玉に見立てたのが、蛇の目の名の由来

大きく分けると竹骨づくり、ろくろづくり、傘の組み立て、紙張り、仕上げの5工程。それぞれ専門職による分業で、職人の手から手へと順繰りに巡りながら、和傘に仕上がっていく。

「岐阜の加納傘は、細身できれいなのが特徴です。それには骨はできるだけ細く、和紙は薄く丈夫でないといけません」と加納町の傘問屋、坂井田永治さんは言う。

「竹骨の原料にする真竹(まだけ)は、しなやかで風雨に強く、細く割ってもまず折れません。江戸時代には古骨屋(ふるほねや)というのがあって、リサイクルされていたそうです」

油を塗った丈夫な和紙も、長く使えば破れるし、大事にしまい込んでいると虫に食われる。そんな時は、和紙を張り替えれば息を吹き返す。骨さえしっかりしていれば、和傘は一生愛用できる息の長い道具なのである。

骨折りな骨を作る仕事

和傘の本場岐阜でも、傘骨を作れる人はもうわずかだという。清々(すがすが)しい竹の香りのする作業場で、80歳を超えた骨屋さんの仕事を見せてもらった。

骨作りは、真竹の皮をむいて節(ふし)を落とし、ひたすら割る仕事だ。周囲約27センチメートルの竹筒が、幅3ミリメートルの傘骨ざっと100本分になる。これで蛇の目傘2本分だ。洋傘と違って、和傘は紙が内側に折り畳まれる。閉じたとき、元の竹筒の姿になるのがベストだと言う。そのためには100本の骨を、元通りの順番に並べなければならない。

傘骨屋の仕事。真竹の節の内側を落とす(写真左)。鉈で割って幅約3ミリの骨を作り、節に小さな糸穴を開ける(中央)。骨の厚みを削いで薄くする(右)

聞いただけで、気が滅入(めい)るけれど、どうやら秘策があるらしい。どうやるのか。骨屋さんの手元をじっと見つめた。割る前に竹筒の表面に、釘(くぎ)でぐるりと目印線をつける。たったそれだけ。その引っかき傷が元の線になるように骨を並べれば、元どおり竹筒の姿になるというわけ。順番通りにごく細い竹ひごに通して、次のつなぎ屋へ届けられる。

割る前に釘でつけた線を目印に、元通りの順番にそろえる。傘1本分を細い竹ひごに通して天日で干し上げ、次の工程へ

ここで親骨と子骨をつないで傘の形になる。傘の要になるのは、1本の傘に2個ある「ろくろ」という木製の部品。傘のてっぺんの「頭ろくろ」で親骨を、柄の途中の「手元ろくろ」で小骨を束ねる。竹骨の節(ふし)に開けた小さな穴に木綿糸を通して、親骨と子骨をつなぐ。ろくろと節のつなぎ目は、いわば傘の関節。このつなぎ目があるため、滑らかに開閉する仕掛けになっている。それにしても、竹を木綿糸で縫って、普段使いの開閉に耐える傘にするとは驚くほかない。

和傘の要となる木製部品、エゴノキのろくろ

傘のてっぺんに「頭ろくろ」、手元の開閉部分に「手元ろくろ」と、一本の傘には2個のろくろを使う

頭ろくろと親骨を木綿糸で縫ってつなぐ、細やかな手作業

傘の形になったら、次は張り屋さんの出番。古き良き時代の面影を残す作業場は、心なしか時の流れもゆったりしている。張り屋さんの手がリズミカルに動いて、傘骨に和紙が張られ傘骨が徐々に色鮮やかな大輪の花になっていく。「紙をっているときは分からないんですが、張り方が少しでもねじれていると、傘がきれいに畳めなくなってしまうんです」

傘張り。傘骨を全開にして裁断した和紙を張る。親骨と小骨の繋ぎ目や、手元ろくろの開閉部分にも和紙を張って補強する

和傘は紙を骨の内側に畳み込むため、それだけに真っ直(す)ぐに張るのは難しい。和傘に一目惚(ぼ)れして飛び込んだと言う若手職人に聞いてみた。

「一目惚れは続く?」

「15年たっても覚えることばかりで、飽きている暇がないんです」

黙々と動かしていた手を止め、顔を上げてにっと笑った。その笑顔が、蛇の目傘を未来に届けてくれそうな気がした。

伝統の技を学びたいという若者たちが、傘問屋坂井田永吉さんの工房で和傘づくりに励む

取材・文=陸田 幸枝
撮影=大橋 弘

バナー写真=色とりどりの蛇の目傘の天日干し。防水用の油をひいて、夏は2日、冬は3日ほどで乾いたら骨に漆を塗る

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