怖いは楽しい—ようこそ、日本の怪異の世界へ

この夏、日本の化け物たちと最高の恐怖を—五味弘文のお化け屋敷

4半世紀にわたり、日本各地でお化け屋敷を企画・演出してきた五味弘文氏。さまざまな恐怖の物語を編み出す五味氏に、とびきり怖いのに最高に楽しいお化け屋敷の舞台裏を聞いた。

五味 弘文 GOMI Hirofumi

お化け屋敷プロデューサー。(株)オフィスバーン代表取締役。1957年、長野県生まれ。立教大学法学部卒。1992年、後楽園ゆうえんち(現 東京ドームシティ アトラクションズ)において、『麿赤児のパノラマ怪奇館』を開催、驚異的な動員を記録。その後、それまでのお化け屋敷にはなかった“ストーリー”の概念を持ち込む。1996年、赤ん坊を抱いて歩くお化け屋敷『パノラマ怪奇館〜赤ん坊地獄』を開催。ストーリーにお客様を参加させて、登場人物のように役割を担わせる方法を生み出す。以後、日本各地で精力的にお化け屋敷をプロデュースしている。著書に小説『憑き歯〜密七号の家』(幻冬舎文庫、2013年)、『人はなぜ恐怖するのか?』(メディアファクトリー)などがある。

スイカ、花火、かき氷、蚊取り線香……。夏と聞いて日本人が連想するものはたくさんある。お化け屋敷も日本の夏の風物詩の一つだ。

古くは江戸時代の「見世物小屋」のお化け屋敷に始まり、今では日本全国の遊園地に必ずと言っていいほど常設のお化け屋敷がある。だが、お化け屋敷が盛り上がるのは何と言っても夏。趣向を凝らして怖さもレベルアップした夏期限定のお化け屋敷が、各地にオープンする。

五味弘文氏は、4半世紀にわたり、お化け屋敷の企画、演出を手掛け、「お化け屋敷プロデューサー」という肩書きを日本で最初に名乗ったパイオニアだ。「子どもだまし」の見世物というイメージの強かったお化け屋敷を、大人も楽しめるエンタテインメントとして脱皮させた。

その五味氏にインタビューしたのは、5月末、夏に向けた企画準備の忙しさがピークを迎える直前の時期。「この夏は、9つのプロジェクトにかかわっています」五味氏は、指を折って数えてみせた。そのほとんどが期間限定のお化け屋敷だ。一つはすでに開催中の『ざくろ女の家』で、広島東洋カープのホームグラウンド、広島マツダスタジアムの屋内練習デッキに開設している。野球シーズンが終わる9月までの開催だ。千葉県館山市では、近くオープンする常設のお化け屋敷をプロデュース。今夏も日本各地のお化け屋敷プロジェクトに奔走している。

東京ドームシティ アトラクションズの常設のお化け屋敷『魔界からの恋文』も五味弘文氏のプロデュース。7月から9月まで夏期限定のお化け屋敷に変身する。

「お化け屋敷プロデューサー」誕生のきっかけ

五味氏の演出の最大の特徴は、観客に “ミッション” を与え、「物語」に参加させること。そして、最大の恐怖の源はお化けを演じる「キャスト」たちだ。

“五味流” お化け屋敷が最初に生まれたのは、現在の東京ドームシティ アトラクションズの前身、後楽園ゆうえんち。1992年、後楽園の夏の特別企画「ルナパーク」の企画運営チームの一員として遊園地の仕事に関わり、世界的に著名な舞踏集団「大駱駝艦」を率いる麿赤皃(当時は赤児)氏の協力を得て企画、開催したのが『麿赤児のパノラマ怪奇館』。全身白塗りの異形のダンサーたちが闇に潜み、突如姿を現してうごめくように観客を襲う、という趣向だ。

当時、遊園地の常設のお化け屋敷の多くは、人気も落ち目で設備も古びており、大抵は簡単な乗り物に乗せられて、機械仕掛けの人形を眺めて屋敷内を一周するというものだった。実際に人を使って怖がらせるお化け屋敷はほとんどなかった。『パノラマ怪奇館』は、大人も楽しめる夜の遊園地の目玉アトラクションとして大きな話題を呼び、入場は時に3時間待ちという大ヒットを記録した。

待ちに待った20年ぶりの「続編」

1992年以来、五味氏は毎年、“本拠地” の東京ドームシティ アトラクションズで夏期限定のお化け屋敷をプロデュースしている。お客に “ミッション” を課して、物語の登場人物にしてしまう趣向を考案したのは1996年『パノラマ怪奇館 ’96~赤ん坊地獄』だった。

お客は入口で赤ちゃんの人形を渡される。そして、暗闇に潜む魔物たちから赤ちゃんを守りながら、出口にいる母親にその赤ちゃんを届けなければならない。

「毎年同じ場所で25年やっていますから、それだけ高まる期待に応えるハードルは高くなっています。でも、今年は、去年の夏の『呪い指輪の家』の企画を(ドームシティに)プレゼンするときに、すでにこの夏やりたい企画が決まっていました」と五味氏。「5年ほど前から、『赤ん坊地獄』の赤ん坊が成長して20歳になるのを待っていた。やっとその時が来ました。この夏は、その子が成人して赤ちゃんが生まれる―『赤ん坊地獄』の続編をやります」

霊界にさらわれた赤ちゃんをそのお母さんに届けるというミッションは同じ。「とはいえ、それなりに僕も進化しているから、新しい仕掛けはあります」と五味氏は不敵な笑みを浮かべる。

恐怖を楽しさに変えるための演出

夏期限定の『赤ん坊地獄』は7月15日オープン。実際、お化け屋敷が完成するまでの作業は、どんな手順で進むのだろうか。「設定・ストーリー、ミッションが出来たら、演出プランを考えます。お客様がどんな怖い体験をするか、こういう経路で、この順番で、こんな体験をしていく、というふうに図面化していきます。図面化できたら、美術、造形(人形)、メカ、制御技術、音響、照明、衣装などの専門家と打ち合わせをして、自分のイメージを伝え、制作に入ってもらいます」

お化け屋敷の内部のセッティングでも細かい指示を出し、施工が済むと、運営スタッフとキャストへのレクチャーとトレーニングが始まる。キャストへの演技指導など、すべての面で五味氏の演出は実にきめ細かい。「お化け屋敷なんて、そんなに細かい演出をしたり、入念な細工はしないだろうとみられるからです。暗くして通路を迷路にすればそれなりに怖くなるから誰でも作れるからと。だからこそ、学園祭で人気の出し物なんです」

「でも、恐怖を楽しさに変えて、お化け屋敷をエンタメの領域に持っていくには、意図的に入念な演出をしないといけない。作り手が意図した通りにお客が楽しめるようにするのが真のエンタメなのですから」

入念な演出をするからこそ、大人も楽しめるエンタテインメントになると五味氏は語る。

「お岩さん」の後継者たち

東京ドームシティのお化け屋敷の施工が終わり、キャストのトレーニングが始まる頃に、都内にある「四谷怪談」の「お岩さん」のお墓参りに行くのが、五味氏の例年の行事になっている。

実際、お岩さんのイメージは、日本のお化けに多大な影響を与えていると、五味氏は言う。

「日本のお化けはみんな女性といってもいい。虐げられて、惨殺され、成仏できない女性です。(ホラー映画『リング』の)貞子も(『呪怨』の)伽椰子なども、みんなお岩さんの系譜にあります。虐げられ方や、持つ能力が違っていたりはするけれど、根本は古典的で変わっていない。変わらないということは、そこに日本人の好む物語のカタチがあるのでしょう」

人形の表情にも、徹底的にこだわるのが五味流。インタビューの最中、五味氏の背後の人形がとても怖かった。

『リング』『呪怨』などのジャパニーズ・ホラーは、海外でも人気だが、日本特有の怖さが新鮮なのだろうか。

「海外でも驚きを持って迎えられたのではないかと思います。こういう質の怖さは見たことがないというのは多分あったのでは」と五味氏。「自分よりも強い物理的なパワーを持っている存在が怖い、そのパワーによって自分が死に追いやられることへの怖さは万国共通です。ところが日本のお化けの場合、パワーはあっても、物理的パワーではない」

恐怖の質は違うとはいえ、日本女性のお化けは海外でも十分威力を発揮していることは確かだ。

その土地ならではの恐怖を届けたい

東京ではドームシティ アトラクションズを始め、さまざまなタイプのお化け屋敷を企画するが、「各地方でなるべくその土地でなければ生まれないお化け屋敷を作りたい」と五味氏は言う。

それぞれの土地の特徴や歴史、人物、習俗などを掘り起こして、物語を考えていく。実際にお化け屋敷を作る場所は、広島マツダスタジアムの『ざくろ女の家』のように、イベントスペースの場合もあれば、空き家や廃墟を舞台とすることもある。昨年夏は、富山県高岡市の商店街にある使用されなくなった雑居ビルの部屋でお化け屋敷『口縫い人形』を開催した。「高岡は鋳物の産地として有名な街。ですから銅にまつわる話を考えた」と言う。銅に付着する緑青が重要なモチーフとなった。

「お化け屋敷を作ったことのない地方はまだまだたくさんあります。例えば、東北では秋田でしか作っていない。青森、宮城、岩手、山形ではまだです。頼みますよ、作らせてください、という気持ち。声がかかれば全都道府県で作りたい。その場所ごとの “ミッション” は必ずあります」

『魔界からの恋文』の施設内で。毎日のようにお化けとつきあっているが、「怖い夢は見たことがない」そうだ。

海外で“五味流”お化け屋敷を

長野県の古い日本家屋で生まれ育ち、子供の頃は和室を締め切って暗闇をつくり、自分の家でお化け屋敷を作って遊んだ。それでもまさか、お化け屋敷が生涯の仕事になるとは思ってもみなかったと言う。「将来、お化け屋敷を作る人になるための決まったステップなんてありませんでしたから。続けているうちに、いつのまにかそうなっていた」

お化け屋敷をプロデュースして25年目を迎え、今後は海外にも目を向けたいと五味氏は意欲的だ。「海外のお客さんもたくさん来場して、楽しんでくれている。それなら、その(お客たちの)国に行って、日本のエンタメとしてのお化け屋敷を現地で展開したら面白い」。すでに海外からお化け屋敷を作ってほしいという打診はあるそうだ。

ただし、問題は「身がもたない」こと。忙しさのピークは夏だが、一年中お化け屋敷関連の仕事に追われているそうだ。何よりもの喜びは、お化け屋敷の暗闇でギャーっと悲鳴を上げていたお客たちが、外に出てきて、大笑いしながら、「怖かったねぇ~」「でも面白かった!」と言い合うのを見る瞬間だ。「まさに天職です」と幸せそうに笑った。

取材・文=板倉 君枝(ニッポンドットコム編集部)
撮影=大久保 惠造

*五味弘文氏がプロデュースしたお化け屋敷の最新情報はこちらからチェック。

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