オリンパス事件と日本メディアの責任
マスメディアはチェック機能を果たしているか

山口 義正【Profile】

[2011.12.27] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

20年以上にもわたる不正経理が明るみに出たオリンパス事件を契機に、改めて日本企業のコーポレート・ガバナンスが議論されている。しかし問われるべきは、企業の責任だけなのだろうか。事件を雑誌『FACTA』で最初に報じた経済ジャーナリストが考察する。

オリンパスのマイケル・ウッドフォード元社長が10月14日に電撃的に解任された直後から、筆者は国内外のメディアから多くの取材を受けるようになった。筆者が月刊誌『FACTA』8月号でオリンパスの不明朗なM&A(企業の買収・合併)を指摘したことがウッドフォード氏の口から語られ、一連の騒動のきっかけになったためだ。

そのころ、海外メディアの記者から言われて驚いたのは、“オリンパス事件”が欧米では連日トップニュースとして扱われ、時にはニュース速報さえ流されていたことだ。日本企業のニュースでありながら、国内と海外で扱いの大きさが完全に逆転していたのである。特に欧州は信用不安問題に揺れている最中であるにもかかわらずだ。

主要誌に無視された記事企画

実は筆者は『FACTA』誌でこの問題を最初に報じた後、経済誌をはじめ、一般週刊誌、新聞社系の週刊誌など、国内の主要数誌にオリンパスの記事を書かせて欲しいと持ちかけた。阿部重夫『FACTA』編集長から「こうした大きな問題は多くのメディアで追いかけないと、取り逃がしてしまう恐れがある。君は『FACTA』以外の雑誌でも書くべきだ」と勧められていたからだ。

しかし結果は哀れなものだった。各誌に送った企画書には、さまざまな証拠資料を集めてあることや、いずれ大きな経済事件に発展する可能性があることを明記したが、どの雑誌もこれを無視した。一部を除いて「企画を採り上げない」との連絡を寄こすことさえなかった。

こうした不作為の結果は明らかで、ウッドフォード氏に「怖かったのは、日本の主要なメディアがオリンパスについて報じようとしなかったこと」とまで言わしめた。その後、ウッドフォード氏が日本のメディアに対しても分け隔てなく取材に応じている様子を見るにつけ、彼が内心どう思っているのか、今も気になって仕方がない。

事件の発展後に来日したウッドフォード元社長のもとに殺到したメディア。積極的に取材に応じたウッドフォード氏だが、胸中はいかに。(写真提供=産経新聞社)

メディアも捜査当局も海外に出遅れた

各社の編集判断に負うことであるため、ボツになった理由は分からないが、推測は容易である。捜査当局が実際に捜査に乗り出すなど、問題が公式に事件化し、オーソライズされなければ訴訟リスクにさらされるからであろう。ウッドフォード元社長が解任された後、すぐに日本を離れたために居場所の特定が難しかったことや、メディアにとってオリンパスが広告宣伝費をふんだんに使う上得意であることも影響しているかもしれない。

日本の報道機関は完全に出遅れた。英国の有力テレビ局が取材班をしつらえて、わざわざ日本に送り込んだのとは対照的だった。また、捜査当局も英米に比べて着手が遅れた。そのため、官公庁や捜査当局のリークに頼ることが多い日本のマスメディアもそのおこぼれにあずかることができず、取材が早々と行き詰まったようだ。すでに事件が国内でも広く報じられるようになった11月に入ってからも、さらに2~3の国内有力メディアがひそひそ声で「完全に取材が行き詰まってしまった。情報を欲しい」「情報交換に応じてくれないか」と筆者の携帯電話を鳴らしてきたほどである。

取材の徹底がメディアのリスク管理だ

どの業界でも、その道のプロは自分たちでリスクを負い、負うばかりではなくリスクの低減を図るものだ。マスメディアの場合、リスクの低減とは“あえて目をつぶり、報じない”のではなく、“訴訟にも耐えられるように十分取材する”ことでなければならないはずだ。

経営トップの暴走を許したオリンパスの取締役や社外取締役、監査役が「チェック機能を果たさなかった」として責められるなら、事件を調べようとせず、問題に正面から対峙しようとしなかった日本のマスメディアがチェック機能を果たさなかったことも責められるべきだろう。

志を持つ個人に応える存在になれるか

偉そうなことを言うつもりはない。少しだけ内幕を明かせば、筆者がオリンパスの問題を記事にすることができたのは、複数の献身的な情報提供者が次々に現れる幸運に恵まれたからに過ぎない。彼らは互いに見ず知らずの間柄だが、口ぐちに「オリンパスをもっと良くしたい」「このままではあの会社は10年も持たない」と筆者に訴えた。彼らは問題意識や志を持った“個人たち”であり、筆者に情報を提供しても1円の得にもならない立場なのだ。「お礼に食事でも」と誘ってみても、はねつけるような勢いで「とんでもない!」

もちろん情報提供者たちにも守るべき生活があり、家族がある。内部情報をジャーナリストに打ち明けることで、自身の立場を危うくする恐れは大きかった。その不安は相当なものだったに違いない。ある情報提供者は深夜2時、3時に筆者の携帯電話に「家族の寝顔を見ていると、将来の不安ばかり募る」とメールを送ってきたことがあったほどだ。

オリンパスの暴走を主導した旧経営トップが退陣に追い込まれた今、もはや勝利といっていいだろう。しかしこれを「ペンの勝利」とは呼べない。「志を持った個人たちの勝利」なのである。

今のマスメディアがこうした志をぶつけたり託したりするに足る存在であるかどうか。そして報道の第一線で働く個々の記者たちが、そうした志を持っているかどうか。オリンパス事件はさまざまな問題を暴きたててしまっている。

(2011年12月16日記)

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日本公社債研究所(現格付投資情報センター)アナリスト、日本経済新聞証券部記者などを経て、経済ジャーナリスト。

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