SNS

最新記事

ニュース

More

特集 ニッポン偉人伝
西郷隆盛:明治維新に尽力したラストサムライ
[2018.04.20]

江戸城無血開城や新政府樹立など、明治維新に多くの功績を残した西郷隆盛。波乱万丈の生涯を追い、その人物像に迫る。

倒幕と維新に尽力した英雄三傑の一人である西郷隆盛(1827~77)。西郷は維新後、西南戦争の逆臣として自決したが、1889(明治22)年の恩赦で名誉を回復した。今年は明治維新から150周年を迎える。

入水自殺を図るが一命を取りとめる

西郷が第11代薩摩藩主・島津斉彬に初めて会ったのは1854(安政元)年、26歳の時だった。道路・橋の普請や米の出来具合を確かめる下級役人だった西郷は、斉彬(当時45歳)の参勤に従って江戸に上った。そこで庭方役(幕府の御庭番にならった連絡役)の職に就いた。西郷が農政に関する意見書を何度か藩に提出し、それが斉彬の目に留まったのだ。西郷は水戸藩主・徳川斉昭の腹心で尊皇攘夷論を主張した藤田東湖や、福井藩主・松平慶永の懐刀で開国論を唱えた橋本左内など一流の人物と交流し、強烈な刺激を受けた。

鹿児島市加治屋町にある西郷隆盛誕生地の石碑

西郷は短い間に水戸藩を中心とする他藩士とのネットワークを築きつつ、涙もろい直情多感な性格で斉彬の強い信頼を獲得し、いつの間にか斉彬に自身の考えを述べる存在になっていた。しかし斉彬が個人的に親しく、藩主就任にも尽力してくれた江戸幕府の老中首座・阿部正弘が1857年に死去。その翌年彼の跡を追うように斉彬が急死すると、薩摩藩の後事は弟の久光に託された。これを機に幕府の実権を握った保守派の大老・井伊直弼による改革派への大弾圧が始まった。

後ろ盾を失った西郷の境遇は一変した。悲嘆に暮れた西郷は殉死を決意するものの、京都・清水寺成就院の住職だった尊皇攘夷派の月照に説得され、ともに鹿児島に逃亡。絶望した二人は錦江湾に身を投じた。しかし月照は水死したものの、西郷は奇跡的に息を吹き返した。

西郷の死生観がうかがえる「敬天愛人」

一命を取りとめた西郷には、奄美大島と沖永良部島における2度にわたる流島生活が待っていた。島での生活はごく短い中断期間をはさんで、31歳から36歳までのほぼ5年間に及んだ。奄美では現地妻を持つなどある程度の自由を許されたが、約束に背いたことで薩摩藩の最高権力者・久光の怒りに触れたため島流しにされた沖永良部では座敷牢(ろう)で罪人そのものの生活を強いられた。しかし沖永良部では、西郷はそれまでの人生を深く振り返る時間をたっぷり持てたこともあって、思慮深く、志操堅固な「人物」に成長していく。

軍服姿で立つ西郷の銅像。西南戦争の舞台となった城山の麓にある

多くの人間にとって死ぬことはやはり怖い。そういう中で、「西郷は死ぬことの恐怖を最大限克服できた人間ではないか」と評伝『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』を書いた家近良樹氏(大阪経済大学特別招聘教授)は指摘する。「彼は人生の中で自分の敬愛する人間の死をたくさん見てきた。両親はもちろん、私淑してきた赤山靭負、東湖、虎寿丸(斉彬の五男)、斉彬、それに月照。彼にとって死というのはわれわれが怯(おび)えているようなものではなく、ある意味で自分にとって敬愛できる人間とまた再び会えるような感覚があったのかもしれない」と分析する。

「自分にやり残した使命があるから、天に命を助けられた。自分の使命が終われば、天は自分の命を自然と奪い去るだろう。天が自分を生かしてくれるうちは、自分にはまだやらなければならない使命がある」。西郷はこう考えたのではないかと家近氏は言う。この考え方が後の「敬天愛人(けいてんあいじん、天を敬い人を愛する)」という言葉につながっていく。人間レベルで生死の問題についてあれこれ論じるべきではなく、すべて天命に任せるべきだとする西郷の死生観が鮮明に浮き出ている。

鹿児島市の西郷南洲顕彰館に展示された西郷の肖像画と「敬天愛人」の額

江戸城の無血開城に成功

西郷が久光と和解し、薩摩藩の軍賦役(軍司令官)として政局の表舞台である京都に戻ってきたのは1864(元治元)年3月のことだった。36歳になっていた。スピード出世し、京都から長州藩を追放した「蛤御門の変」(同年7月)後の10月には家老に次ぐ高官の「側役(そばやく)」になっていた。蛤御門の変は西郷にとって初めての戦闘体験で、部下を率いて戦った。西郷はその後、征長軍の事実上の参謀を務め、維新政府軍となる倒幕派を率いることになる。

西郷は長州藩とも関係強化に努め、次いで「鳥羽伏見の戦い」から始まる戊辰戦争(1868~69年)を主導し、1868年3月には幕府軍の本丸である江戸城に乗り込む。彼は兵士を引率せず、ほんのわずかな人数を伴っただけで登城した。多くの旧幕府方の将兵が居並ぶ中、いつ殺されてもおかしくない状況だった。西郷らしく、いざとなれば、江戸市街の焼き払いを含め、抜け目なく事前に周到な計画を立てていた。結局、江戸城は幕臣・勝海舟らによる尽力もあって「無血開城」に成功。維新政府軍の旧幕府軍に対する勝利を決定付けた。

家近氏は、「西郷のこのような対応は、維新の三傑の他の二人である大久保利通や木戸孝允では到底なし得なかった」と指摘する。「もし西郷がいなかったら、明治維新は達成できなかったのではないか。西郷という人間がいたことによって、われわれは明治維新を好意的に見られるようになった。維新は血なまぐさい権力闘争の場。西郷がいなければ後世の人たちがこれほど豊かな気持ちになれなかったでしょう。大久保に比べて西郷は政治家としてうんと落ちるが、大きな意味で大久保にはない愛と心があったのです」と言い切った。

城山の中腹にある「西郷隆盛洞窟」。西南戦争の際、官軍に追い詰められた西郷が最期の5日間を過ごしたと言われる

ラストサムライの面影

明治新政府が樹立すると、西郷は1871(明治4)年に参議(現在の閣僚)、73(明治6)年5月には陸軍大将になった。しかし、征韓論争に敗れた西郷は同年10月、政府に辞表を出し、鹿児島に帰った。農業に従事し、狩猟を愛しながら故郷で暮らすうちに同士に担がれて反乱軍の頭目に祭り上げられ、77(明治10)年、西南戦争に立ち上がる。しかし熊本城の攻撃に失敗し敗北、鹿児島城山で自決した。享年49歳だった。

桜島を望む丘の上にある南洲墓地。中央が西郷の墓で、彼を慕った人々と共に静かに眠っている

米国の映画『ラストサムライ』(2003年公開、エドワード・ズウィック監督)には西郷を思わせる不平士族の頭領・勝元盛次(渡辺謙)が登場する。南北戦争の英雄で、新政府軍に西洋式戦術を教えるために来日したネイサン・オールグレン大尉(トム・クルーズ)は「武士道」の崩壊に直面している勝元と出会い、騎士道の崩壊で苦しむ自分と同じ悩みを感じ取り、魂を失った者同士共鳴し合う。

明治新政府は1876(明治9)年、廃刀令を公布し、武士から「武士の魂」を奪ったが、主君への忠義、礼節、正義などの精神性は現在も残っている。教育者の新渡戸稲造は『武士道』の中で、「定義こそないが、武士道は今もこの国に息づく魂であり原動力である」と書いたが、現代の日本でも向上心が高く信念を貫く人を時として「サムライ」と呼ぶ。

勝元に率いられた刀と弓矢だけの反乱士族は、最新鋭のガトリング砲(回転式機関銃)などの近代兵器で鎮圧に当たる新政府軍に突撃し、玉砕する。相手の目を見て殺すことが武士の戦いの作法(武士道)だが、遠距離の敵を倒せる近代兵器は武士道をも粉砕してしまった。ただ身体は粉砕されても、心は残る。『ラストサムライ』はそうした武士道の精神性に共鳴した作品であり、日本人なら誰しも西南戦争で最後の侍として死んでいく西郷の姿が描かれていると思うだろう。

東京・上野公園に立つ西郷の銅像。高村光雲作。

取材・文=長澤 孝昭
撮影=草野 清一郎

バナー写真=明治維新の指導者・西郷隆盛(国立国会図書館蔵)

この記事につけられたタグ:
  • [2018.04.20]
関連記事
この特集の他の記事
  • 西洋と東洋を超えて:岡倉天心岡倉天心は、明治期における西洋化の荒波の中で近代日本美術の発展に大きな功績を残した。ボストン美術館の中国日本美術部長としても活躍した天心は、西洋と東洋の精神性の融和を図った稀有な思想家だった。
  • 安藤百福:世界の食文化を変えたミスターヌードルお湯を注ぎ、数分待つだけで食べられるインスタントラーメン。いまや世界中で愛されるこの食品を開発した元祖が、日清食品創業者の安藤百福(あんどう・ももふく)だ。2018年秋放送予定のNHK連続テレビ小説『まんぷく』のモデルともなる彼の波乱万丈の人生と、独創的なアイデアを紹介する。
  • 坂本龍馬:近代日本の幕開けに大きな功績を残した英雄薩長同盟を仲介して大政奉還につなげ、近代日本の誕生に決定的な役割を果たした坂本龍馬。明治の新国家をみることなく暗殺されたのが、今からちょうど150年前となる。今年、日本各地で龍馬関連のイベントや展示会が続々開催されている。高知県立坂本龍馬記念館の貴重な所蔵品が展示された「土佐から来たぜよ!坂本龍馬展」(会場:目黒雅叙園東京)の展示写真とともに、魅力あふれる生涯を振り返る。
  • 渋沢栄一:「公益の追求者」の足跡をたどる生涯に約500の企業設立・運営に携わったことで知られ、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。その一方で、関わった社会事業は約600にも上る。「公益」を第一に考え、「道徳経済合一説」を実践した人生を、渋沢史料館の展示とともに紹介する。
  • 夏目漱石:世界中で読み継がれる永遠の現代作家近代日本の文豪、夏目漱石の誕生から今年で150年。江戸時代に生を受けた小説家ながら、なお現代日本人の胸を打ち、世界で再評価が進む。漱石の49年の生涯と、エゴイズムと孤独の苦しみを描いた作品の数々を振り返る。

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • ニッポンドットコム・メディア塾 —ジャーナリストを志す皆さんに
  • シンポジウム報告