特集 伝統美のモダニズム “Cool Traditions”
和紙の世界へ④ 和紙で作る昔気質の雪村団扇
[2017.11.28]

手漉き和紙に描かれた洒脱な墨絵柄。常陸太田市の団扇屋に代々伝わる質実の雪村団扇の人気は、今も根強い。作り手は団扇屋4代目の95歳。雪村団扇最後の職人だ。昔気質の職人が作った団扇は、時代に荒波をくぐり抜けてきた。

涼を呼び込む団扇

蒸し暑くなると、涼しい小物たちの出番だ。麻や木綿の夏服、麦わら帽子、風鈴、団扇(うちわ)、夕涼みの縁台を出し、窓辺に葦簀(よしず)をかけて夏の準備完了。

子供の頃は浴衣の帯に団扇を差して、盆踊りや花火見物に駆け出して行ったものだ。団扇は涼風を送るばかりか、虫除(よ)けにも必須アイテムだったが、今時の若者はどうだろう。

この夏、ちょっと渋めの雪村団扇(せっそんうちわ)を新調した。なす・きゅうり、馬、かかし…。手漉(す)き和紙に水墨の図柄。昔ふうの角ばった大振(ぶ)りで、そのわりに軽く、たっぷり風が届く。墨色の絵は、室町時代末期に常陸太田に住んだ僧侶で画人の雪村(1290〜1346)が、自作の団扇に描いたという絵柄の写し。今も茨城県常陸太田市で、1本1本丁寧に作られている。

雪村団扇。室町時代末期の画人雪村の写しや、先代が描き残した図柄を、手漉き和紙に印刷して使っている

1年かけて33の工程を一人で作る

草花の緑に埋もれるようにして建つ古い家の前に、竹骨がずらりと並んで、日の光を浴びている。

「よく干すからカビもこないし、軽いですよ」と雪村団扇を継承する圷總子(あくつ・ふさこ)さんは言う。おん年95歳。今では、ただ一人の作り手だ。

骨作りからすべて一人の手仕事。朝顔の絵柄の手漉き和紙を貼る。団扇作り80年余の圷總子さん

近在の竹林の真竹(まだけ)を割って団扇の骨を作り、8カ月間天日に干して、和紙を張る。その工程はざっと33工程。

「90歳までは、息子と一緒に山の竹林に入りました。息子に竹を選ぶ目を養ってもらうためですよ」。今は、息子が良い真竹を切り出してくれるそうだ。圷さんの細い体のどこにそんなパワーが秘められているのか、竹割りから和紙張り、仕上げまで、すべてを自分の手で作っている。

骨しぼり。長さ37センチメートルの青竹を大ナタで9つに粗割り。厚みを削ぎ、小刀で1ミリメートル弱の切り込みを40本ほど入れ、手で引き裂いて団扇の骨を作る

「ひいおじいちゃんがここで団扇作りを初めて、私で4代目です。この家も使う道具も、みんな明治時代(1868〜1912)のものですよ」。明治13年に建てられた木造家屋は、2度の大震災を経てちょっと傾いているけれど、「ただいま〜」と声を掛けたくなる懐かしい佇(たたず)まい。自然の涼風が通るから、夏もエアコンなし。木の道具類も、使い込まれてつやつや光っている。

湿らせたイグサで編み広げて、団扇の骨が完成。よく自然乾燥してあるので、軽くて丈夫

毎日は朝の骨干しから始まる

朝9時ごろ竹骨を庭先へ出して天日に当て、夕方4時ごろに取り込む。12月から翌年8月までの8カ月間、雨の日以外は休みなしで、これを毎日繰り返し、ざっと1000本の竹骨を自然乾燥する。

「結構重労働ですよ。でもこれをやっているから、体も丈夫です。1年366日仕事していますよ」とプラス1日分は圷さんの思いだ。

団扇の骨干し作業。朝干し場に出し、夕方取り込む。突然の雨が心配だが、気付かないでいると、「雨が降ってきたよ」と近所の人が声を掛けてくれる

圷さんは、団扇作りに時間も手間も惜しまない。作業は大きく分けて骨作りと和紙張り。真竹を切る時期は冬。骨作りも寒い時期の作業だ。節(ふし)と節の間が長く、太く真っすぐな竹を選び、乾かないうちに骨作りにかかる。乾くときれいに割れないのだ。

最も熟練のいる工程は、「刃入れ」と「骨しぼり」。竹筒の上部に、鋭い諸刃(もろは)の小刀で1ミリメートル弱の幅の切れ込みを、目分量でほぼ40本入れる。それを素手でむんずとつかんで引っ張ると、手品のように竹が割けて薄く細いヒゴになる。これを1本1本イグサ(畳にする草)で編むときれいに開いて、団扇の形が見えてくる。

窓作り。一定の間隔を取りながら、湿らせたイグサで編んで団扇の形にする。1日20本〜25本のペース

和紙を張るのは1日70本

「手早くしないと、のりが乾いてしまいますよ」。そう言いながら、まず裏、次に表を張り、手で押さえて竹と和紙をなじませる。素早く無駄なく、手が勝手に動いているかのようだ。

「60歳で亡くなった主人は絵心のある人でね。雪村が描いた図柄だけでなく、水戸八景や朝顔を描いた水墨画の原画を20種ほど残してくれました。今はこれを和紙に印刷して使っています。おかげで、こうして今でも作っていられますよ」

紙貼り。竹ひごの薄さ、編み込みの間隔、和紙の表裏も触るだけで分かるという熟練の手

吟味した地元の真竹、丈夫なイグサで編む骨、容易に破れない強靭(きょうじん)な西ノ内紙(にしのうちし)。常陸大宮市で生産されるこの手漉き和紙は、コウゾのみを原料とするため強くて保存性に優れている。そのため、年季の入った腕で丁寧に作られる団扇は、ちょっとやそっとでへこたれない。

「10年たっても、しゃっきりしてる」とお客さんから便りが来るそうで、20年愛用してくれる人もいるという。

「そんなに持っては、商売にならないですけれどね」と總子さんがうれしそうに言う。

大好きな仕事をしてのんびり暮らす

玄関を入ってすぐの所に、弁財天の美しい仏画が飾ってある。弁天様さまは技芸の神さま。以前お客さんから送られた自筆の絵だという。

「毎日、朝はおはようございます。夜はありがとうございました。1日暮らせました」と手を合わせる。丹精込めて作る団扇は、そんなすてきな縁も結んでくれる。仕事場は、南向きの庭に面した縁側。今は見掛けなくなったが、大方の日本家屋には内と外の間に、板張りの縁側があった。

「冬は日が入って、ぽかぽか暖かいんですよ。日のあるうち仕事して、陰ったらその日は終わり」。こたつに入ってテレビで時代劇を見て、夕飯を食べて午後8時半か9時には寝てしまう。

「風通しのいい家ですから、冬は隙間風で寒いけれど、夏は扇風機も使いませんよ。寝る時は、枕元に“清風”と書いた団扇をおいています」。あおげばたちどころに清々(すがすが)しい涼風がやってくる。

夏に風通しよく、冬は日が差し込む、明治時代に建った家の縁側が作業場だ

今は両親と夫を見送り、3人の子供たちも独立して、気ままなひとり暮らし。「好きに仕事して、のんきに暮らしています。みんなに良くしてもらって。今が最高の幸せの時ですよ」。95歳の今を愛(いと)おしむ圷さんの作る団扇は、使う人に幸せのお裾分けをしてくれる。遠い夏の日の匂いと涼しげな風とともに。

取材・文=陸田 幸枝
撮影=大橋 弘

バナー写真=団扇の紙貼り。刷毛でのりを引き、コウゾの手漉き和紙を貼る。のりが肝心だ。小麦粉をよく練って火にかけ、その日使うだけののりを作る

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