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特集 素顔のパラアスリートたち
香西宏昭:ドイツでも活躍、車いすバスケットボールの日本代表エース

吉井 妙子【Profile】

[2018.10.05]

イリノイ大学の車いすバスケットボールチームでキャプテンを務め、卒業後はドイツ1部リーグ・ブンデスリーガでプロ選手として活躍する香西宏昭選手。言葉や文化の壁を越えて鍛え上げた実力で、日本代表チームを引っ張っている。

香西 宏昭

香西 宏昭KŌZAI Hiroaki1988年7月14日生まれ。千葉県出身。先天性両下肢欠損(膝上)。12歳の時に車いすバスケットボールに出会い、名門「千葉ホークス」に参加。同チームで2001年、及川晋平(現日本代表ヘッドコーチ)と出会い、世界へ挑戦するきっかけとなる「第1回札幌キャンプ(現Jキャンプ)」に参加。講師として来日していたイリノイ大学車いすバスケットボール部ヘッドコーチのマイク・フログリー氏と出会う。高校1年生の時にジュニア日本代表に選ばれる。米国で2年半英語を勉強したのち、10年1月にイリノイ大学に編入。フログリー氏の指導の下、車いすバスケットボールの戦略や技術を学ぶ。同年の全米大学選手権優勝。12年、13年には全米大学リーグのシーズンMVPを2年連続で受賞、キャプテンとしてもチームをけん引。13年に卒業後はドイツのBG Baskets Hamburgでプロとして活躍、17年からは強豪RSV Lahn-Dillに移籍。14年、日本での所属チームを千葉ホークスから「NO EXCUSE」に変更。

漫画『リアル』でも注目の車いすバスケ

まさに電光石火――。車いすを操作していた手が瞬時にボールをキャッチ、すかさずゴール目掛けてボールを放つ。車いすバスケットを一度でも見れば、そのスピード感に誰もが圧倒されるはずだ。試合中には接触や転倒が頻繁に起こり、タイヤの焦げたようなにおいが観客席に漂う。

バスケットボール漫画の金字塔『スラムダンク』の作者・井上雄彦が、車いすバスケをテーマにした漫画『リアル』を『週刊ヤングジャンプ』に連載中ということもあり、競技への注目度は高い。

その人気をけん引するのが、日本代表のエースで2013年からドイツ1部リーグ・ブンデスリーガで活躍する香西宏昭選手だ。

上半身で車いすを動かしボールも操るため、胸板の厚さや腕の太さはトップラグビー選手並みに発達している。

2020年への布石=「トランジションバスケ」への転換

2年前、パラリンピック出場3回目となるリオ大会に出場した香西は、メダル獲得に燃えていた。公私ともに尊敬する及川晋平が代表監督に就任し、周りからはベテランの藤本玲央(れお)と共にダブルエースと期待されていた。ブンデスリーガでプロとして活躍しているという自負もあった。

「北京とロンドンではチーム最年少で、自分自身の技術がどれほどのものか、とにかく思い切り力を出し切りたいという意識の方が強く、日本を代表することの重みが分かっていなかったのかもしれません。リオでは2020年東京への前哨戦という意味合いもあったので、勝ち進みたかった。でも、結果が得られなかった。それで、これまでの積み上げではなく、根本から僕もチームも変わらなければならないと実感しました」

リオ五輪の男子1次リーグ・オランダ戦、シュートを決める香西宏昭=2016年9月10日、ブラジル・リオデジャネイロ/ 時事

それまではただスキルのレベルアップに多くの時間を費やしてきたが、リオ大会後はメンタルトレーナー、フィジカルトレーナーなどの分野のプロにも教えを仰ぎ、戦術は攻守の切り替えの速さを追求する「トランジション」を採用。加えて香西は4年間所属したハンブルクからトップチームのランディルに移籍した。全て2020年への布石だった。

こうした取り組みが実り、日本代表は今年6月に東京で開催された「三菱電機ワールドチャレンジカップ」4カ国対抗では、格上のオーストラリア、カナダ、ドイツを相手に優勝をもぎ取った。2年後に向けて、順調な船出を切ったかに見えた。

ところが、その2カ月後の世界選手権(ドイツ)では、日本は9位に沈む。2012年ロンドン、14年世界選手権、16年リオに続く4度目の「9位」だ。香西は無念さを隠さない。

「目標にしていたベスト4には入れなかったが、リオで負けたトルコや強豪のイタリアには勝つことができたので、チームのレベルが上がっていることは確か。負け試合は全て僅差だった。要するにチームにはまだ波があるし、逆転するしぶとさ、逃げ勝つしたたかさが足りない」

車いすバスケのルールは、車いすを使う以外は一般のバスケとほぼ変わらない。圧倒的な強さを誇るのは米国だ。香西が留学したイリノイ大学を筆頭に大学が車いすバスケに組織立って取り組み、「インカレ」(大学バスケットボール選手権)の実施などパラアスリートにとって素晴らしい環境が整っている。米国と並び車いすバスケの発祥の地とされる英国もトップレベル。サッカーのプレミアリーグと同様に各都市にチームがある。海外からのプロ契約選手が多く存在するドイツ、スペイン、イタリア、そして車いすバスケのアカデミーを有するカナダも常に優勝候補に挙げられる。それら強豪国の一角に日本はどう分け入るのか。

「世界選手権では結果が出せなかったが、僕らが追及しているトランジションバスケが間違いではないことは分かった。攻守の素早い切り替えは、器用で俊敏な日本人が得意とするところ。個々がさらに体を強化し、メンタルを整えて行けば2020年には必ずメダルにたどり着くと思います」

12歳で車いすバスケットの世界へ

千葉市出身の香西は、先天性両下肢欠損で生まれた時から膝から下がない。だが学生時代にバスケット選手だった父の影響もあってスポーツ好きな少年だった。ちなみに香西の背番号「55」は子どもの頃から大ファンだったプロ野球選手の松井秀喜にあやかったもの。

12歳の時、地元のフリーペーパーで車いすバスケ体験会の告知を見た母に勧められ、父と参加した。

「普段の車いすより扱いやすいしスピードもあり、ターンもできる。それが面白かった」

主催したのは千葉ホークス。この体験会で香西は当時の主将で現在は日本代表のアシスタントコーチを務める京谷和幸に出会い、「一緒にやってみないか」と誘われる。ちなみに京谷は、元Jリーガーの車いすバスケ選手としても有名だ。そして現日本代表ヘッドコーチの及川が香西少年の練習メニューを組むようになる。香西の生真面目さはその頃から発揮され、及川が「腕立て伏せ、腹筋、背筋を毎日1回ずつ増やして、回数をメールするように」と告げると、香西は忠実に守った。当の及川はその約束を失念し、ある時とんでもない数字になっていることに気付き、慌てふためいたという。

  • [2018.10.05]

スポーツジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に13年勤務した後、1991年からフリーとして独立。同年、『帰らざる季節 中嶋悟F1五年目の真実』(文芸春秋) でミズノスポーツライター賞受賞。人間の未知なる能力を取材テーマにする。『神の肉体 清水宏保』(新潮社、2002年)、『日の丸女子バレー ニッポンはなぜ強いのか』(文芸春秋、2013年)、『天才を作る親たちのルール』(文芸春秋、2016年)など著書多数。

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