夢物語の裏で「ハリボテ化」する日本農業

神門 善久【Profile】

[2014.01.24] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

政府が新たな経済成長の柱と位置付ける農業。しかし、現実には農家の耕作技能の低下と補助金依存で、日本農業の「ハリボテ化」現象が進行していると、神門善久・明治学院大学教授は指摘する。

日本社会では、ここ何年か、日本農業を褒めそやす「農業ブーム」と呼ばれる異常な現象が現れている。本屋に行けば農業コーナーが設けられ、「もうかる農業」、「奇跡の農業」などといった明るい話題をふりまく書籍が山積みになっている。それらをテーマにした映画も製作・配給される。

しかし、現場では日本農業の「ハリボテ化」というべき現象が進行している。耕作技能がなく、自然環境との融和も少なく、低品質な作物しか作れない農家が増えている。農業機械を取りそろえたり、商工業者との連携をうたったり、有機農業を標榜(ひょうぼう)するなど、外見はそれなりに装っているが、農業としての中身がない。さらに皮肉なことに、政府の了見違いの農政改革が農業のハリボテ化に拍車をかけている。以下、本稿では、一見華やかな夢物語の裏で進む日本農業のハリボテ化と、その背後に潜む日本社会の構造的問題を論じる。

低下する一方の耕作技能

近年、各界から農業への提言が盛んである。だが、その内容は大規模営農の推奨など、製造業と農業を混同したものが目立つ。製造業は、石油などを人為的に燃焼させて主たるエネルギーとし、工場という人為的にコントロールされた環境で生産活動を行う。この場合、作業工程をマニュアル化し、機械の効率的利用のために操業規模を大型化するのは有効であろう。しかし、農業の主要なエネルギー源は、単位面積あたりにほぼ均等に降り注ぐ太陽光である。また、農地という天候や地形次第で常に移ろい行く環境で生産活動をする。このため、大規模営農で生産を効率化できるとは限らない。実際、大規模に営農する農家や農業法人の経営不振が国内各地で相次いでいる。自然環境収奪型農業や石油エネルギー多投型農業ならば規模の経済は働くが、それらは新大陸の農業の仕方であって、日本農業において優位性はない。

足を地に着けて農業を議論するためには、農業の基本を踏まえる必要がある。農業とは食用の植物を育てることであるが、農業者は植物自体が光合成をして生育するための環境整備をするにすぎない。いわば子供の成育を影で見届ける小学校の先生のような役割を果たすのである。杓子(しゃくし)定規な教育では子供が萎縮したり暴力的になったりするのと同じで、農作業をマニュアル化しすぎると、自然環境に適合せず、農産物の品質も悪化する。製造業は生産工程を徹底してマニュアル化するという「技術」の世界であるのに対し、本来の農業はマニュアル化が困難な「技能」の世界という表現もできる。

高度経済成長期前半の日本には、耕作技能の高い農家が各地にいた。彼らは、経験知に頼って自給的な農業をするという古いタイプの農家とは明確に異なる。当時、生化学などの発達により、農業でも新品種や新型農機具が次々と誕生するとともに、運輸・通信の発達により、遠隔地の都市住民に販売可能となり、彼らの需要に合わせた作物を提供しなければならなくなった。このような変化の激しい中で的確に作物を育てるためには、高度な科学的知識と思考力が必要となる。そういう科学的素養に加えて、農作業の中での試行錯誤の積み重ねで高い耕作技能が醸成された。

耕作技能の高い農家は、植物とのコミュニケーションをしながら融通無碍(むげ)に育て方を変える、職人のような農家である。害虫がふ化するタイミングをピンポイントで察知して最小限の防除(お湯をかけるだけでいいこともある)を行うなど、費用を徹底して節約できる。自然環境とも融和的で気象変動への抵抗力も強い。そして作物が健康的に育つので栄養価が高い。

残念ながら、日本の農業者の耕作技能は低下の一途である。その原因は三つある。第一は、農地利用の無秩序化である。日本では水利を集落で共有するため、ごく一部でも病害虫が繁茂したり、おかしな水利用をしたりすれば、地域全体の農業をだめにする。近年は農地規制の抜け穴がどんどん広がっており、節税や将来の宅地転用などの非営農目的での農地所有が増えている。また、準備不足のまま新規に農業参入する事例も増えている。そうした非農家や準備不足の新規参入者が農地や水のルールを守らず、地域全体の農業の足を引っ張っている。第二は、農業補助金の巨額化・複雑化である。よい農産物を作るよりも行政から補助金を引き出すことに傾注したほうがトクという状況では、農家は耕作技能の修練に専念できない。第三は、消費者の宣伝依存である。家庭での調理も減り、食材の良しあしが自分では判断できなくなった消費者は、「有機栽培」などの宣伝文句に依存しがちである。耕作技能の乏しいまま有機栽培をしても、自然環境に悪く、作物の品質も悪いのだが、農家にとっては耕作技能を磨くよりも宣伝上手になったほうがトクという状態にある。

“夢物語”が農業弱体化に拍車をかける

このように、日本農業は耕作技能の低下という深刻な問題を抱えている。だが、冒頭で述べたように、日本社会はいま、現実問題から目をそむけた農業ブームのただ中にある。財界も農業の夢物語に熱中する。営農を大規模化し、規制緩和による企業の農業参入や、商工業と農業の連携を進めれば、農業は大いに成長するという提言が相次いでいる。人工光や水耕栽培によるハイテク温室には財界からの見学希望がひきもきらない。

農業の夢物語がこのように人気を集めだしたのは2000年代後半である。これは、ちょうど日本の商工業の閉塞(へいそく)が誰の目にも明らかになった時期に符合する。かつて、日本の商工業はその急成長ぶりで世界の注目の的であった。ところが、1990年代初頭のバブル崩壊以降、一転して長期不振に陥る。2000年代になって、規制緩和をうたう小泉純一郎首相による「小泉改革」に起死回生を託したものの、過当競争などの弊害をもたらしたまま、小泉内閣は2006年に退陣した。他方、2010年に国内総生産(GDP)で中国が日本を抜いて世界2位に躍進するなど、東アジアの隣国が商工業で日本を圧倒し始めた。「何か日本経済に誇れる分野があってほしい」という焦燥感の混じった逃避的思考が「農業ブーム」を生んだと考えるべきである。

農業の場合、製造業に比べると生産物の規格化がしにくく、また運輸の費用がかさむので、競争力を失っても早急に外国産に置き換えられることはない。現実には、中国などアジアの農業の競争力向上は目覚ましいが、日本国内にいると感知しにくい。ちょうど、1930年代に実情が分からない満州(中国東北部)を日本の希望の地として美化する議論が国内で流行(はや)ったように、いまの日本では農業の実像を知らない(知ろうともしない?)がゆえに、農業が美化されている。

いまの商工界は、国際競争力への自信を失っており、(意外に思われるかもしれないが)貿易自由化にも熱心ではない。むしろ、内需依存型企業を中心に、本業の不振で発生した余剰人員のはけ口として、農業への参入や農業者との連携に熱心である。そういう「にわか農業」は総じて低収益だが、いろいろな口実で補助金を引っ張り込んでしのごうとする。いまや商工業団体と農業団体は「同じ穴のムジナ」である。地方の商工会議所に行くと、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)反対とか農商工連携推進などのポスターが目につき、農協会館に来たかのような錯覚に陥る。

素人でも機械を買いそろえ、品質の悪化や自然環境への負荷を気にしなければ、作物らしきものを作ることはできる。補助金を受けたり、消費者を招いたイベントを開催したり、食品加工で流行の味付けにしたり、流通段階の宣伝文句で粉飾したりすれば、少なくとも短期的には持ちこたえられる。だが、それは農業者の耕作技能の消失を加速させ、農業の足腰をますます弱くする。

現実逃避の農政改革

他方、政治家にとって「農業ブーム」は好都合である。農業を美化し、農政改革を標榜することで、「改革」という言葉を好む都市住民の浮動票を得ることができる。また選挙資金源や組織票の取りまとめ役として、財界の有力者を味方にしたい。農業に参画し始めた企業では大赤字が目立つが、大規模営農や農商工連携の推進を名目にして補助金投入で支えれば、選挙のときの見返りが期待できる。

かくして、政治家も商工業者も農業者も消費者も、虚構の「農業ブーム」に陶酔することで、当面の痛みを紛らわそうとしている。現実から逃避行する今の日本社会の縮図ともいえる。

安倍晋三政権は、農業振興を新成長戦略の柱のひとつに位置づけ、農政改革の目玉として減反(コメの生産調整)制度の廃止と農地中間管理機構(農地集積バンク)の創設を提唱している。しかし、実は減反制度は10年前に事実上、廃止されている。また、離農した農家の農地や耕作放棄地などを意欲の高い農業者に貸し出す農地集積バンクに相当する仕組みも、40年以上前から存在する。おそらく、法制度をいじくりまわして廃止と創設を演出するのであろう。そういう改革のポーズさえ取れば、都市住民は既存の制度との照合なぞすることなく、「農業ブーム」の陶酔に安住する。

この農政改革を演出する過程で、農業補助金や農業関連の法制度がますます複雑化する。また安倍政権が、主食用米よりも品質が劣る飼料米への補助金の拡大や非農家の農地利用の容易化を打ち出している点も気を付けなければならない。これでは、耕作技能がなく(従って、近隣農家に悪影響も及ぼしかねず)、自然環境にも融和せず、低品質な作物しか作れないような軽薄な農業参入ばかりが助長される。取りあえず作物らしきものを作って、あとは補助金で採算を支え、食品加工や宣伝で粉飾するという悲しい路線を日本農業は突き進む。

参考文献

神門善久「就農賛歌が若者を潰す」、『熱風』2013年9月号、スタジオジブリ。
神門善久『日本農業への正しい絶望法』、新潮社、2012年。

タイトル写真=宮城県仙台市の農業法人を視察し、田植え機を運転して田植えを体験する安倍晋三首相(2013年5月12日、時事通信社提供)

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  • [2014.01.24]

明治学院大学経済学部教授。専門は農業経済学、開発経済学。1984年京都大学農学部卒業。京都大学博士(農学)。著書に『日本の食と農―危機の本質』(2006年/NTT出版/サントリー学芸賞、日経BP BizTech図書賞受賞)、『さよならニッポン農業』(2010年/NHK出版生活人新書)、『日本農業への正しい絶望法』(2012年/新潮新書)など。

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