水面下で大詰めを迎えたTPP交渉

吉崎 達彦【Profile】

[2014.06.06] 他の言語で読む : ENGLISH |

「秘密主義」を原則とするTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉も、最終局面が近づくに従って少しずつ内容が外に漏れてくるようになってきた。なにより市場開放に伴う国内調整が必要な段階になると、各国とも「このことは内密に」などと言っていられなくなる。日本政府も徐々にその作業に取り掛かり始めたように見受けられる。

ずいぶん「大人」になった日本の通商交渉

もちろん合意が近いという確証はない。5月19~20日にシンガポールで行われたTPP閣僚交渉においても各国は合意に至らず、7月に開かれる首席交渉官会合に向けて、対立点の解消に努めることになっている。

ただし、今年の11月4日に中間選挙を控えている米国事情を勘案すると、オバマ政権はこの夏くらいまでに合意をまとめあげたいと考えているだろう。もしも交渉に「脈がない」のであれば、むしろ早めにダメージコントロールに取り掛かる方が合理的である。最近のフロマン通商代表の精力的な交渉姿勢を見る限り、合意には十分に可能性が残されていると見るべきであろう。

思えばわが国のTPP交渉参加は民主党政権時代から模索されてきたものの、さまざまな事情で取り組みが遅れてきた。安倍政権が発足し、昨年2月の日米首脳会談でようやくゴーサインが出て正式な交渉参加は昨年7月からとなった。つまりわが国の「TPP体験」はまだ1年に満たないのである。それでもこの間の経験は日本の通商交渉の歴史を大きく塗り替えた。個人的には、「ずいぶん大人になったものだ」という印象を受けている。

以下、大詰めの局面を迎えているTPP交渉について概観してみたい。

日米の微妙な事情

TPP交渉の合意に向けた最大の焦点の一つは、関税引き下げをめぐる日米間の合意が出来るかどうかである。

4月に東京で行われた日米首脳会談は、「政治的基盤が強い安倍首相と弱いオバマ大統領」という対照的な組み合わせであった。4月から消費税率を上げたにもかかわらず、安倍内閣の支持率は3月とほとんど変わっていない。逆にオバマ大統領は、昨年のシリア情勢や現在のウクライナ問題への対応、さらに国内における国民健康保険制度「オバマケア」の不評により、支持率は40%台半ばで低迷している。TPP交渉において、安倍首相は思い切った妥協ができる立場であり、逆にオバマ大統領の政治的自由度は低い状態にあった。

特にオバマ政権は、議会からTPA(通商交渉促進権限:Trade Promotion Authority)を取れていないという弱みがある。合衆国憲法は条約締結権を議会に与えているために、通商交渉の際には議会が行政府に対して権限を委譲しなければならない。ところが議会では、野党の共和党が通商交渉に前向きで、逆に与党の民主党内で反対が多い。中間選挙を前に、議会でTPAを通すことは至難の業と目されている。

そこで米国政府にとっては、TPPとTPAがいわば「鶏と卵の関係」になる。TPP交渉を実現するためには議会でTPA を通さなければならない。ところが議会でTPAを通すためには、オバマ政権がTPPで魅力的な条件を獲得しなければならない。端的に言えば、「日本からこんなにいい条件を取ってきました」と報告しないと、議会を満足させることができないのである。

このためオバマ大統領訪日の際に、米国側は「牛肉や豚肉の関税撤廃」「米国車の日本市場での安全基準の緩和」といった、日本側がとても飲めそうもない要求をつきつけてきた。しかしTPAがない状況では、無理をして交渉をまとめてもあとから米議会にひっくり返されるかもしれず、日本側としては思い切った譲歩は難しい。また米国政府としても、「日本と合意しました」と言った瞬間に、後ろにいる議員やロビイング団体などから「もっといい条件を取って来い」と叱られてしまうかもしれない。

結果的に日米両政府は、妥結に向けた期待値をなるべく低く保ちながら、水面下の交渉を続けるよりほかにないのである。首脳会談後に、両国政府は「合意に至らず」と発表したものの、一部の報道機関は「実質合意」と報じているのは、この間の微妙な空気を物語っているのであろう。

日豪EPA合意のドミノ効果

首脳会談において日本側が強気に出られたのは、4月7日に日豪EPA(経済連携協定)が合意済みだったからである。日本側の最大の懸念は、米国側が「TPP交渉から日本を締め出そう」と言い出すことであった。しかし日豪間の関税引き下げが先に決まったことで状況は一変した。豪州産の牛肉(冷凍)の関税は、現在の38.5%から来年には8%下がることになる。つまり豪州のみが先に得をする形となる(ただし18年後に19.5%まで下がって、それ以上は下がらないことになっている)。

こうなると他の交渉参加国は、「何も農産物の関税撤廃にこだわらなくてもいいから、日本をTPP交渉に残し、豪州と同等もしくはそれ以上の条件を得たい」と考えるようになる。つまり豪州が「抜け駆け」してくれたおかげで、その他の国が日本の応援団になるという、多国間交渉ならではのダイナミックな変化が生じているのである。

米国内の業界団体も似たような状況にある。例えば米国牛は日本市場において豪州牛と激しく競争している。仮にこのままTPP交渉が停滞すると確実に日本市場では米国牛よりも豪州牛が有利になる。ゆえに業界としては一刻も早くTPP交渉をまとめ、日本から豪州と同じ、もしくはそれ以上の条件を勝ち取ることが至上命題になる。

逆に豪州政府は、おそらくこんな風に考えたのだろう。「TPPが合意に達するまでにはどのみち1年以上かかるだろう。だったら今のうちに実利を得て確実に日本市場でのシェアを拡大しておきたい。中長期的な関税削減はTPP交渉でゆっくりやればいい」。

こんな風に、ある国とのFTA(自由貿易協定)やEPAの締結が他国に対するプレッシャーとなり、全体の交渉を加速する現象を「FTAのドミノ効果」と呼ぶ(以下ではFTA、EPAなど個別交渉の包括的通商協定をまとめてFTAと呼ぶことにする)。今まで日本のFTA交渉は、良く言えば丁寧、悪く言えば及び腰でスピード感に欠けていた。ところがここにきてドミノ効果が生じ交渉への追い風となっているのである。

かつて2000年頃に世界的なFTAブームが始まった時期には、「貿易交渉はマルチで行うべき」「ルールが複雑になってスパゲティーボール現象が起こる」などと否定的な評価が少なくなかった。ところが今日では、全世界で252件ものFTAが発効しているし、FTA同士が融合したメガFTAも誕生するようになっている(※1)。政治の原理が交渉を遅らせることはあっても、ビジネスの原理がより強く交渉を加速してきた、というのが今日に至るFTAの歴史と言えるだろう。

当初は文字通りおずおずとFTA交渉に乗り出していた日本政府も、今ではTPPのみならず、日-EU・EPA、RCEP(東アジア包括的経済連携協定)、日中韓FTAと、4つのメガFTA交渉を同時進行させている。この点で筆者は、本当に変われば変わるものだなと感じている。

「進化を続ける包括的なFTA」というTPPの本質

通商交渉はそれぞれの国の具体的な利益が前面に出てくるので、つい「勝った、負けた」という議論になりがちである。しかし本来のTPPは、多国間交渉であるWTO(世界貿易機関)のドーハラウンドが停滞していることの代わりに、世界の成長センターであるアジア太平洋域における自由貿易圏を作ることが本来の目的である。

もともとTPPとは、2006年にニュージーランド、シンガポール、ブルネイ、チリの4か国(P4)が始めたFTAである。P4はいずれも経済規模が小さく、国内に守るべき産業を持たないこともあって、国際的なFTA競争では先行していた。それだけに、先行グループ同士でレベルの高い貿易自由化を目指すことが初期TPPの主眼だった。しかし小さな経済同士の悲しさで、経済効果という意味ではあまり期待が持てなかった。むしろP4は政治的な意味合いが強く、より大きな国があとから参加してくれることを狙っていた。

2009年に米国がTPPへの参加を表明し、2010年に9ヵ国による拡大交渉会合が始まってからは、全く別物と言えるほどに変容した。米国主導によるいささか強引な交渉が始まったことは、P4にとって不本意なところもあっただろう。しかし「小さく生んで大きく育てる」という初期の目的からいえば狙い通りの展開であったとも言える。

その後、交渉にはメキシコ、カナダ、さらに日本が参加した。韓国もまた参加に名乗りを上げている。ここで重要なのは、TPPが参加国が増えるとともに中身も変わるという柔軟な構造を有していることである。

当初のP4によるTPPを第1フェーズ、米国参加後を第2フェーズと考えると、2013年に日本が正式参加して以降のTPPを第3フェーズと見ることも可能であろう。

第2フェーズのTPPは、「米国とその他太平洋諸国」によるルール作りの場であった。しかし日本が加わったことによりTPPは世界第1位と第3位の経済大国を含むことになった。それだけ経済の規模が大きくなり文化的にも多様性を持つことで、そこで決まるルールの説得力が増すことになる。現在の交渉参加12ヵ国にはカナダも含めてG7中3ヵ国が含まれている。そこで決まるルールは、おそらくG7の他の4ヵ国にとっても受け入れ可能であるだろう。

TPPの未来図、中国の参加も視野に

仮にTPP交渉が合意に至れば、もちろんその後には各国議会での批准という作業が待っている。特に米国議会においては難航するだろう。

その一方で、TPPという枠組みはさらに次のフェーズに向かうはずである。まずは韓国が参加を求めているし、ゆくゆくは中国を仲間に加えることが目標となるだろう。

中国自身は米国主導による国際ルール作りを警戒する一方で、上海自由貿易試験区を導入するなどして国内改革を急いでいる。他方、ASEANと日中韓、さらにインド、豪州、ニュージーランドからなるRCEP交渉をも視野に入れている(※2)。TPPが「深さ」を目指す通商交渉であるとしたら、16か国、34億人を包摂するRCEPは「広さ」を追う枠組みといえよう。そして現時点では、「TPPとRCEPは矛盾するものではない」というのが中国政府の公式見解である。

中国が入れば、その時点でTPPは世界第1位から3位までの経済大国を包摂する枠組みとなる。WTOを実質的に代替する新たな国際ルールの枠組みとなり得るのではないか。少し気が早いかもしれないけれども、TPPが合意に至ったあとにはそんな未来図も描けるはずである。

カバー写真は、2014年5月19日、シンガポールでTPP交渉参加国閣僚会合に先立ち会談する甘利明TPP担当相とフロマン米通商代表(写真提供=時事)

(※1)^ ジェトロ調べ。2013年9月時点。他に妥結済み25件と交渉中78件あり。

(※2)^ 6月23日からシンガポールでRCEP第5回交渉会合が行われる。 

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  • [2014.06.06]

双日総合研究所・副所長/チーフエコノミスト。1960年生まれ。1984年一橋大学卒業後、日商岩井(現双日)に入社。同社調査・環境部、ブルッキングス研究所客員研究員、日商岩井総合研究所調査グループ主任エコノミストなどを歴任。主な著書に「オバマは世界を救えるか(2009年)」、「1985年(2005年)」、「アメリカの論理(2003年)」(いずれも新潮社)など。自身のホームページ「溜池通信」でも積極的に発言。

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