伝統美のモダニズム “Cool Traditions”

山本基:塩で造形する唯一無二のアーティスト

文化

世界でただ一人、「塩」を使って造形するアーティスト、山本基。なぜ彼は塩を使うことにこだわり続けるのか。生まれ故郷の尾道を娘と訪れ、地元のギャラリーで制作する姿を追いながら、その謎に迫る。

若くして亡くなった妻へのレクイエム

瀬戸内海の島、百島(ももしま)の坂道を、「塩の芸術家」51歳の山本基が両腕を胸元に組んで、ゆっくりと登っていく。広島県尾道市のアートベース百島が主催する「クロスロード2」展への出品作の6日間にわたる制作作業を終えた後の、解放感あふれる時間が流れる。

その時に、上空の雲の隙間に青空が見えたと山本はいう。「青空」は、彼にとって深い意味がある。この約1年前の晩秋、山本と4歳になる娘を残して昇天した妻・敦子が残した言葉、「青い空の向こうへ行く」を想起させるのだ。

山本 基(やまもと・もとい) 1966年広島県尾道市生まれ。95年金沢美術工芸大学卒業。現在、金沢市在住。浄化や清めを喚起させる「塩」を用いてインスタレーション作品を制作。主な展覧会に、2010年個展「ザルツ」サンクト・ペーター教会/ケルン。11年個展「しろきもりへ」箱根彫刻の森美術館。12〜14年米国巡回個展「海に還る」。13年「物の哀れ」エルミタージュ美術館/サンクトペテルブルグ、16年「瀬戸内国際芸術祭」など。

今回新たな手法を組み入れて完成させた塩のインスタレーション《瑠璃の龍(るりのりゅう)》は、妻の死後約1年間活動を休止していた山本の活動再開を記念する作品である。そして、43歳にして癌(がん)でこの世を去った妻に捧げる作品でもあった。

《瑠璃の龍》では線と曲線の融合を目指す

塩を使うことの意味

そもそも山本が、自身の芸術表現に用いる素材を絵の具や石、金属に代えて「塩」を選んだのは、1994年に3歳年下の妹、祐子が亡くなったことがきっかけだ。脳腫瘍という大病に侵された彼女は、山本が日夜、献身的な看病を続けたにもかかわらず、24歳という若さで他界した。

妹の死後、「葬儀」をテーマに清めの意味を持つ塩という素材を使って作品を制作するうちに、山本は他力によって翻弄される生命と外力によって壊れたり崩れたりしやすい塩のつながりを感じたという。塩は、真っ白に見えてもその結晶は無色透明である。その“透明な白さ”を有する塩を使って制作することで、「現実と向かいたい」「亡くなった妹を記憶として留めたい」と考えるようになった。

制作に使用する塩は、特別なものではない。料理にも使える普通の塩だ。それを《空蝉(うつせみ)》などのブロック状に固めた塩を使った立体作品の場合には熱と水で加工して、今回の《瑠璃の龍》などのインスタレーションには、篩(ふるい)にかけて粒子を均一にして制作する。

妹の死をきっかけにして始まった「塩の芸術」の創作活動を続ける山本の初期の作品には、妹や自分の記憶をたどりたいという意思が色濃く反映されている。

作品のモチーフには、「渦巻き」や「迷宮」、「階段」や「トンネル」など、シンプルなものが多い。これは、「誰にでも分かってもらえる形」で表現したいという彼の思いが込められているからに他ならない。

《たゆたう庭》エーグ・モルト、フランス/2015(©山本 基)

《迷宮》広島県立美術館/2013(©山本 基)

《空蝉》P.S.1 MoMA, ニューヨーク/2003(©山本 基)

海から生まれた塩を海に戻す

山本は、さまざまなモチーフを塩で描く。床に胡座(あぐら)をかき、時には膝を立てて座り、一日7〜8時間、長い時には14時間、数日から数週間に渡って描き続ける。彼が描き出す線は「自分の手と体の動きに委ねた自然なもの」と山本は言う。制作中は、作品の流れを確かめるために立ち上がる以外は座り続ける。「正直言ってシンドイです」と彼は苦笑いする。創作中に集中力を失わないように、体のケアには細心の注意を払っている。毎朝のストレッチに始まり、筋力トレーニング、腰と膝のテーピング、マッサージ、また場合によっては痛み止め薬の服用など、まるでアスリートのような肉体のメンテナンスを怠らない。

山本の作品は体の自然な動きから描き出される

しかし山本の作品は、「塩」の特性から言って、移ろいやすく、後世に残るものではない。そのために万全の注意を払って制作に臨むが、海外の展示会では思わぬハプニングから「作り直したことがある」と山本は笑う。

フランスでは犬が作品の中に入ってしまったり、老婆が杖(つえ)をついてその上を歩いてしまったり。ドイツでは、キューレターが完成した作品の上にネジまわしを落としてしまった。日本では、瀬戸内海の島で開催される芸術祭で、完成した作品が湿気のために壊れてしまったこともある。

こうしたハプニングも山本は、「塩を使っている限り起こりうる」とポジティブに受け止めている。湿気で作品が壊れてしまった体験を生かして、今回の制作では、現場の周りを透明なビニールでビッシリ囲んで、除湿機を四六時中回しっぱなしにするという対策を講じた。

尾道での《瑠璃の龍》創作現場

作品が完成した直後に「自分の作品をカメラに収めるのが好きだ」と山本は言う。完成後短時間で消えてしまう自分の作品を記録する意味合いもあるが、この時間は「自分が作品と向き合える至福の時間」だからだ。

完成後消えてしまう作品だが、山本の作品に使われる塩は最も小さな作品でも数10キログラム。最大の作品では11トンもの塩が使われたこともある。山本はこれらの作品に使われた塩を展示後に回収して、海に戻すプロジェクトを行なっている。

2006年、米ノースカロライナ州での展示会後、塩を大西洋に戻したのがこのプロジェクトの嚆矢(こうし)だ。その直後、このプロジェクトを伝える新聞記事を見た、父親を亡くしたばかりの米国人が「感動した」とメールを山本に送ってきた。翌07年、このことを聞いた京都造形芸術大学の学生が、塩を海に戻す行為を「海に還(かえ)る」と命名。現在も「海に還るプロジェクト」として、使用された塩は、展示会終了後に訪れた人たちに手渡され、海に戻されている。

記憶をたどり永遠の旅を続ける

約1年間の活動休止後、初の作品となった《瑠璃の龍》の制作の場に山本は、一粒種、5歳の愛娘・祐乃(ゆうの)ちゃんを同行させた。

祐乃ちゃんは、父親の制作現場の脇に一人で座っていたが、一人でいることに飽きるとさすがに父親にいろいろな理由をつけては自分を構ってほしがった。制作中に邪魔をされて集中力が途切れる山本だが、「この一年間、途切れ途切れの集中力を保つ訓練は十分してきたから大丈夫です。集中力が途切れても、それはそれでうれしいことなんですが…」と微笑む。今回うまくいったので、「これからは自分の国内外の活動の場に一緒に連れて行って、彼女の見聞を広げていってあげたい」と言う。

愛娘の祐乃ちゃんは、《瑠璃の龍》の制作現場では良きアシスタントだった

一方、制作面でも山本は新しい手法を取り入れた。彼のこれまでのインスタレーション作品に「長い線」はなかったのだが、「三つ編み」をモチーフにした《瑠璃の龍》ではそれを初めて取り入れている。今回のこの試みが、以前からのモチーフと融合するか。今後、新しいシリーズとなっていくのか。

山本自身は「分からない」と言う。妹の記憶をたどることをきっかけに始まった山本基の制作活動。悲しいことではあるが、愛妻との別離を機に、新たな次元に向けて青空高く飛翔(ひしょう)することを期待したい。

生まれ故郷の尾道の海に塩を還す

写真と文=サワベ・カツヒト
撮影協力=アートベース百島(広島県尾道市百島)

バナー写真=アートベース百島が主催する「クロスロード2」展への出品作の制作風景

アート