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特集 素顔のパラアスリートたち
広瀬悠・順子:夫婦で目指す東京大会パラ柔道「一本勝ち」

吉井 妙子【Profile】

[2018.11.26]

リオデジャネイロ・パラリンピックの視覚障害者柔道で銅メダルを勝ち取った広瀬順子選手は、夫の悠選手のサポートがあったからこそ3位決定戦で踏ん張れたと言う。東京大会に向けて夫婦で切磋琢磨(せっさたくま)する2人にインタビューした。

広瀬 順子

広瀬 順子HIROSE Junko1990年10月生まれ。山口県山口市出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。小5で柔道を始め、高校でインターハイに出場するが、大学1年で膠原(こうげん)病の一種である成人スティル病を患った影響で両目の視力が低下した。2012年視覚障害者柔道に転向。16年リオデジャネイロパラリンピック柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得。日本選手女子のメダル獲得は、正式競技になった04年アテネ大会以来初めて。

広瀬 悠

広瀬 悠HIROSE Haruka1979年7月生まれ。愛媛県松山市出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。8歳で柔道を始め、高校でインターハイに出場するが、2年生の時に緑内障を発症して視力が低下。視覚障害者柔道に転向して2008年の北京パラリンピックに出場、100キロ級5位。米国遠征で順子と知り合い、15年に結婚。16年リオ大会には90キロ級で出場。20年の東京大会に向けて選手兼妻のコーチ役も務め、練習パートナーとして支える。

夫婦で勝ち取ったリオ大会銅メダル

目の前の男女の掛け合いに、ついこちらも頰が緩む。偉丈夫な男性はサービス精神旺盛に言葉を次々に重ね、傍らの笑顔が愛らしい女性は、時折男性にちくりと言葉を投げて軌道修正はするものの、おっとりと構えている。

「質問されているのはおまえやで」「でもやはり、あなたが喋(しゃべ)って」。その夫婦漫才のような絶妙な間合いから感じ取れるのは、2人を結ぶ強い信頼感だ。

今回インタビューしたのは、2016年リオデジャネイロ・パラリンピックの柔道(視覚障害)に共に出場した広瀬悠(はるか/男子90キロ級)・順子(女子57キロ級)夫妻だ。順子は銅メダルを獲得、視覚障害者柔道日本女子で初の表彰台だった。夫の支えがあったからこそだと彼女は言う。「悠さんに取らせてもらったようなものです」

悠がすかさず言葉をつなぐ。「全くその通り!」

順子はリオでメダルが取れるとは思っていなかったと言う。出場資格は世界ランク8位までに与えられるが、順子は当時7位。1回戦は勝利したものの、準決勝でブラジル選手と対戦し、地元選手を応援する会場の熱気に飲み込まれた。黒星を喫した妻の表情を、観客席にいた夫は見逃さなかった。

「会場の大型スクリーンに映される順子を、わずかな光を頼って凝視すると、顔面蒼白(そうはく)になっていることが分かった。それで、3位決定戦が始まる前に彼女の近くまで行き、『組手がおろそかになっている』と声を掛けたんです」

順子は悠の声でわれに返った。一瞬にして、一緒に柔道に取り組んできた濃密な日々がよみがえった。苦しくとも楽しい日々―順子の体にふつふつとエネルギーが湧き上がる。3位決定戦の相手はこれまで一度も勝ったことのないスペイン人選手。だが、得意の一本背負いから、夫に徹底的に教え込まれた寝技に持ち込んでの一本勝ち。まさに、妻と夫の得意技を融合させた勝利だった。

柔道(視覚障害)女子57キロ級3位決定戦で、相手選手を抑え込む広瀬順子(上)=2016年9月9日、ブラジル・リオデジャネイロ(時事)

「天才は、努力家に勝てない」

リオ大会で悠自身は9位に終わった。だが、妻がメダルを取ったのは想定内と胸を張る。「2人一緒の出場が決まった時、夫婦で出るからにはどちらか一人でもメダルを取らなければと思い、僕の練習時間を妻に注ぎました。僕より、妻の方がメダルに近いと考えていましたから」

しかし夫婦といえども、アスリートである以上、妻の成績より自分の結果にこだわりを持つはずだ。悠が苦笑いする。

「僕はあまり自分に興味がないというか…。というより、僕らが追及する “楽しい柔道” を世間に広めるには、どちらかがメダルを取らなければと考え、可能性の高い方の妻に賭けました」

そしてもう一つ、悠にはない強さを順子は持っている。ブラジリアン柔術、総合格闘技の選手でもある悠は、器用な天才肌。一方の順子は、大量の汗を流しコツコツと技を積み上げる努力家。「天才は、努力家に勝てないのが世の常」と悠が言う。

「しかも順子は、どんなに勝っても 『もっと教えて、もっと教えて』としつこい。4月にトルコで開催されたワールドカップで優勝した直後も、そう言ってきた。世界一の人に教えることはないよと言っても 『もっと』 って。僕が世界一になったとしたら、その直後は絶対練習する気にはなりませんね」

順子=大学1年で視力障害に

山口県山口市で生まれた順子は少女マンガ『あわせて一本!』に影響され、小学校5年生の時に柔道を始める。遅いスタートだったが根っからの努力家肌で練習に打ち込み、高校時代にはインターハイに出場。だが、大学1年で膠原(こうげん)病の一種、成人スティル病を患い視界が徐々に狭まった。

「医者からは膠原病が治れば目も治ると言われていたのですが、結局、視力は戻らなかった。でも、事故などで一挙に失ったわけではなかったので、そんなに落ち込むことはありませんでした」

ただ、行動範囲は極端に狭くなった。

2012年のある日、知人に頼まれて同年のロンドン大会で金メダルを獲得したゴールボール(視覚障害者の球技)チームの手伝いに行き、選手たちのはつらつとした動きに心を揺さぶられた。「私もスポーツがしたい!」そう思った途端、畳の匂いや汗が染み込んだ柔道着の感触がよみがえり、再び柔道に取り組もうと視覚障害者柔道に転向を決める。

「あの頃、このままでは自分の人生が先細りになってしまうという恐怖があった。でも、ゴールボールを見てから後ろ向きの自分に決別し、柔道で新たな自分の人生を切り開いてみようと考えました」

大学卒業後は、東京の大手損保会社に勤務しながら、練習に精を出した。

  • [2018.11.26]

スポーツジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に13年勤務した後、1991年からフリーとして独立。同年、『帰らざる季節 中嶋悟F1五年目の真実』(文芸春秋) でミズノスポーツライター賞受賞。人間の未知なる能力を取材テーマにする。『神の肉体 清水宏保』(新潮社、2002年)、『日の丸女子バレー ニッポンはなぜ強いのか』(文芸春秋、2013年)、『天才を作る親たちのルール』(文芸春秋、2016年)など著書多数。

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