シャープと鴻海の提携交渉の啓示

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台湾企業による日本の大手ブランドの救済。一昔前には考えられないことだが、これが日本の電機業界の現状だ。台湾の鴻海精密工業とシャープの提携交渉もその一つ。アジア経済研究所の佐藤幸人氏が分析する。

株価急落で交渉足踏み

2012年3月末、シャープと台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の業務および資本提携のニュースが日本を駆け巡った。事実上、鴻海によるシャープの救済だったため、大きな衝撃を与えることになった。そこからは日本のエレクトロニクス産業が陥った袋小路、台湾など新興国企業の台頭、そして新しいバリューチェーンの模索が見えてくる。

シャープにとって赤字の元凶となっている大阪・堺工場の株式約40%は、鴻海のオーナー経営者である郭台銘(テリー・ゴウ)会長がすでに660億円でシャープから買い取っている。シャープ本体にも鴻海グループが10%弱出資し、実質的に最大の株主となることになっていた。しかしその後、シャープの株価が大幅に下落したことによって、両社の交渉はこう着状態に。郭会長が8月末に来日したが、妥結には至らず、郭会長は記者会見もキャンセルしてしまった。11月に入っても交渉の進捗を伝える報道はなく、シャープ本体への出資はいまだ行われていない。

シャープ“転落”の背景

数年前まで優良企業とみられていたシャープが今日の苦境に陥った背景には、シャープそして日本エレクトロニクス産業のビジネスモデルが有効性を失ったことがあるといえよう。日本のエレクトロニクス産業は優れたデバイスを開発し、それらを使って他にはない製品を供給することで発展してきた。

シャープの液晶テレビはその代表である。しかし、シャープの差別化に対して、多くの消費者はより高い価格を払おうとはしなくなっていった。今、消費者が喜んで対価を払うのは、米アップルのiPhoneやiPadのようにインターネットと快適につながる製品や、それを通して得られるアプリなどのコンテンツである。その上、韓国や台湾の急追もあって、液晶パネルも液晶テレビもコモディティ化が急速に進行した。こうして自社製の液晶パネルを使って差別化された液晶テレビを製造し、プレミアム付きの価格で販売するというシャープのビジネスモデルは立ち行かなくなっていった。

シャープ自身もそのことを理解していた。外販に重きを置くことを前提に、世界最高の生産効率を達成しうる第10世代の液晶パネル工場を堺に建設し、ライバルに優位に立とうとしたのである。それは同時に、自社の液晶テレビを戦略上副次的なポジションに置くという決断だったはずだ。ところが、シャープは好況になるや、液晶パネルの社内への供給を優先したといわれる。外販戦略を徹底しなかったシャープから顧客は離れていった。2011年に入って世界的な不況が深刻化し、円高が進行すると、堺工場の液晶パネルは行き場を失い、巨額の損失を生み出すことになったのである。それゆえ、堺工場の切り離しはシャープにとって急務だった。

シャープの危機はこれにとどまらない。シャープはスマートフォンやタブレットPCの成長によって需要が増している中小型の液晶パネルを軸に、経営の建て直しを図ろうとしている。特にシャープは「IGZO」という優れた液晶技術を持っている。しかし、現在までのところ、IGZO技術を使った量産が軌道に乗らないとみられ、本体の再建もめどが立っていないのだ。

鴻海のEMSビジネスも頭打ち

一方、鴻海にとってもシャープとの提携は簡単に放棄できるものではない。それには鴻海の成長の持続がかかっているからである。鴻海は1970年代に郭会長が設立した部品メーカー。飛躍的に成長するのは、1990年代に中国工場でパソコンの受託製造を始めてからである。その後10年余りで、あらゆるエレクトロニクス製品の製造を受託するようになり、今日では世界最大のEMS(受託生産サービスを行う企業)と呼ばれている。しかし、自社ブランドを持たず、黒子に徹しているため、3月にシャープとの提携交渉が発表されるまで、多くの日本人は鴻海の名前すら聞いたことがなかっただろう。

鴻海のビジネスモデルは、その規模の大きさと中国における低コストの生産を強みの源としている。しかし、鴻海のモデルはほぼ限界まで発展している。すでに数多くのエレクトロニクス製品を受託製造する鴻海にとって、水平的に事業分野を拡大していく余地は大きくない。さらに深刻なのは、低コストを支えた中国の低賃金労働力が失われつつあることである。近年、鴻海の収益性は徐々に低下する傾向にある。一時的あるいは循環的な原因もあるだろうが、今述べたような構造的な要因も働いていると考えられる。

鴻海もこのような課題に対して、手をこまねいているわけではない。すでに流通へ進出するなど、事業を拡大しようとしている。EMSの鴻海が自社ブランド製品を開発すれば、顧客と衝突するため、そこは回避したのである。一方、生産においては、中国の沿海地域よりも賃金水準の低い内陸へとシフトを進めている。しかしながら、いずれも限界がある。鴻海の流通分野での優位性は未知数であり、内陸へのシフトは一時しのぎにしかならない。

狙いはアップルからの受注増

鴻海のビジネスモデルが進化するもう一つの途は、受託製造を垂直統合的に深耕すること、つまり部品の供給によって獲得する付加価値を積み増すことである。もともと部品メーカーの鴻海は、これまでも利益の相当部分を部品の供給によって稼いできたといわれている。部品コストの中で大きな割合を占める液晶パネルが加われば、鴻海のモデルは大きく増強される(※1)。実際、鴻海はシャープ以前にも、日立の液晶パネル部門にアプローチしている。

具体的なターゲットは最大の顧客、アップルである。鴻海はすでに液晶パネルを製造する子会社を持っているが、アップルの要求に応える能力はない。要求を満たすことのできるシャープの中小型パネルを組み込むことによって、鴻海はアップルとの連携を強化し、さらなる発展を期することができる。しかも、アップルはスマートフォンやタブレットPCの競争相手である韓国・三星電子からの部品調達を減らそうとしており、実際、鴻海とシャープの提携交渉はアップルの示唆によるともいわれている。いずれにせよ、三星電子をライバル視する郭会長にとっては、シャープを欠かすことはできない。

鴻海の打った次の一手

先に経営権を手に入れた堺工場に対しては、鴻海がすでに建て直しに着手している。堺工場に必要なことは製品の出口を確保し、稼働率を引き上げることである。鴻海の傘下に入ってから堺工場の稼働率は上昇しているといわれるが、郭会長はさらに手を打った。堺工場製のパネルを使った60インチの液晶テレビを、従来の半値以下の価格で売り出したのである。60インチのテレビは顧客から受託したものではなく、鴻海自身が主導して開発している。

この戦略から、鴻海の新しいビジネスモデルの可能性と課題が浮かび上がってくる。新モデルでは液晶パネル工場が要となるが、顧客からの受託だけではその大きなキャパシティーを必ずしも消化できず、自ら需要を開拓しなければならないからだ。

そこで生じる問題が二つある。第1は顧客との衝突の可能性である。鴻海は60インチ・テレビを「ノーブランド」で販売することで衝突を避けようとしている。第2は、鴻海がこれまでに経験の薄い一般消費者に対するマーケティングにも取り組まなければならないということである。その成否はこう着したシャープとの交渉にも少なからず影響を与えることになるだろう。

(※1) ^ 一部には鴻海がシャープから手に入れたいと考えているのは液晶パネルではなく、総合的な開発能力だといわれている(大槻智洋「ホンハイ、シャープ提携の真実―量産偏重から脱却狙う―」『日経ビジネス』2012年5月21日、同「命運を握る鴻海グループの正体」『週刊ダイヤモンド』2012年9月1日)。いずれにせよ、受託製造の垂直統合的な深耕を目指していることになる。

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