ソニーの凋落に見る日本企業の経営者問題

米倉 誠一郎【Profile】

[2014.04.01] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

ウォークマンを始めとして画期的な商品を次々と生み出したソニーの不振が続いている。日本を代表するブランドだったソニー凋落の原因を、企業統治の視点から探る。

「僕らのソニー」はどうしたのか?

ソニーの凋落が止まらない。ソニーは2014年2月の決算発表で、2013年度の連結業績予想を、当初の黒字300億円から1100億円の赤字に大幅下方修正した。この結果は、傘下のエムスリー社株式、米国本社ビル、ソニー発祥の地の東京・品川のNSビル本社跡地、DeNA株式の売却益を含めたもので、エレクトロニクス(エレキ)部門は3年連続の赤字である。ソニーの本業は「資産売却か」などと揶揄(やゆ)されているほどだ。

携帯電話や3月に発売されたゲーム機プレイステーション4(PS4)はそれなりの健闘を見せているが、ソニー復活を力強く告げるものではないし、何よりも「一体 ソニーはどこへ行くのか」という基本戦略を提示するものでもない。

米格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは、2014年1月27日にソニーの長期信用格付けを引き下げ、欧州系フィッチ・レーティングに続いて「投機的水準」とした。ソニーは金融界から投資不適格企業という烙印(らくいん)を押されているのである。

この凋落を2012年4月に就任した平井一夫社長一人のせいにするのは無理がある。ソニーの変化はいつ始まったのだろうか。

最盛期は「デジタル・ドリーム・キッズ」を唱えた出井時代

ソニー最盛期は、業績・株価から見て2000年の出井伸之前々社長の時代だろう。1995年、出井氏は平取締役から14人抜き、57歳で社長に抜てきされ、創業以来初の生え抜きサラリーマン社長となった。折しも創業50周年を翌年に控え、彼は「リ・ジェネレーション」(第二創業)と「デジタル・ドリーム・キッズ」というスローガンを高らかに打ち出した。

ソニーの将来の顧客となるデジタル時代に生まれ育つ子供たちの夢をかなえる企業になるために、自分たちが新しい技術環境に目を輝かす「デジタル・ドリーム・キッズ」であるべきだという、熱い思いを込めたスローガンであった。

デジタル化への第一歩として、出井氏はPC事業への再参入を宣言、1996年にVAIO 1号機を米国で発表し熱狂的に迎え入れられた。また、彼は台頭するインターネットの可能性とそれにソニーの持つAVあるいはIT機器とつなげる重要性を認識し、1995年11月にはソニーコミュニケーションネットワーク(現ソネット)を設立した。

ソニーは、コンテンツとしては1968年からCBS・ソニー(後のソニー・ミュージック)、1989年からはコロンビア映画(後のソニー・ピクチャーズ)を抱え、ハードとしてはCD/MDウォークマン、ゲーム機、VAIO、ハンディカム、デジタルカメラ、そしてメモリースティックまで開発していた。この段階で、まさにAV機器とIT機器すべてをネットワーク化できる状況に立っていた。アップルがiPodを発売したのが2001年であることを考えると、90年代の後半のソニーには「デジタル・ドリーム・キッズ」を実現するためのすべてがそろっていたことが分かる。

インターネットにつながる画期的製品はなし

こうした出井氏の先進的姿勢が功を奏し、ネットバブルに湧いた2000年には過去最高の業績を上げ、就任時4240円前後であった株価も13000円を超えるに至った。しかし、その後ソニーからはインターネットにつながる画期的製品は出現しなかった。フラットテレビ生産にも乗り遅れ、「イマイチ」なソニー商品が脈絡無く店頭に並んでいった。こうしたスピード感のなさを最初に見限ったのは株式市場だった。

2003年4月24日に、前3月期の連結営業利益が従来予想より1000億円も下回り、04年3月期の業績予想でも前期比30%減の見通しが明らかにされると、翌日から投資家たちの“ソニー売り”が始まった。市場では売買が成立しないストップ安が続き、株価は最終的に3220円まで急落した。これがいわゆる「ソニーショック」であった。さらに、起死回生をはかるために年末商戦に投入されたDVDレコーダーの「スゴ録」は、ソニー・コンピュータエンタテイメントのハードディスク搭載DVDレコーダー「PSX」と同時投入され、録画機能で互いのシェアを食い合う結果となった。大事な時期に部門間調整を行うリーダーシップすら発揮できない姿を露呈する結果となったのである。

成功の「罠」―利害相反でがんじがらめに

2003年当時、アップルよりもはるかに素晴らしい商品系列を備えていたソニーが、なぜいち早く全てのデジタル商品をインターネットにつなげることができなかったのか。当時のソニーの状況を詳しく見てみると、過去の成功が失敗の本質であったことが見えてくる。

当時ソニーは世界最大のCDディスク生産企業であり、CD/MDによるウォークマンもヒットしていた。しかも、CDもMDも前最高経営者であった大賀典雄氏が開発を主導したものであった。iPodのようなハードディスク型デバイスはCD/MDの否定であり、CD売り上げやMDウォークマンからの決別を意味した。

また、マイケル・ジャクソンをはじめとする有名プレーヤーを多数抱えるソニー・ミュージックも、インターネット配信と強い利害相反を抱えていた。優れたアーティストにとっては、統一されたコンセプトで1枚のアルバムを創ることが創作活動であり、ネット上でバラ売りすることは論外であった。また、レコード会社にとっても複数曲をバンドルすることで、売れそうもない曲を売ってしまえるトリックがあった。さらに、レコードビジネスの要である著作権を音楽配信の中でどう守るのかという、より本質的な課題も抱えていたのである。

テレビにおいても大きな利害相反を抱えていた。同社は1996年からブラウン管でありながらフラット画面を実現した「スーパーフラット・トリニトロン管」の開発に成功し、「WEGA」シリーズとして世界的大ヒットを飛ばしていた。大きな流れでは、いずれフラットパネルになるとは理解していても、現存する技術で利益を上げているものを捨て、不確実で巨大投資を伴うフラットパネルへ転換することに逡巡(しゅんじゅん)があった。このフラット型ブラウン管の成功もソニーのフラットパネルへの転換を遅らせた原因であった。

この時期のソニーは、過去の強いビジネスモデルや成功体験がデジタル化やネット化と利害相反を起こし、イノベーションを阻んでいたことが分かる。すなわち、成功した企業であればあるほど、過去を否定するようなビジネスモデルへの転換やイノベーションの採用が難しいという、「成功の罠」に陥っていたのである。

「ガバナンス改革」も奏功せず

「成功の罠」とは、現業部門の部分最適と全体最適を求める本社部門の対立から生じる。しかし、出井氏は1997年頃から経営全体を統括する取締役と現業部門を統括する執行役を分離 し、現業の利害相反を超えた意思決定をできる仕組みを創り上げていた。会社全体の方向性を考える 「企業戦略」策定と、現業部門の「日常的な業務執行」を分離することで、現業との利害相反を超えて「デ ジタル・ドリーム・キッズ」の世界を実現できる制度的担保を確保していたのである。決断すれば、できる状況にあった。 

にもかかわらず、出井氏らトップマネジメントが示した経営再建計画は功を奏せず、エレキ部門の赤字状況は改善しなかった。株価は3000円台に低迷し、2005年には株式市場、ソニーのOB・社員、さらに国内外の経済メディアから厳しく責任を問う声が噴出し、同年6月には会長兼CEOを退任して、最高顧問・アドバイザーに就任したのであった。

出井氏は明らかに業績低迷の責任を取らなかったばかりか、後継者の人選も不可解だった。市場や顧客の不満は赤字続きのエレキ部門にあり、ネットにつながらないハード製品群にあったにもかかわらず、映画事業をけん引してきたハワード・ストリンガー氏を後継に選んだのである。

ストリンガー氏が掲げた「Sony United」がネットを通じたソニー製品の統合であれば歓迎すべきことだったが、彼は企業体としてのソニー統合を提唱はしたものの、ハード機器をシームレスにネットにつなぐエンジニア的発想はなかった。そのハード部門の弱みを克服するために技術畑の中鉢良治氏がCOOで同時就任したが、二人の間で統合の努力が見られた形跡はない。

結局、ストリンガー氏も中鉢氏も、2012年に4期連続の最終赤字(累計で9193億円)を積み重ねてトップの座を辞した。株価は両者就任時の3000円台を大きく割り込み一時1000円を切るに至り、株主に甚大な被害を及ぼした。にもかかわらず、二人は大きな責任を取ることもなく、多額の報酬をもらって取締役会に退く形をとっている。

経営責任の曖昧さと「戦略と経営能力」のミスマッチ

ソニーの凋落における問題は、求められる戦略と経営能力との間のミスマッチと経営責任の曖昧性であり、それはまた他の日本の製造業に通じる問題でもある。

「ソニーショック」が問題提起したのは、ソニーらしい商品によるエレキ部門の再建であり、ハードとソフトのシームレスな統合であった。それは、まさに「デジタル・ドリーム・キッズ」の世界であり、「Sony United」の世界であった。しかし、出井氏、ストリンガー氏(そして新社長の平井氏)はいずれも本格的エンジニアではない。

素晴らしいビジョンを掲げても、それを実現するだけのリスクを取らず、新しい技術への情熱も十分ではなかったのではないか。スティーブ・ジョブズ氏の自伝を読む限り、こうした新しい統合を創出するには、デバイス間のストレスのないつながりや操作ディテールに対する執拗なまでの思い入れが重要だと考えざるを得ない。

技術パラダイムが変化する時は、気の効いたスローガンやスピーチよりも、創造するデバイスの細部やネットワーク化に強い執着がある指揮官が戦略実行を執るべきなのである。残念ながら、今の日本のエレクトロニクス企業では、求められる企業戦略とそれを遂行する経営能力との間に大きなミスマッチがある。

赤字を垂れ流したソニーとパナソニック

もうひとつの問題点は、経営責任の不明確な処理の仕方である。出井氏もストリンガー氏もCEO退陣後、執行役は退いたものの取締役会で後継人事に当たり、巨額のボーナスや退職金が支給されている。これでは、業績悪化で職を失った社員や巨額の損失を被った株主たちはたまらない。この問題は出井氏やストリンガー氏の退任時に問題視され、株主総会でも厳しく追及されたが、結局二人とも執行役を退任後、最高顧問会議や取締役会議長に就任した。

この無責任は、2年連続で7000億円を超える赤字を垂れ流したパナソニックでも同様であった。赤字の原因となる経営判断をしてきた中村邦夫前社長・会長は2012年の会長退任後も、松下幸之助以来伝統のある相談役に就き院政を敷いていたといわれる。日本をけん引してきた二大エレクトロニクス企業が同じ時期に巨額の赤字を垂れ流しながら、その経営責任がまったく問われなかったことは日本の企業統治のあり方に大きな不信感を抱かせるに充分だった。

こうした不適格な後継選びや無責任体制が生まれた因果関係についての分析はさらなる内部資料の公開や関係者インタビューが必要だが、この問題を偶発事象や個人的な資質の問題に帰せずに、日本企業が抱える企業統治の問題として解明し、日本企業の新たな進化へとつなぐ必要があるだろう。

(2014年3月20日 記)

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  • [2014.04.01]

一橋大学イノベーション研究センター教授。1953年東京都生まれ。1977年一橋大学社会学部、79年同大学経済学部卒業、81年同大学院社会学研究科修士課程修了。1990年ハーバード大学歴史学博士号取得。現在、プレトリア大学GIBS日本研究センター所長、『一橋ビジネスレビュー』編集委員長、アカデミーヒルズ日本元気塾塾長も兼務。主な著書に『経営革命の構造』(岩波新書/1999年)、『創発的破壊 未来をつくるイノベーション』(ミシマ社/2011年)など。

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