「安心社会」は望んでも得られないユートピア:阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件から20年
複雑性前提に、他者との信頼構築を

武田 徹【Profile】

[2015.01.16] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件。日本社会を「変えた」20年前を振り返る時、私たちが改めて心に刻まなければならないことは何か。筆者は「社会の複雑性を忘却した『安心の共同体』はもはや望めないし、望むべきでもない」と指摘する。

失墜した日常性への信頼

今から20年前の1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生、6343人が亡くなった。その2カ 月後の3月20日にはオウム真理教信者が地下鉄車内にサリンを散布、13人が亡くなり、被害を受けた人の総数は6000人を超えた。こうして95年に立て続けに起きた災厄は日本社会に「信頼の崩壊」をもたらしたと言える。

ここでは、「信頼」を社会学者ニクラス・ルーマンの定義に従って複雑性を縮減するものとして位置付ける。たとえば中世の村であれば、出会う相手は幼なじみの顔見知りで、考えていることが手に取るように分かったし、ほとんどの答えは慣習的にあらかじめ決まっているようなものだった。ところが近代化、都市化を進めた社会では素性を知らない相手と出会う機会が増え、価値観も多様化しているので相手が何を考えているか不透明になる。何かしようとして相手に意向を尋ねても、そもそも言葉が通じるか、同じ言葉を使っていてもそれを同じ意味で使っているかは計り知れない。手がかりもないまま相手の考えを推し量っていてばかりだと可能性が無限に広がってしまい、結局、何も決定できなくなる。

こうして複雑性を極め、可能性のバブルとでもいうべき状況を呈している現代社会では「信頼」が必須になる。「相手もおそらく同じような考え方をしているのだろう」と、とりあえず信じてかかることによって、「それならばこれでいいだろう」と行為が選択できる。このように、信頼とは不確実性=コンティジェンシーの高い世界で行為を実現可能にする仕組みである。

そんな信頼を2つの災厄が崩壊させた。関東大震災の記憶が遠くなっていた時に起きた阪神淡路大震災は大地が大きく揺れ、それまでの平穏な都市生活を破壊してしまう可能性を改めて意識させた。地下鉄サリン事件は公共交通で隣に乗り合わせたごく普通の人間が狂信的な殺人犯かもしれないリスクを思い知らせ、それまで、揺るぎないと思われていた日常性への信頼を失墜させた。

1995年(平成7年)の主な出来事

1月1日 世界貿易機関(WTO)が発足
1月17日 阪神淡路大震災が発生
2月26日 英ベアリングス銀行が破たん
3月20日 地下鉄サリン事件が発生
3月22日 警視庁がオウム真理教全施設の強制捜査始める
4月9日 東京都知事選で青島幸男氏が当選
4月19日 米オクラホマシティで連邦政府ビル爆破事件発生
5月7日 フランス大統領選でジャック・シラク氏が当選
5月8日 歌手のテレサ・テンさん死去
5月16日 オウム真理教教祖、麻原彰晃こと松本智津夫を逮捕
6月21日 全日空函館ハイジャック事件が発生
6月29日 韓国・ソウルの三豊デパートが崩壊、500人以上が死亡
8月15日 村山富市首相がアジア諸国に植民地支配と侵略を謝罪
8月25日 米マイクロソフトがWindows95を発売
9月5日 フランスが南太平洋で核実験強行
11月1日 東京・臨海副都心に「ゆりかもめ」開業
11月9日 米大リーグでドジャースの野茂英雄投手が新人王獲得
11月19日 大阪でAPEC首脳会議開催
11月23日 Windows95日本語版が発売

厄災で失われた「安心」、自覚させられた「複雑性」

バブル崩壊から長く続いた不況を「失われた10年」と呼んだが、個人的にはこうした信頼喪失の方が経済の領域をも超えて日本社会より深刻な影響を与えてきたのだと思う。高度成長期に支配的であった「明日は今日よりもよくなる」という進歩への素朴な信頼が失われ、何が起きるか分からないと思うようになった時、人々は消費に走る躁状態から自分を守るために殻に閉じこもるようになってゆく。

もっとも日本社会が経験したこうした「信頼の崩壊」については、もう少し詳細な分析が必要かもしれない。たとえば山岸俊男氏は『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)の中で複雑性を忘却している心理状態を「安心」、不確実性を前提として意図的にそれを縮減することを「信頼」と区別する。先に中世の村を例に引いたが、戦後日本は近代化を遂げつつなお同質性の強い集団であり続け、誰もが同じという幻想の中で不確実性を忘れていられた。それは「安心社会」だったのであり、災厄の連発によって社会の複雑性への自覚と引き換えに失われたのは「安心」の方だった。

いや、正確にいえば「安心」はそれ以前からも失われ始めていたのだ。宗教学者の島田裕巳氏は『オウム――なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー)の中でオウム台頭の原因を戦後社会で徐々に進んでいた共同体の崩壊に求めている。共同体が崩壊することで複雑でリアルな社会と直に向き合うことを迫られ、その負荷に耐えられない魂は何らかの救いを求めざるを得ない。オウムはそのような「迷える魂」の受け皿になったのだ、と。安心を求めてさまよう信者たちは安心を与えるオウム真理教の教義と出会い、その教義と自分たちの共同体を守るためにサリンを撒いた。こうした安心の喪失に敏感だった信者たちが事件を通じて広く社会の安心を崩壊させたのがオウム真理教事件だった。

オウム事件とは異質なパリ新聞社銃撃テロ

その点、同じ宗教的原理主義が引き起こした事件だとはいえ、パリでイスラム教を風刺する漫画を掲載していた新聞社が襲撃され、編集長を含む12人が犠牲になった事件はオウムの事件と全く異質である。イスラームの専門家ゆえに事件に際してメディアから数多くのコメントを求められ、さぞや忙殺されているだろう最中に池内恵氏(東京大学准教授)がFacebookにつぶやくように書いたエントリーが印象的だった。

欧米ではムスリムが差別されているからテロが起こる、巷間そう言われているのを聞いて池内氏は10代のころに父(独文学者の池内紀氏)から聞いた話を思い出したのだという。紀氏はヨーロッパの都市の公園を話題にしてこんな話をしたそうだ。「日本にはこんなきれいな公園はない。やっぱりヨーロッパはすごい、と最初は思うんだ。…だけどな、毎日公園を歩いていると、いつも同じベンチに、同じおばあさんが座っている。別のベンチにはいつも同じおじいさんが座っている。みんな一人だ。みんな一人で、毎日同じ公園に同じ時間に来るんだから、話せばいいのに、ベンチに一緒に座ればいいのに、座らないんだ。皆それぞれのベンチに座っている。お互いに視線を合わせもしない。お互いの存在すら認めていないようだ」。

西欧近代文化の基調には孤独が踏まえられている。個人主義の社会で人は一人で生まれ、家族を作ってもやがては一人で死んでいくことを、一人一人が、受け止めないといけない。ヨーロッパの公園のベンチは、そんな人のためにある。公園が広くて美しいのは孤独を少しでもやわらげるためなのだ、と。

正念場迎えた西欧の漸進的改良主義

西欧社会の孤独は自分とは相容れない他者の存在を前提にしている。西欧人は他者の不確実性を忘却していない。だからこそリスクを避けるために他者と関わらない孤独を選ぶこともあるし、より積極的に差別や排除を行うことも逆に他者との共生のために努力することもあるのだろう。いずれにせよ、それらは意図的に複雑性を縮減しようとする信頼構築の作業だ。

フランスのテロはそうした作業上に発生した。例えば宗教的風刺をも含むラディカルな「言論の自由」も「共生」のプラットフォームになるはずだった。「言論には言論を」の応酬の過程で不確実な他者の姿が確かに見えてくれば対応の仕方も和解のきっかけもつかめる。

しかし、こうした言論を通じての漸進的改良主義は今回、反論を超えて銃撃による惨事を招いた。様々なカウンターアクションも予想される中で、いかに安全を回復し、こうした状況をどのように乗り越えてゆくか、他者の存在を前提条件としつつ言論の自由を社会設計の基礎に踏まえてきた西欧の漸進的改良主義は正念場を迎える。

真偽の追求よりも「まず安心」求める心理

これに対してオウム真理教事件は他者の存在しない集団の中での安心を求める文化の中で起きた。そしてそれが安心を崩壊させることで、むしろ「安心の共同体」への飢餓感を強めた。例えば1995年にはWindows95 が発売され、誰でも接続可能になったインターネットは両刃の剣であった。それまで行政や企業がしまい込んでいた情報を公開するプラットフォームとなり、透明性の実現によって不確実性を縮減することに資するという意味では、社会的な信頼を高めるためにも使い得る。

しかし、日本のインターネット受容はそれとは別方向に進んだことが特に東日本大震災以後に明らかになる。東電のような大企業や行政、マスメディアの管理を超えた情報が氾濫したが、そこでは被曝の影響を過大に伝えたり、政府の情報隠蔽を暴露していると自称する情報があれば、その真偽を検証するプロセスなしに「やはり危なかったのだ」とか「やはり政府は嘘ついていたのだ」と共有される。

その姿勢は放射線被曝の危険性や行政や大企業の腐敗を示す情報を共有することでむしろ仲間とともに安心したがるという奇妙に屈折した心理の産物であり、初めに安心への希求ありきで真偽の追求は二の次になる。東日本大震災以後、「絆」が流行語となる一方で、「もはや人の住む場所ではない」「福島産の作物は危険」といった科学的根拠の乏しい言説を伴う福島差別が横行した矛盾は、こうした傾向を踏まえている。

“安心社会”は日本の帰るべき場所ではない

こうした分断状況が示すように「安心の共同体」は社会を覆い尽くすことはない。自分たちの安心を求めれば求めるほど「他者」をそこから排除し、傷つける結果が避けられない。だとすれば、ありえるはずもないユートピアとしての安心社会は日本社会が帰るべき場所ではない。島田は前掲書をこのように結んでいた。

「たしかに、孤独はつらく、苦しい。しかし、私たちは長い歴史を経て、さまざまなしがらみから解放され、はじめて孤独を得ることができた。…私たちは孤独に耐え、その孤独を楽しみながら、自分の頭を使って、これからを考えていかなければならないのである」

オウム事件後20年経ってなおこの言葉は傾聴する価値を有している。他者と生きる道はフランスの事件が物語るように決してなだらかなものではない。それでもなおその道を行き、できもしない安心への安住を望むのではなく、自分たちの手で信頼の構築を目指すべきなのだろう。

タイトル写真:地震で倒壊した阪神高速道路神戸線=1995年1月17日、神戸市東灘区(時事)

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  • [2015.01.16]

恵泉女学園大学教授(メディア社会学)。ジャーナリスト・評論家。1958年東京都生まれ。国際基督教大学教養学部を経て同大大学院比較文化研究科博士課程修了。放送倫理番組向上機構・放送と人権委員会委員などを歴任。著書に『流行人類学クロニクル』(日経BP社、1999年)=サントリー学芸賞受賞、『原発報道とメディア』(講談社現代新書、2011年)など。

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