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特集 伝統美のモダニズム “Cool Traditions”
加藤卓男:ラスター彩の復元に生涯をささげた陶芸家
[2017.09.14]

美濃焼の産地として知られる岐阜県多治見市は、3世紀前に姿を消した伝統陶芸「ペルシャ・ラスター彩」の復興の地でもある。陶芸家の加藤卓男は、20年近くに及ぶ試行錯誤の末、長年の謎だったラスター彩の製法を再現することに成功した。現在は息子の加藤幸兵衛が父の遺志を継ぎ、イランの関係者と密接に協力しながら、その里帰りを目指している。

中央アジアを横断する古代の東西交通路、シルクロード。この街道を通ってさまざまな文物が往来し、中国を経由して日本にもその多くがもたらされた。300年前に途絶えてしまった古代ペルシャの陶芸技法が現代の日本で再興されたのも、こうした西アジアと日本との縁(えにし)によるのかもしれない。そう思わざるを得ないほど、陶芸家の加藤卓男(1917〜2005年)が幻の陶器と呼ばれるラスター彩をよみがえらせたのは奇跡に近いことだった。

人間国宝に決まった陶芸家の加藤卓男さん。(岐阜・多治見市)=1995年4月撮影(©時事)

卓男は20年にわたる試練の時を経て、この壮大な試みを実現させた。ラスター彩復元の手がかりを解明し、その成果は息子の加藤幸兵衛によって引き継がれていった。

いにしえの輝き

伝統的なラスター彩は9世紀のメソポタミアで誕生し、西アジア全域に広まり、同地域の陶磁器芸術の頂点を極めるまでになった。ラスター彩の特徴である神秘的なきらめき、金を施したような仕上がり、そして精緻なデザインを生み出すには途方もない忍耐と技能が求められ、その類いまれな美しさが人々を引きつけていた。

一時期エジプトで焼かれていたこともあったが、12世紀になるとレイ、カシャーンなど現イラン高原中心部が主な産地となった。その後もさまざまな王朝や帝国で繁栄し続けたが、18世紀頃に忽然(こつぜん)と姿を消してしまった。

ラスター彩。おんどりの頭の水差し(左)と青い花瓶。

多治見市にある窯元の6代目で、1995年に人間国宝に認定された陶芸家の加藤卓男にペルシャ陶器との出会いをもたらしたのは、若い頃目にした一冊の写真集だった。卓男は自伝『砂漠が誘う』の中で、自分が専門とする美濃焼とは極めて対照的で、独特の様式と歴史に裏打ちされたラスター彩の美しさにいかに魅せられ、心を奪われたかについて語っている。

1961年、フィンランドに交換留学していた卓男は、以後何度も訪れるイランへの初めての旅で伝統的な陶器にじかに触れる機会を得た。イラン国立博物館では、青釉、三彩など古代の作品を夢中になって眺めた。卓男はペルシャ陶器を実際に見て、まさに「一目ぼれ」してしまった。

中でも最も印象に残ったのがラスター彩だった。しかし、妖しくも美しい輝きを放つその陶器の製法が数世紀前に途絶えてしまったことを知り愕然(がくぜん)とする。なんとかこの輝きを再現できないか——そんな思いに駆られて、加藤はラスター彩の謎に挑むことを決意する。しかし、その後20年にわたる時間と膨大な労力をささげることになるなど、予想だにしなかった。

砂漠をさまよう

ラスター彩の復元は、それほど生やさしいことではなかった。なぜなら釉薬(ゆうやく)の組成や作り方といった基本的な情報さえ全く残っていなかったからだ。卓男はわずかな手掛かりでも見つけようと、さまざまな書物を渉猟し、博物館に所蔵されている作品や陶器の破片を詳しく調べた。しかし、得られるものは皆無だった。

日本や中国の陶器に関する専門知識も役に立たず、欧州や他の地域に伝わったラスター彩も技法が異なり参考にはならなかった。それでも卓男はくじけなかった。定期的にイランを訪れてはサンプルを収集し、陶器の専門家から話を聞き、古代の窯の遺跡を調査して回った。一度に数カ月間滞在することもよくあり、時間をかけて膨大な数の陶片などを集めていった。

10年近く試行錯誤を重ねていた卓男は、息子で後継者の幸兵衛に日本での協力を求めた。幸兵衛は、世界中を飛び回っている父親から送られてくる手紙の指示に従って、釉薬の調合を試し、さまざまな作品の様式を研究し、多治見にある実家の工房にラスター彩を焼成するための窯を作った。しかし息子の助けをもってしても、ラスター彩はかたくなにその秘密を明かそうとはしなかった。

加藤卓男の息子で後継者の加藤幸兵衛。多治見市にある実家の窯元にて。

数え切れないほどの壁にぶち当たり、ほとんど諦めかけていた卓男に運命の女神がほほ笑む時がくる。1968年、テヘランのパフラヴィー大学(現シーラーズ大学)を訪れた際、ペルシャ陶器研究の第一人者だった故アーサー・アップハム・ポープ教授が行っていた研究の話を耳にしたのである。ポープ教授が残した膨大な資料には、釉薬の化学組成、焼成温度、窯の設計図など、ラスター彩の製法が詳細に記されていた。

これらの資料を徹底的に調べた卓男は、これまでの自分のやり方が全く見当違いだったことに気が付いた。ペルシャ陶器の粘土は中国や日本の陶器で用いられているものとは異なり、釉薬にも鉛やスズ、ナトリウムなど東アジアの伝統的陶芸では使用されない成分が含まれていたのだ。またラスター彩の窯は一度に数個しか入らない小さなもので、焼成も低温で行われた。

加藤幸兵衛も父親同様オリジナルから伝統的な様式まで幅広い作品を制作している。

焼成前のラスター彩の鉢。

伝統の再生

ポープ教授の資料をもとに着実に研究成果を上げていった卓男は、数年もしないうちにラスター彩の復元陶器と呼べるものを完成させることができた。1976年、テヘランのイラン考古学研究センター所長に複数の作品を見せたところ、卓男の偉業に感銘を受けた同所長はイラン国立博物館での展示会開催に協力すると申し出てくれた。

ラスター彩を復活させた卓男だったが、間もなく運命のいたずらに翻弄(ほんろう)されることになる。1979年、展示会の準備も終盤に差し掛かった頃、イラン革命によってモハンマド・レザー・パフラビー皇帝が倒され、その後の混乱でラスター彩の里帰りという希望が打ち砕かれてしまったのだ。

1980年にはバグダッドでの開催が予定されていたが、イラン・イラク戦争が勃発(ぼっぱつ)し、またしても断念せざるを得なかった。最終的に、トルコのイスタンブールで1986年に開かれた国際フェスティバルの一環として個展を開くことができたが、卓男はラスター彩を故郷に帰還させるという最大の目標を実現できなかったことにいたく失望した。彼は、過去に訪れた古代モスクで損傷・欠損していたタイルや、これらの地で装飾に用いられていたラスター彩などの作品を復元することも希求していたからだ。

卓男はその後もラスター彩や、日本や海外の伝統的技法でペルシャ陶器を創作し続けた。しかし再びイランを訪れることはなく、2005年に87歳で帰らぬ人となった。

父から息子へ

卓男の死後、復活したラスター彩の伝統を守る役目を引き受けたのは7代目の幸兵衛だった。父親から大役を引き継いだ幸兵衛は、ラスター彩の製法を広めるには日本とイラン両国のさまざまな人的交流が不可欠であると思うようになった。

ラスター彩の鉢に巧みに絵付けを施す幸兵衛。

両国を結ぶキーマンとなったのが、イランのセイエド・アッバス・アラグチ氏である。同氏が初めて幸兵衛に協力の手を差し伸べたのは、駐日イラン大使を務めていた頃(2008~2011年)だ。その後イランの外務次官に就任してからも交流は続いた。幸兵衛はアラグチ氏の強い勧めで2011年に初めてイランを訪問し、それがきっかけで「大ラスター彩展~古代から現代まで~」という故郷での初の展覧会開催にこぎ着けることができた。

2017年8月に多治見市を訪問し、卓男が作った鉢を手にするイランのセイエド・アッバス・アラグチ外務次官。

父親の最大の悲願を達成した幸兵衛が、現在イランの文化関係者とともに取り組んでいるのは、ラスター彩の製法と知識をイランの陶芸家に伝授し、後世にも受け継がれるようにすることである。文化交流を目的に幸兵衛が設立に関わった東海イラン友好協会は、イランから2人の陶芸家を招き、多治見市で研修を実施した。

2016年にイラン陶芸協会のベフザド・アジュダリ会長とカシャーン大学のアッバス・アクバリ教授は、3カ月間幸兵衛の指導を受けた。熱心に多くのことを学び、幸兵衛も2人の目覚ましい進歩には目を見張った。しかし幸兵衛は、ラスター彩の製法を完全に習得するには短期間では難しいと言う。

「2人が完全にマスターするにはさらに5年間修業を続けなければなりません。その道は険しいですが、必ずやラスター彩の伝統がイランの地に根付き、再び繁栄の時を迎えることを信じてやみません」

アッバス・アクバリ氏が創作したラスター彩の鉢を鑑賞する幸兵衛、アラグチ外務次官およびナザルアハリ駐日イラン大使(左後方)

アラグチ外務次官は、笹川平和財団の招聘(しょうへい)で2017年8月に訪日した際、多治見市にある幸兵衛の窯元を再訪した。そこで同氏は、「イラン人はラスター彩を含む文化の伝統に誇りを持っており、加藤父子が成し遂げた偉業に深く敬意を抱いている」と謝意を表した。

その言葉に励まされた幸兵衛は、「かつてラスター彩の里帰りに尽力した父親の前に立ちはだかったさまざまな壁が、友好的な雰囲気の中で徐々に取り払われてきているのを感じる」と語った。

取材・文=ジェームズ・シングルトン (ニッポンドットコム編集部)、原文英語
撮影=長坂 芳樹

バナー写真:ラスター彩の鉢に文様を描く加藤幸兵衛

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  • [2017.09.14]
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