観世清和インタビュー① 哀悼の意をもって能を舞う

600年以上の伝統を誇る、能の代表的な流儀、観世流の二六世家元、観世清和氏が今回の震災について語る。死者の世界から現世を眺めるという視座に立つ能の舞台には全て鎮魂の思いが込められているという。

600年以上の伝統を誇る、能の代表的な流儀、観世流の二六世家元、観世清和氏が今回の震災について語る。死者の世界から現世を眺めるという視座に立つ能の舞台には全て鎮魂の思いが込められているという。

室町時代に生まれ現代に継承されてきた能は、世界に誇る日本の古典芸能の一つだ。2001年にユネスコの無形文化遺産にも登録されている。能には20以上の流派があるが、中でも能の大成者である観阿弥・世阿弥親子の流れをくむ観世流は最も有名で代表的な流儀として知られている。観世流の家元は、今回の震災をどうとらえたのだろうか。

―地震が起きた時の様子をお聞かせください

東京千駄ヶ谷の国立能楽堂に向かう車の中におりました。電線が大きく揺れているのを見て、これはただ事ではないと思いました。空を見ると、晴れているけれど、どんよりとしていて、不吉な胸騒ぎを覚えました。その空の表情は、阪神淡路大震災の時に眺めた空と同じものだったからです。

―阪神淡路大震災の時に、関西にいらしたのですか

神戸で能を舞った後、ホテルに宿泊しておりました。なぜか地震の数分前に目が覚めてしまい、突然、下から突き上げられる強烈な力に襲われました。一瞬、ガス爆発が起きたのではないかと思いました。とにかく凄い破壊力で、部屋の中をベッドごと吹き飛ばされてしまいました。

―今回の震災が起きた時に真っ先に感じたことは

ああ、これは大変なことになったな、というのがその時に感じたことです。神戸の悲惨な状況をつぶさに見ていましたから、被災地の様子をかなりリアルに想像することができました。震災直後の被災地というのは、日常性がすべてはく奪された不条理な世界です。一人ひとりが突然丸裸にされ、とにかく生きることだけを支えにやっていかなくてはなりません。震災が起きた時、私にはそうした人々の姿が脳裏を駆け巡りました。

―今回の大地震が起きた後は、どうされていたのですか

急きょ自宅に戻り家族の安否確認を行ってから、再び国立能楽堂に向かいました。能楽堂では、余震が収まるまで建物の外に退避し、しばらくしてから稽古を始めました。こんな時だからこそ、能を舞おうではないかと関係者で話し合い、いつも通りに稽古をしました。

翌日は大阪で舞台がありましたので、最終便で伊丹空港に向かいました。大阪では何もなかったように、ごく普通の日常がありました。舞台の後で、「大震災の後で、どのような気持ちで舞台に立たれたのですか」と、お客様の一人に聞かれましたので、「哀悼の意をもって能を舞わせていただきました」とお答えしました。

能はどんな曲であれ、すべてがレクイエム(鎮魂歌)です。華やかで、楽しい能であっても、その根底には、常に鎮魂の思いが込められています。なぜ鎮魂の芸能であるかというと、死者を重要な登場人物とする世界の演劇史上例をみない演劇だからです。死者の世界から、現世を眺めるという視座が能の舞台を支配しているのです。(続く)

(4月1日インタビュー)

バックナンバー

観世清和インタビュー「鎮魂の舞」

第2回「義援能を舞う」
第1回「哀悼の意をもって能を舞う」

観世清和

Kanze Kiyokazu

1959年、二十五世観世左近の長男として生まれる。5歳で初舞台を踏む。90年、家元を継承し、二十六世家元となる。96年、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。99年、フランス芸術文化勲章シュバリエ賞を受賞。フランスはじめ、アメリカ、インド、中国などで海外公演も積極的に行う。重要無形文化財(総合指定)保持者、(社)観世会理事長、(財)観世文庫理事長。