「ハーグ条約」締結だけで問題は解決しない

嘉本 伊都子【Profile】

[2013.05.13] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

国境を越えた不法な子どもの連れ去り防止を目的とした「ハーグ条約」に、ようやく日本も参加する。日本人女性による「子どもの連れ去り」の背景と、条約加盟後の体制づくりの課題を考える。

近年、国際結婚が破綻して、日本人女性が子どもを日本に連れ帰り、国際的トラブルになるケースが増えている。

日本ではバブル経済時代から、国際結婚は著しく増加している。さらにバブル崩壊後は、海外で国際結婚する日本人女性の件数が顕著に増えている(下図参照)。

ハーグ国際私法会議で「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」(以下ハーグ条約)が作成されたのは1980年である。2013年4月の時点で、89の国や地域が締結している。アジアで締結している国は、韓国、香港・マカオ、シンガポール、タイ、スリランカと非常に少ない。

2005年ごろから欧米各国、特に日本人女性が国際結婚する件数が多い国々による、日本へのハーグ条約加盟の要請が強まった。ハーグ条約を日本が締結すると、国際結婚夫婦間だけでなく日本人夫婦間でも、国境を超えて子の「奪取」が不法に行われた場合、案件の対象となる。

2012年夏、米国国務省が主催するインターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラム(IVLP)に参加する機会を得た。その際のテーマが、ハーグ条約に関するものであった。米国にとって、アジアにおける「二大拉致国家」であるインドと日本がこの条約に締結することは大きな前進なのだ。日本のハーグ条約締結が確実になった今、子どもの「連れ去り」の防止と、日本国内の体制づくりを急ぐ必要がある。

FBIに指名手配される日本人女性たち 

なぜ日本人女性が「誘拐犯」になるのか。まず要因を考えてみたい。

第1に、日本人女性側に、夫に黙って子どもを連れて日本の実家に帰ることが誘拐と認識できていない可能性がある。日本では単独親権であるが、欧米では共同親権、離婚後も両親との関わりが子どもの発達に重要であるという認識がある。

片親の同意を得ない連れ去りは犯罪に問われると、サンフランシスコ日本国総領事館のホームページ(以下HP)では警告している(※1)。米国のように、州によって家族法が異なる国では、州をまたいだ犯罪は連邦捜査局(FBI)の管轄下となる。離婚率も高い国では、必ず弁護士をつけて離婚手続きに臨む。こじれると親による「誘拐」は多発する。FBIのHPは指名手配犯の顔写真をその罪状とともに公開している。「親による誘拐」欄には日本人女性の写真が複数確認できる。「誘拐された」子どもの写真も被害者として掲載されている(※2)

日本では、2012年の民法改正後も離婚届に親権について話しあったかという項目にチェックをするだけでいい。9割は裁判所のお世話になることはない協議離婚である。1割弱のうちほとんどは、家庭裁判所の調停で解決する。裁判所の判断が必要になる審判離婚、あるいは裁判離婚はまれである。しかも、日本では高度経済成長期の1960年代半ば以降から、離婚後母親が親権をもつケースが増え、今日では離婚後、親権者の8割が母親だ。母親が親権をもつことが当たり前の国に育てば、「子の連れ去り」を「自然なこと」だと考えてしまう。

2重のマイノリティーとして

第2に、離婚に際して日本人女性が移住先で弁護士をたてて交渉することの困難さが挙げられるだろう。

欧米では離婚に際して弁護士をつけることが多い。社会的弱者が腕のいい弁護士を見つけて、多額の弁護士費用を工面することができるとは考えにくい。

外国人であり、女性であるという2重のマイノリティーであるがゆえに、移住先で正規の職を得ることのできる「妻」は非常に少ない。例えば米国人女性よりも、経済的にも社会的にもアジア人女性は「弱者」におかれる可能性が高い。生まれ育った国において女性が弱者であることが「普通」の国からきた日本人女性も含め、アジア出身の女性は、共働きが標準の米国で自分が弱者だと思わない。だが、結婚が破綻すると経済的なハンディを異国の地で抱えながら、生きていくことを余儀なくされる。

第3に、移民した女性の現地でのネットワークの希薄さが関係していると思われる。

日本の高度経済成長期に「郊外型核家族」に生まれ育った女性は、母子密着家族で育った場合が多く、コミュニティーとは隔離された母子家庭のような環境を異国の地で形成しても、当初は何の違和感も抱かない。また、子どもを母親の「所有物」とみなす傾向が強い。

なかには夫の暴力に耐えながら家族を崩壊させないよう必死に支えている女性も多いであろう。親族以外に日頃から助け合うネットワークを構築していることは、リスクヘッジにつながる。周辺のコミュニティーとの関係が築けるかどうかは、移民女性のパーソナリティーや能力によって大きく異なる。

助けを求めるすべを知らない

第4に、日本では「犬も食わない」夫婦げんかを、移民女性自身が、移民先の公的機関やNPOに相談する「伝統」がない。だが、通報、または相談、医療機関への診療の記録はハーグ条約においては重要な証拠となる。

身の危険を感じるときは警察へ通報するようにとサンフランシスコ日本国総領事館のHPでも対処法を示している。ただし、ロサンゼルスのように刑務所や留置所が常に定員オーバー状態であれば、初犯だとすぐに戻ってきてしまう。その後の報復の危険性が高いことも認識しなければならない。

シアトルで移民女性を暴力から守るNPOで活動している日本人女性「アドボケート」は、警察が来たときなど英語がわからなければ必ず通訳を要求することが大切だという。しかし、言葉のハンディがある場合は、英語が十分にできない人の代弁者となる「アドボケート」や、NPOなどのサポートグループに助けを求めるすべを知らない人が多いのではないか。

以上、子どもを黙って連れ去る日本人の母親が多いと考えられる要因を述べた。だが、日本人のケースは今のところ学術的な裏付けは難しい。法を犯しても連れ帰ることでしか子の安全を保証できない場合もある。その場合、DVを受けた証拠を近隣の友人、NPO、医療機関、警察に残しておくことが肝要である。

自国ルール第一主義の夫

「被害者」の男性側をみてみると、「外国人の妻」の国に一度も行ったことのない夫との間で、問題がこじれるケースが多いのではないだろうか。

日本でのルールが普遍だと日本人女性が思い込むように、外国人男性はその国のルールが普遍だと思うからだ。2011年米国のABC ニュースが「100人もの米国人の子どもが日本へ連れ去られている」(※3)と題して報道したように、出生地主義の国である米国では、日本人女性が生んでも「米国で生まれた子は米国人」なのであって、米国人が日本へ拉致されているという理屈になる。

IVLPでは、子どもを連れ去られた「父親」たちにも会う機会があった。日本語は片言で、なかには日本の滞在経験が皆無の人もいた。彼らは全員妻には暴力を一度もふるったことがないと主張した。しかし、日本に関するもの何から何までが「悪い」と主張する背後には、日本との交流の欠如、あるいは日本側の親族との交流が希薄であることがうかがわれた。

不備だらけの日本の体制

日本のハーグ条約締結が確実となった一方で、日本側の体制には大きな課題がある。

子どもの誘拐が多い米国には、独自の機関がある。1998年設立された「行方不明者および搾取された子供たちのためのセンター(National Center for Missing and Exploited Children)」である。このNPOでは、30万件以上の行方不明の子ども、あるいは子どもの性的な搾取に関する情報を収集管理している。行方不明者の捜索のためのホットラインも運営する。国内から発信された違法情報は、管轄の州警察・地方警察に連絡される。通報データベースにはFBI、税関局、郵便捜査局もアクセス可能である。

もちろん、移民の多い米国では国外に連れ去る、あるいは国外から国内へ連れてくる場合もある。NCMECには国際セクションであるICMECがあり、国外との対応も行っている。

NCMEC/ICMECは多くの協賛企業をもち、行方不明になった子どもが発見された場合、陸路はアムトラック(鉄道会社)、グレイハウンド(バス)、空路はアメリカン航空が、無料で輸送する体制が整っている。

米国へ連れ去られた子の情報を日本の裁判所が求めれば、ICMECから情報提供できるが、日本へ連れ去られた子の情報を、日本ではどこが把握し、どのように外国に提供するのであろうか?

外務省、家庭裁判所は対応できるのか

ハーグ条約関連法案によれば、日本では外務省が中央当局となり、子どもの所在を特定する。返還するかどうかの判断は主に、東京・大阪の家庭裁判所が担当する。省庁間、あるいは都道府県の諸機関との連携が重要になるのであるが、「たらい回し」になるのではないかという危惧を抱く。ハーグ条約は連れ去られた後、1年以内に申請をしなくてはならず、返還の可否も迅速に判断を下す必要がある。IVLPプログラム終了後、家庭裁判所に問い合わせたが、案件がなく答えられないとのことであった。案件ではなく、準備を聞いたのだが。

ロサンゼルス郡検事局(Los Angeles County District Attorney’s Office)にて。前列中央がDeputy Attorney GeneralのElaine Tumonis氏、その後ろが筆者。

プログラムで訪れたロサンゼルス郡検事局では、Deputy Attorney GeneralのElaine Tumonis氏が夏期休暇返上で対応にあたってくださった。ロサンゼルスの家庭裁判所の判事にも会う機会を得た。検事局には子どもの誘拐セクションが設けられ、捜査官も専門性をもって捜査にあたり、弁護士などを補佐するパラリーガルも、子どもの誘拐を専門としている人たちばかりであった。

ハーグ条約締結後、判事は国際的な判事の会合に参加し、情報交換をすることが重要であると連邦裁判所の判事は教えてくれた。家庭裁判所の判事の異動が頻繁な日本において、専門性や経験の蓄積をいかに確保し、連携を強めていくというのであろうか。

配偶者による暴力の可能性があるときなど、子どもを返還しないでよいことが関連法案に盛り込まれているが、どのようにそれを証明するのか。弁護士の役割と家庭裁判所の調査官の役割の明確化、そして通訳も含めた調停の費用負担はどうなるのかなど、多くの疑問に対して、国民に示す義務が政府ならびに裁判所にはあるのではないだろうか。

(2013年5月2日 記)

(※1)^ 在サンフランシスコ日本国総領事館のホームページ

(※2)^ FBIのホームページで閲覧できる。

(※3)^ ABC Newsは “Abducted to Japan: Hundreds of American Children Taken”と題して報道し、インターネット上でも動画で閲覧できる

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  • [2013.05.13]

京都女子大学教授。専門は国際結婚の歴史社会学。1997年総合研究大学院大学文化科学研究科・国際日本研究専攻博士(学術)。日本学術振興会海外派遣研究員(ロンドン大学東洋アフリカ学院)などを経て、2001年京都女子大学現代社会学部専任講師に就任、2010年より現職。著書は『国際結婚の誕生』(新曜社/2001年)、『国際結婚論!?現代編・歴史編』(法律文化社/2008年)など。

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