ランニングはブームを超え、ライフスタイルになった

辰濃 哲郎【Profile】

[2013.02.21] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية |

東京マラソン開始以来、ランナーが街を駆ける姿は日常風景になった。日本全国に広がるランニング熱の現状と背景を、自らもランナーであるノンフィクション作家の辰濃哲郎氏が分析する。

1000万人とも2500万人ともいわれるわが国のランニング人口だが、日本ではブームという域を脱し、すっかりライフスタイルのひとつになっている。なぜ日本でランニングが定着したのだろうか。実は、ランニングには、日本人になじみやすい要素が備わっていることに気付く。またそのことが、日本に新しい価値観をもたらしている。ランニングを深く掘り下げていくと、社会的な背景も垣間見えるから面白い。

スポーツクラブからロードへ

私が走り始めたのは、17年前だ。たるんだ体を絞りたいという目的で、スポーツクラブに通い始めたのがきっかけだった。ランニング用のトレッドミルで最初は10分、やがて30分、さらには1時間以上、走れるようになった。ミルには走った時間とスピード、距離が表示される。それを見ながら、「このスピードでフルマラソンに挑戦したら何時間かかるか」。そんなことを妄想しながら走るのが楽しかった。

その2年後、友人に誘われて沖縄・那覇市で開かれた「NAHAマラソン」に出場した。初めは快調だったが、32キロ地点で足が動かなくなり、私の初挑戦はあえなく未完に終わった。棄権者を拾う収容バスは、志を果たせなかった者たちの重い空気が漂っていた。そのとき気付いたことがある。ミルでは、フルマラソンを走るだけの足の筋肉は、鍛えられないということだ。

棄権したことが悔しくてリベンジを誓い、私はロードに出た。勤めていた会社からレインボーブリッジまでの往復7キロを週2~3回ほど走った。もちろん翌年のNAHAマラソンでは、完走を果たした。

私は決して早いランナーではない。スピードを追求するランナーからすれば、さげすまされそうな記録だが、フルマラソンを4時間台後半で走る。ハーフマラソンだって、2時間を切るのがやっとだ。

ブームを確固たる地位に押し上げた東京マラソン

私のタイムが、17年前からほとんど進歩していないのとは裏腹に、周囲のランニング環境は劇的に変わった。

かつては街を走っていて、他のランナーと出会うことはまれだった。駒沢公園(東京・世田谷区)や皇居などの人気スポットには、それなりにランナーがいたが、それでもまばらだった。街なかでもランナーの姿を見かけるようになったのは10年ほど前からだ。2007年に東京マラソンが開催される少し前になる。

ランナーが増えたのには3つの理由がある。(1)スポーツクラブで走る喜び、汗をかく心地よさを知ったランナーが、ロードに出た、(2)健康ブームで、ダイエットも兼ねて走り始めた、(3)女優やモデルの走る姿が紹介されるなどして、かっこ悪いというランニングのイメージが変わった――。

そして、東京マラソンでブームは確固たる地位を築き始めた。東京マラソンが始まってから、東京の街なかを走っていて、ランナーと出会わないことがない。

ランナーのメッカともいわれる皇居外周は、1周5キロのコースに列ができるほどの人が走っている。「ノー残業デー」の水曜日は特に混雑する。以前は、皇居で走った後は、近くの銭湯で着替えて汗を流していたが、東京マラソン以降、ランナー向け施設が乱立するようになった。着替えだけでなく、シャワーを浴びたり、靴、タオルなどを借りたりできる。こういった施設が皇居周辺に少なくとも40カ所くらいはあるだろう。

最近は、帰宅ランといって、リュックサックを背負って職場から自宅まで走って帰る人も増えている。

私は、ランニングが日本で初めてライフスタイルの中に取り入れられたのは、実は沖縄だと思っている。1995年に沖縄に1カ月ほど滞在した際、暑いのにランナーの多いことに驚いた。米軍基地を抱える沖縄では、米国人に倣って、走る習慣を持つ人が少なくなかった。1985年に始まったNAHAマラソンは、昨年で28回目を迎えた、いわばフルマラソンの老舗だ。ランナーが多いから、沖縄には他県と比べてもマラソン大会が多い。

東京マラソンが始まったころは、まだ沖縄や東京という特定の地域でのブームだった。大阪へ出張に行ったとき、大阪城公園を走ったことがある。距離表示もなければ、走っている人もほとんどいない。他の地方都市も同じだ。街を走る人の姿を見かけることはまれだった。しかし、2011年に大阪と神戸、2012年に京都でマラソン大会が開催されると、ブームは着実に全国に広がっていった。いまでは、日本中、どこへ行っても街でランナーにお目にかかることができる。

私たちは、なぜ走るのか

走ることは、人の体だけでなく、心にも影響を与えると私は思う。

なぜ走るのかを、私はよく人に尋ねる。初めは健康やダイエット目的の人が多い。だが、これが微妙に変わり始める。

走る行為はそれなりに苦しい。心に鬱積したものがあったり、ストレスがたまっていたりしても、走る苦しさと比べると、それらの悩みが、どうでもいいことに思えてくるから不思議だ。何より、前向きに考えることができるようになる。このストレス社会のなかで、走る行為が、その解消にひと役買っているのは間違いなさそうだ。

また、走る苦しさは、日本人の気質によく合っている。

日本のどのスポーツも、戦前の「武道」の影響を少なからず受けている。勝利も大切だが、何より大切なのはそこに至る過程とされた。どれだけ苦しい練習を耐え抜いてきたかが重視され、そのことによって精神を鍛える。野球もサッカーもラグビーも、どれだけ練習を積むかが問われた。

マラソンブームが広がったのも、そういった面が否めない。寒い冬の朝や、暑い夏に走るのはおっくうだし、尻込みする。それでも走るのは、勤勉な国民性と、自分を律して練習に打ち込むという旧来型の「武道」の精神を受け継いでいるからだと思う。

ラン友(ランニング通じた友人)のなかには、毎日走っている人が少なくない。朝と晩、2回走っている人もいる。深夜に酩酊(めいてい)して電車を乗り過ごしてしまい、自宅まで50キロの道のりを走って帰るランナーだっている。彼らはフルマラソンを2時間半から3時間半で走る人ばかりだ。そういった市民ランナーの代表が、2月3日の別府大分毎日マラソンで優勝した川内優輝選手(埼玉県庁職員)だ。

ランニングを通じた新たな集団と価値観の形成

一方、ランニングは、日本に新しい価値観をもたらしている。

日本は長らく、どこの大学を出て、どこに勤めているかが重視される学歴・職歴社会だった。だが、バブルの崩壊でその価値観が若者の間で覆り、フリーターという新しい人種が生まれ、そのなかから、社会における成功者が生まれてきた。

ランニングの世界に入って気付いたことがある。ランナー仲間に仕事内容や出身大学を尋ねられることが、一度もない。学歴や職歴は、走るという行為には全く関係がないからだ。

さまざまなチームがあり、フェイスブックなどで、その輪がどんどん広がり、頻繁に飲み会が開かれても、そこにあるのは「走る」という共通の趣味だけだ。それが終われば、また自分たちの世界へと戻っていく。

他のスポーツは、地域や職場単位のチームで行われることが多いのに対し、従来の地域や職場への帰属意識を超えた、新しい集団や価値観が、ランニングを通して生まれつつある。

「来てくれて、ありがとう!」に涙

特筆すべきことが、もうひとつある。大会での応援だ。

私は1998年以降、毎年NAHAマラソンにエントリーしている。それには、訳がある。沿道の応援がうれしいのだ。まず人が途切れることがない。暑いので、ビニール袋に入れた氷を用意してくれている。頬張っても息が苦しくないように、氷を細かく砕いてくれる心配りもありがたい。塩、あめ、スポーツゼリーやコーラ、沖縄そば、なかには泡盛を差し出す人もいたのには驚く。

スピードを競わない市民ランナーの楽しみは、こういった沿道との触れ合いだ。

最近、仮装ランナーが増えているのも、沿道を意識したものだ。アニメの主人公の着ぐるみやアイドルグループを模したコスプレ姿で走っていると、応援するほうも楽しめる。

今年2月10日、「いわきサンシャインマラソン」で42.195キロを走ってきた。東日本大震災で原子力発電所が暴発して放射線の被害を受けている福島県いわき市で開かれた。私が所属するチーム「砂時計」のメンバーは、いわき市にあるスパリゾート・ハワイアンズで有名なフラダンスにちなんで、3人の男女がフラダンサーのような腰巻きをまとって走った。その後ろを「忘れない いわき」のプラカードを持った男性ランナーが走る。おそろいの赤いTシャツには、「東北に思いを馳せて、私は走る。」と書かれている。

ゆっくりのペースで6人が集団で走った。沿道から声援が飛ぶ。おばあちゃんが、身を乗り出すようにして「頑張れ!」と手を振る。こちらも負けずに振り返す。何百人とハイタッチをしただろう。

そして、こんな言葉をかけられた。

「来てくれて、ありがとう!」

私は思わず、涙腺が緩んだ。放射線が不安なところに、走りに来てくれた私たちへの感謝の気持ちだ。そんな言葉、これまでかけられたことはない。

女性ランナーのひとりは、沿道から紙に包んだあめをもらった。開けてみると、こんな言葉が書かれていた。

「あなたの勇気 ありがとう けがのないようにね」

逆に、勇気をもらった。

(2013年2月18日 記、タイトル写真=2012年11月25日に開催された大阪マラソン[撮影=けいわい/PIXTA])

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  • [2013.02.21]

ノンフィクション作家。1957年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。高校、大学時代は野球部に所属。1981年朝日新聞社入社。高松支局、阪神支局、大阪本社社会部を経て、東京本社社会部。厚生省(当時)担当、遊軍キャップ、デスクとして事件や医療問題などを手掛ける。2004年に退社後は、医療問題、メディア論、スポーツなどの執筆活動を行う。著書に『ドキュメント マイナーの誇り―上田・慶応の高校野球革命』(日刊スポーツ出版社/2006年)、『歪んだ権威 密着ルポ日本医師会―積怨と権力闘争の舞台裏』(医薬経済社/2010年)、『ドキュメント・東日本大震災 「脇役」たちがつないだ震災医療』(医薬経済社/2011年)。

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