ニッポン偉人伝

坂本龍馬:近代日本の幕開けに大きな功績を残した英雄

文化

薩長同盟を仲介して大政奉還につなげ、近代日本の誕生に決定的な役割を果たした坂本龍馬。明治の新国家をみることなく暗殺されたのが、今からちょうど150年前となる。今年、日本各地で龍馬関連のイベントや展示会が続々開催されている。高知県立坂本龍馬記念館の貴重な所蔵品が展示された「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」(会場:目黒雅叙園東京)の展示写真とともに、魅力あふれる生涯を振り返る。

剣術修行に励んだ青年時代

坂本龍馬は1835年11月15日(※1)、当時土佐国と言われた高知県高知市で、下級武士である郷士の二男として生まれた。坂本家は、酒造業や呉服店を営む豪商・才谷(さいたに)家から分家して郷士となったため、微禄ながら生活は裕福だった。

身長は170センチ以上あったという、当時の日本人としては大柄だった龍馬(国立国会図書館所蔵)

14歳の時、地元の日根野(ひねの)道場で剣術の修行を始めた。53年春、さらに腕を磨くために江戸へ留学。北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)の千葉定吉(ちば・さだきち)が開いた千葉道場に入門した。

54年6月に土佐に一度帰国したが、56年に再度江戸に留学。千葉道場では塾頭を務め、免許皆伝を得たとされる。

東京では初公開となった“龍馬が最も愛した刀”と伝わる脇差し「備前長船勝光宗光」

尊攘運動に参加も脱藩

1861年8月、土佐藩郷士の武市瑞山(たけち・ずいざん)が藩内の尊王攘夷運動の組織「土佐勤王党」(とさきんのうとう)を結成。すでに土佐藩に帰国していた龍馬も加盟した。しかし、翌62年3月、同党を離れて脱藩した。土佐勤王党が過激化し、政治的に対立する土佐藩の重鎮、吉田東洋(よしだ・とうよう)の暗殺を企てたことに嫌気が差したのが理由とされる。吉田は4月に暗殺された。

62年8月、龍馬は江戸に向かい、長州藩の尊王攘夷の志士である久坂玄瑞(くさか・けんずい)、高杉晋作(たかすぎ・しんさく)らと交流を持つ。12月、幕府政治総裁だった福井藩前藩主の松平春嶽(まつだいら・しゅんがく)と面会し、大阪の海防策を提案した。

高知県立坂本龍馬記念館のシンボル「シェイクハンド龍馬像」と同じ作りの第2号も展示

勝海舟に弟子入り、開国派に

1862年12月、龍馬は春嶽の紹介で、幕府軍艦奉行並(後、軍艦奉行)の勝海舟(かつ・かいしゅう)と会った。勝は龍馬に会うなり、傑出した存在と認めて自らの門弟とする。

63年4月、勝は幕府の海軍士官養成所「神戸海軍操練所」の創設を許可された。同時に弟子養成の私塾の設立も許され、龍馬を塾頭とした。

脱藩後、初めて姉・乙女に宛てた手紙(複製)。赤矢印上部に「日本第一の人物勝麟太郎殿という方の弟子になり」とある

63年5〜6月には長州藩が攘夷を決行し、米仏軍艦と交戦して惨敗する下関事件が起きた。長州の攻撃によって損傷した外国船が、江戸で幕府の修理を受けて再び出撃したとの情報を聞き、龍馬は強い危機感を抱いた。この時期、姉・乙女(おとめ)への手紙で「日本を今一度洗濯したい」という有名な言葉を残している。

64年10月、勝は幕府独裁を否定する危険人物として疑念を持たれ、軍艦奉行を罷免されて江戸に召喚されてしまう。翌年「神戸海軍操練所」は閉鎖になった。龍馬は勝との出会いによって、攘夷派から開国派に転じたとされる。

乙女宛書簡(複製)。赤矢印の行に「日本を今一度せんたく」とある

薩長同盟を仲介

龍馬の生涯で最大の業績が、1866年1月に成立した薩長同盟の仲介だ。

薩摩、長州の両藩は、幕末期の政界で大きな影響力を持っていた。薩摩藩は幕府を含む雄藩連合による国内統一を求めていたが、長州藩は急進的な尊王攘夷の立場から反幕だったために当初は対立していた。

しかし、幕府が独裁を強化したため、薩摩藩の指導者である大久保利通(おおくぼ・としみち)や西郷隆盛(さいごう・たかもり)らが反発を強め、次第に倒幕に傾いていった。65年、幕府が長州の征討を号令した際は、応じない決意を固めた。この決意を、龍馬が長州藩幹部に伝えたことが、同盟へと進む直接のきっかけとなった。

66年1月、薩摩と長州の両藩は、龍馬の立ち会いのもと同盟を結んだ。幕府との戦争を避けず国内統一に向かって共に戦うという内容で、この結盟を境に薩長を中心とする雄藩連合が幕府打倒に突き進んでいく。

薩長同盟は口頭の密約だったが、長州藩の木戸孝允(きど・たかよし)が確認事項を6カ条にまとめ、書簡として龍馬に送って保証を求めた。龍馬が簡潔に「少しも相違ない」と裏書きした書簡は現存している。

龍馬が朱筆で書いた薩長同盟裏書き(複製)。

(※1) ^ 旧暦。伝記部分、以下同。

海運貿易会社「亀山社中」、新国家構想「船中八策」

龍馬は政治に奔走するだけでなく、海運・貿易事業も手掛けた。1865年、長崎・亀山を本拠地とする「亀山社中」(かめやましゃちゅう)を組織。長州藩が必要とする武器や軍艦を、薩摩藩名義で購入する活動をするなど、戦力面でも同盟を助けた。

亀山社中のメンバーは、66年6月に起きた幕府と長州藩の戦争(第二次長州征討)では、長州藩の軍艦ユニオン号に乗り組んで下関海戦に参加。これは、龍馬の生涯で唯一の実戦経験となった。

亀山社中は後に、土佐藩の外郭団体「海援隊」(かいえんたい)となった。二曳(にびき)と呼ばれた海援隊旗(複製)。

龍馬は、幕府が政権を天皇に返上する「大政奉還」や議会開設などを含む、新しい近代国家の構想「船中八策」(せんちゅうはっさく)を考案したことでも知られる。67年6月、土佐藩船で長崎から兵庫へ向かう途中、同藩の重役・後藤象二郎(ごとう・しょうじろう)に伝えたものだ。

「船中八策」に感銘した後藤が藩論をまとめ、大政奉還は土佐藩から徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)に建白され、67年10月に実現した。その後、船中八策は「新政府綱領八策」となり、明治政府の政策綱領「五箇条の御誓文」(ごかじょうのごせいもん)に受け継がれていく。

「新政府綱領八策」(複製)には、もちろん大政奉還の項はない

見廻組による暗殺が定説

1867年11月15日、龍馬は同志の土佐脱藩浪士・中岡慎太郎(なかおか・しんたろう)とともに近江屋で襲われた。幕府の治安組織「京都見廻組(みまわりぐみ)」の仕業というのが定説だが、実行犯や黒幕には諸説あり、いまだ謎に包まれている。龍馬はわずか33歳の若さで、この世を去った。

薩摩、長州、土佐藩を中核とする新政府軍は、68年(明治元年)1月3日に鳥羽・伏見で、旧幕府勢力との戦端を開いた。この戊辰戦争とよばれる戦いは69年に終結し、明治政府による新たな国家建設が始まった。

龍馬暗殺シーンをシルエット映像で再現した展示

小説やドラマの主人公に

坂本龍馬の短いが劇的な生涯は、今なお日本人の心をつかんで離さない。2008年に発表された「日本人の好きなもの」(NHK放送文化研究所世論調査部編、NHK出版刊)の「好きな歴史上の人物」編では、織田信長(おだ・のぶなが)、徳川家康(とくがわ・いえやす)に次いで第3位となっている。

その大きな要因の一つは、ここでもいくつか紹介した、龍馬が残した手紙だ。天下国家を先鋭的な見方や強い決意で語りながら、どこか飄飄(ひょうひょう)としたところがある。時には、絵などを用いて分かりやすく説明する。その生き生きとした内容が、龍馬の魅力的な人物像を想像させる。それが政治経済にまたがる華々しい活躍と相まって、数多くの小説、映画、テレビドラマの題材とされた。

乙女への手紙で、妻・お龍(りゅう)と新婚旅行で行った「天の逆鉾(さかほこ)」を説明する部分。絵の上に記号「イ」「ロ」「ハ」「ニ」を置き、横にその地点の説明文が添えられる。まるで現代のガイドブックのようだ

1911年には、早くも映画が製作された。62~66年に作家の司馬遼太郎が、産経新聞に連載した歴史小説「竜馬がゆく」は人気を呼び、何度も映画・テレビドラマになった。それが現在も読み継がれ、一般的な坂本龍馬像のもとになっているとの指摘がある。

「竜馬がゆく」は中国、韓国でも翻訳された。中国ではもともと明治維新への関心が高いが、幕末の志士の中で、龍馬の名は特に知られている。小説や多数の映画、テレビドラマの影響が大きいと考えられる。

米国では、61年にプリンストン大学名誉教授のマリウス・バーサス・ジャンセン氏が学術論文「坂本龍馬と明治維新」を書き、龍馬を世界に紹介した。司馬の小説も、その論文から影響を受けたと言われている。

京都観光のついでに、襲撃事件のあった寺田屋など龍馬ゆかりの地を訪ねてみてはどうだろう。現在休館中の高知県立坂本龍馬記念館(高知県高知市)も、2018年春にリニューアルオープンする。

会場の模様。右に展示されているのは、当展を主催するソフトバンクグループ代表で、龍馬の大ファンである孫正義氏が社長室に飾っている「等身大 龍馬写真」

撮影協力=龍馬没後150年高知県立坂本龍馬記念館巡回展「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」 文=井上 雄介 写真=ニッポンドットコム編集部 (バナー写真=孫正義所有「等身大 龍馬写真」より)
【イベント情報】
龍馬没後150年高知県立坂本龍馬記念館巡回展「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」 会場:ホテル雅叙園東京 東京都有形文化財「百段階段」 期間:2017年6月1〜25日 時間:午前10時〜午後6時(午後5時30分最終入場) 入場料:当日券1500円、前売券1200円(館内前売券1000円)、学生800円 主催:ソフトバンクグループ株式会社、公益財団法人高知県文化財団 高知県立坂本龍馬記念館

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