武器輸出三原則の見直し

村山 裕三【Profile】

[2011.12.28] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

今回で戦後3度目となる武器輸出三原則の見直しであるが、過去2度の見直しとは何が異なっているのか?武器輸出三原則見直しの軌跡をたどるとともに、今後のあるべき方向性を展望する。

本格化する三原則見直しの動き

民主党の前原誠司政調会長は、2011年9月にワシントンで講演を行い、武器輸出三原則の見直しにより、日本の防衛産業を武器の国際共同開発や生産に参加させていく必要性を訴えた。その後、問題は民主党から政府へと移され、野田政権は2011年11月、党からの要請を受ける形で、外務、防衛、経産省の三副大臣による武器輸出三原則の見直しに関する検討会議を立ち上げた。

2010年12月に発表された新たな防衛計画の大綱の策定時には、武器輸出三原則の見直しが盛り込まれる機運があったが、社民党の反対を受け、当時の菅政権は、社民党の政治協力を必要としたことから、これを明確な形で大綱に書き入れることを見送った。一方、新大綱では、防衛産業・技術基盤の「選択と集中」の必要性が指摘され、これを受けた防衛省は、2010年12月に有識者による「防衛生産・技術基盤委員会」を発足させた。同委員会では、武器輸出三原則に関する議論も行われ、中間報告(2011年7月)では、防衛生産・技術基盤を維持、育成するために、武器輸出三原則の見直しが必要な施策であるとした。

このように、武器輸出三原則をめぐる動きが活発化しているが、この見直しが実現するならば、戦後3度目のことになる。注目しなければならないのは、今回の見直しは過去2度とは背景を異にする点である。本稿では、現在進行中の見直し論への軌跡をたどるとともに、見直しのあるべき方向性を展望したい。

武器禁輸国の誕生

武器輸出三原則は、1967年、衆議院決算委員会において、平和憲法の精神を盾にした野党からの追及を受けた佐藤首相により表明された政策であり、1)共産国、2)国連決議により武器等の輸出が禁止されている国、3)国際紛争の当事国又はそのおそれのある国に対する武器輸出を認めないとするものである。1976年には、三木首相が武器輸出についての政府統一方針を衆議院予算委員会に提出し、「三原則対象地域については、“武器”の輸出を認めない」ことを確認するとともに、「三原則対象地域以外の地域については、憲法及び外国為替及び外国貿易法の精神にのっとり、“武器”の輸出を慎むものとする」ことが表明された。これにより、日本からの武器輸出は実質的に禁止され、武器輸出三原則は武器禁輸政策となるに至った。

案外知られていないが、それ以前の日本は武器輸出を行っており、1950年代には、タイ、ビルマ、台湾、ブラジル、南ベトナム、インドネシアなどの地域に、鉄砲や鉄砲弾の輸出をしていた。また、米国向けにも、若干数ではあるが、護身用のピストルが輸出されていた。一時は、日本の防衛産業を輸出産業として育てる機運さえ生じていたが、大蔵省による健全財政を求める動きと、その後の武器輸出三原則の表明により、日本は武器禁輸国となったのである。

対米配慮と三原則の見直し

武器輸出三原則の見直しは、日本の急速な経済成長と技術力の向上とともに図られてきた。その背景には、1970年代後半に、米国が同盟国から軍事に関連した技術移転を求める方針を打ち出し、この交渉が技術発展著しい日本に対しても行われたということがある。政府は、武器輸出三原則と、同盟国としての米国への協力のはざまで苦慮することになったが、1983年には、日米相互防衛援助協定の関連規定に基づく枠組みのもとで、米国への武器技術供与を実施することが閣議で了解された。

武器輸出三原則は、2000年代に入って再び見直されることになる。1990年代前半より、日米間ではミサイル防衛に関する協議が行われてきたが、1998年8月の北朝鮮によるミサイル試射を契機にこの協力が具体化し、政府は、1998年12月、弾道ミサイル防衛(BMD)に関する日米共同技術研究を行うことを正式決定した。その後、日米共同技術研究の進展により共同開発の段階が近づき、また、米国のミサイル防衛の開発・生産システムの国際的な展開という変化も加わった。これにより、米国のBMDプログラムに引き続き参加するためには、日本が開発した部分が輸出される可能性について、視野に入れざるを得なくなった。

このような環境変化を受けて、2004年12月、日米安全保障体制の効果的な運用と日本の安全保障に資するという観点から、BMD分野については「武器輸出三原則等によらないこととする」という決定がなされ、官房長官談話の形で発表された。これに伴い、米国とのその他の共同開発・生産案件やテロ・海賊対策支援などについても、個別案件ごとに検討され、結論が出されることになった。

動的防衛力と防衛産業の惨状

このように、武器輸出三原則の制定とその後の見直しの歴史を振り返ってみると、今回は、戦後3度目の見直しに向けた議論となる。以前の見直し論では、日米安保体制の効果的な運用への配慮が大きな影響を与え、平和国家としての理念を確保しながらも、日米同盟を維持するために見直され、この2つの要素のバランスを図る努力が払われた。

他方、今回の見直し論は、過去の論議と比較して、国内的な事情がより大きく働いている。

昨年12月に発表された新たな防衛計画の大綱では、従来の基盤的防衛力に代わる「動的防衛力」という考え方が新たに打ち出され、緊張が高まるアジア太平洋地域の安全保障環境を背景に、「事態に迅速かつシームレスに対応」し、「実効的に対処し得る防衛力」を構築してゆくことが示された。このような防衛力を構築するためには、日本の防衛産業がそれを下支えする必要があることは言うまでもないが、問題はその防衛産業の弱体化にあった。

主要防衛装備品の契約額は、過去20年間に1兆727億円(平成2年度)から6,837億円(平成22年度)へと低下する一方で、冷戦後に海外で進展した防衛産業の再編が日本では行われなかった。その結果、縮小する装備品契約額を多くの企業が分け合う結果を招き、防衛関連事業の採算は悪化するとともに技術基盤を支える中小企業は、防衛市場からの退出を余儀なくされ、防衛産業基盤は危機的な状況に陥った。

このような惨状にもかかわらず、日本の防衛産業は、武器輸出三原則が存在するために、現在主流となっている武器の国際共同開発・生産に参加できない状況になっている。これに加えて、日本の活動が拡大しつつあるテロ・海賊対策や平和構築・維持分野などで使用できる装備品の開発強化や、海外移転のニーズも相まって、今回武器輸出三原則の見直しが叫ばれるようになったのである。

あるべき見直し論の方向性

今回の見直し論の背景には、引き続き、日米安保関係の強化の視点も存在するが、より大きな要因は日本の国内事情にある。このため、日本の防衛技術の発展の在り方や、日本の国際的な兵器拡散に対する姿勢、国際貢献の在り方なども含めた視点から論議を深めることが必要であろう。

例えば、私見ではあるが、対テロ、平和構築、災害対策などの安心・安全目的や軍事に使われる技術・機器の内で、「守る」部分を切り分け、この分野に関しては技術開発を強化するとともに、武器輸出三原則を緩和し、輸出も自由に認める方策も一考の価値があるように思われる。武器輸出三原則の見直しと、「守る」方向への技術の展開は、日本の基本政策である専守防衛にも合致するし、新大綱が掲げる人道支援・災害救援、平和維持、海賊対策や人間の安全保障などに対し、日本の技術力を活用させる方向への転換となる。また、輸出を許可した製品に関しては、輸出先を厳格に確かめる形で輸出管理を強化すれば、武器輸出三原則の見直しに伴う兵器の拡散も防げる。これは日本の安全保障に合致した技術の展開となるし、科学技術創造立国を掲げる日本が、安全保障分野においても一本の理念を通すことにもなるだろう。

12月12日に開催された武器輸出三原則の見直しに関する副大臣級会合では、平和構築・人道目的や国際共同開発・生産への参加などに限り、三原則の例外として認める方針を固めたとされる。今回の見直しの議論は、三原則の例外化といったレベルではなく、日本の安全保障の形をも見据えた、より骨太の視点からの議論が望まれる。(※)

写真提供=防衛省

(2011年12月13日記)

(※)^ 12月27日、政府は首相官邸で安全保障会議を開き、武器輸出三原則の事実上の緩和を決定。国際共同開発・生産への参加と、平和構築・人道目的での装備品供与を例外として認める新しい基準を設定し、閣議に報告した。また同日、藤村修官房長官が記者会見で談話を発表した。

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  • [2011.12.28]

同志社大学大学院ビジネス研究科教授。防衛省防衛生産・技術基盤研究会委員。 1953生まれ。1975年同志社大学経済学部卒業、1980年ワシントン大学経済学部大学院修士課程修了、1982年同博士課程修了(Ph.D.)。野村総合研究所経済調査部副主任研究員、大阪外国語大学助教授などを経て2004年から現職。企業の社会的責任、経済安全保障、技術政策、文化ビジネスを専門とし、2009年からは同研究科長を務める。 主な著書に、『経済安全保障を考える:海洋国家日本の選択』(NHK出版、2003年、国際安全保障学会加藤賞)、『テクノシステム転換の戦略:産官学連携への道筋』(NHK出版、2000年、フジタ未来経営賞)がある。

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