伝統美のモダニズム “Cool Traditions”

自然の恵みと人間の英知が生み出す伊勢志摩の真珠養殖

文化

いにしえから女性を魅了してきた真珠。御木本幸吉が120年前に世界で初めて真珠の養殖に成功し、技術が確立された現在でも、養殖には4年余りの歳月がかかる。日本の一大産地である三重県の英虞湾を訪ね、養殖に関わる人々の思いを聞いた。

英虞湾のほとりにある木造の小屋で職人が細心の注意を払いながら、真珠貝(アコヤガイ)の殻を開き、ゆっくりと内部に鋭いメスを滑り込ませる。乳白色の内臓部にメスで小さな切り込みを入れ、手際よくメスをピンセットに持ち替えた後、内臓の切片(ピース)と将来真珠になる丸い「核」を移植する。貝の中で分泌液が核の周りを層の様に覆い、成長してゆく。真珠層が年月をかけて幾重にも重なり、美しい 真珠ができあがるのだ。

真珠貝(アコヤガイ)の中に核を移植する。

核入れの作業が終わったアコヤガイは、2~3週間「養生籠」に入れられ、体力が回復してから英虞湾のいかだに戻される。

アコヤガイは縦に長い網に入れ、いかだにつるして養殖する。

「完璧な真珠」目指して

風光明媚(めいび)な英虞湾の入り江で、井上光さんの家族は3代に渡って真珠の養殖業を営んでいる。彼自身この仕事を始めて42年になる。「貝を開いてつややかに輝く真珠を目にしたときのわくわくする気持ちは今も変わりません」と言う。「私が目指しているのは、100人が真珠を見たときに、100人全員が完璧だと思う真珠を作ることです」と付け加えた。

核入れを終えた真珠貝を養生籠に入れる井上光さん。

「養殖は本当に難しいんです。真珠貝も、成長して体内の核が丸い真珠になるまでの長い年月、人間と同じようにさまざまな環境ストレスに耐えなければならないのです」と井上さんは説明する。「私たちは真珠貝を一つ一つ自分の子どものように大切に育てています。美しい真珠に成長した姿を見て初めていい仕事ができたと思えるのです」

井上さんは三重県志摩市の立神(たてがみ)で「井上真珠」を経営している。ここで真珠貝に「核」を挿入する繊細な作業を任されているのは、熟練した技能を持つ地元の女性たちだ。1日8時間の作業で核入れできるのは1人500個ほど。根気が必要で、かなり骨の折れる仕事だと言う。

真珠貝の内臓部に核を挿入する職人。

防潮堤に建てられた小屋の数メートル先に、柱と板を組み合わせた真珠いかだが浮かんでいる。真珠貝の稚貝は手のひらに収まるほどの大きさで、このいかだにつるされ4年かけて育てられる。

核を入れた真珠貝は英虞湾のいかだの下で育つ。

稚貝アコヤ真珠貝の内側。核はこの中で真珠に成長する。

女性たちが真珠貝の表面の付着物を取り除く。4年間かけて真珠が育つまで、何回かこの作業が繰り返される。

相次ぐ危機を乗り越え

「ここはのどかな場所ですが、いろいろな問題も抱えています」と立神真珠養殖漁業協同組合の代表理事・組合長を務める森下文内さん(70)は言う。2008年に起きた世界的な金融危機「リーマン・ショック」では、需要が一時期極端に減り、業界は大きな打撃を受けた。「大粒のオーストラリア産南洋珠が手ごわいライバルとして現れたこともあります。しかし、私たちの真珠は品質の良さで、変わらぬ人気を保つことができています。最近は中国や東アジアなど新興市場へのアコヤ真珠の販路拡大も検討しています」

人と自然が織りなす芸術品

森下さんは真珠の魅力について「純粋に自然が作り出したものなのに、輝いて白い光を放つ。だから特別なのです」と話す。真珠以外の宝石、例えばダイヤモンドなどは、原石のままではその美しさはない。カットされ、研磨されて初めて独特の輝きが生まれる。「一方、真珠は生物から誕生し、大事に育てられて成長していきます。自然と人の技術との共同作業によって生み出されるのです。そこが他の宝石との大きな違いだと思います」

原文英文

写真=本野 克佳

バナー写真=英虞湾に浮かぶ真珠いかだ

美術館・博物館 伊勢 真珠 三重 志摩市