シャープ、失敗の本質と再生の可能性

森 一夫【Profile】

[2015.05.20] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية | Русский |

液晶や太陽電池で世界をリードしたシャープが失速した。2014年度連結決算で2223億円の巨額赤字を出し、破綻寸前となった。国内電機大手が業績を回復させる中、シャープは何に失敗したのか。再生はあるのか。

窮地を招いた二つの原因

液晶パネルや太陽電池の開発で一時期、世界をリードし、液晶テレビの実用化でも先頭を切ったシャープが、経営破綻寸前の窮地に陥っている。2013年3月期までの2期で合計9214億円の純損失を出して、経営の立て直しに取り組んできた。ところがまたも15年3月期に2223億円の純損失を計上し、経営再建は振り出しに戻った。

まさかのシャープの失敗は、なぜ起きたのか。同社は5月14日、再建を目指して17年度までの期間3年の中期経営計画を発表したが、これで立ち直れるのか。

失敗の原因は、大きく二つ挙げられる。一つは、自社の技術への過信である。技術力ではどこにも負けないと自負し、マイペースで事業を展開できると思ったところに甘さがあった。二つ目は、企業の望外の成長と、経営者の能力との間にギャップが生まれたことだ。規模拡大に伴い多様化し複雑化した事業を経営できる経営者を得られなかったのである。

いずれも日本の製造業が陥りやすい失敗である。優れた製品を作れば競争に勝てるという単純な思い込みは、市場のニーズやライバル企業の動向を軽んじる傾向を生む。経営者は生え抜きが一般的で、特定の事業部門で業績を上げて選ばれる。このため、会社全体を束ねる能力のある経営者が育ちにくい。この二つが重なると、競争環境の変化に合わせて経営を革新することができず、業績悪化の泥沼にはまる。シャープはその一例といえる。

液晶への過大投資と技術への過信

同社が前に9000億円を超す純損失を出したのは、投資の失敗である。同社は04年に三重県亀山市に巨大な液晶パネル工場を建設し、06年にも同工場に第2工場を完成した。合わせて4000億円余りを投じ、「亀山モデル」をブランドに液晶テレビを売りまくり国内市場でトップに立った。

07年、液晶事業を一貫して推進してきた片山幹雄専務が社長に就任した。当時49歳で最年少役員だった。片山社長は大阪府堺市に4300億円を投じて新工場の建設に乗り出した。60インチサイズの大型液晶パネルを効率よく生産できる最先端の液晶工場と世界最大の太陽電池工場で、10年に完成した。

だが08年に起きたリーマンショックの後で、タイミングが悪かった。片山社長がもくろんだ通りには60インチサイズの大型液晶テレビは米国でも売れなかった。中型サイズで攻勢をかける韓国サムスン電子などに足をすくわれ、在庫の山を築く結果となった。在庫処分と操業率の低下が雪だるま式に赤字を膨れ上がらせたのである。

シャープには技術過信があった。亀山工場では技術流出を防ぐために、設備や材料を供給する企業の社員にゼッケンをつけさせて所定の場所以外に立ち入れないように監視していた。技術の「ブラックボックス化」と称して、液晶技術の優位性を守ろうとしたわけだが、結局、韓国、台湾のメーカーに追い付かれたのはご存じの通りだ。

60インチサイズに的を絞ったのも、技術の向上に伴い大型化するサイズの趨勢(すうせい)をたどった結果である。美しい大画面のテレビは消費者に受けるはずというのも、供給者の論理による読みだった。

相次ぐ社長交代で経営が大混乱

12年4月、片山氏は会長になり、奥田隆司常務執行役員に社長を譲った。巨額赤字を出したため、片山氏は途中降板を余儀なくされ、奥田氏は突然、経営再建という大役を振られた格好だ。液晶テレビ事業や海外事業に携わってきた奥田氏は、戸惑った。

同年3月に社長交代を発表した直後に、シャープは液晶事業のテコ入れのために台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業との資本業務提携に踏み切った。これは、シャープを液晶で世界トップクラスに導いた町田勝彦会長が退任を前に主導し、片山氏も交渉に加わってまとめた。その後もめて決着しなかったシャープ本体への鴻海の出資交渉には、町田氏が会長を退いて相談役になってからも関与した。会長になった片山氏は他の外資からの資本導入にも駆け回り、「シャープの本当の社長は誰なのか」という混乱状態を招いた。

奥田社長はなすところなく1年3カ月で、13年6月に取締役でもない名目「会長」に退き、現在の高橋興三社長に代わった。高橋社長は社長就任と同時に発表した15年度を最終年度とする中期経営計画を完遂して危機的状態からの脱却を目指した。この中計は、銀行から金融支援を取り付けるための事実上の「担保」(高橋社長)だったわけだが、2年で頓挫した。

スマートフォン、タブレットへの重点シフトでつまづく

原因は、12年以降3000人の希望退職や賃上げの抑制などのコスト削減などを中心に改善を図り、肝心の事業構造の方は海外の家電の一部撤退程度にとどめ、抜本的に改革しなかった点にある。業績変動の激しい液晶に頼り、万年赤字体質の太陽電池を維持し続けるという具合に、事業の組み換えに踏み込まなかった。液晶や太陽電池を担当した経験のない高橋社長は、事業については担当役員に任せてきた。

それでも最初の13年度は計画以上の数字を上げて、滑り出しは順調に見えた。しかし14年度下期から暗転した。当初よかったのは、売り上げの約3割を占める液晶事業の重点を、スマートフォンやタブレット端末向けの比較的付加価値の高い中小型液晶パネルに移したためである。

中小型については、新たに中国の北京小米科技(シャオミ)に食い込んだことが、液晶の業績好転に大いに貢献した。スマホで急激に成長するシャオミに、液晶パネルを大量供給してシャープの液晶事業は息を吹き返した。装置産業の液晶パネルは採算の合う価格で操業率が上がれば、利益は急回復する。

ところが昨年後半あたりから、頼みのシャオミからの注文が細り、価格も下がりだしたのである。同じ日本メーカーのジャパンディスプレイ(JDI)との競争に価格と性能で負けた結果である。ソニー、東芝、日立の液晶事業を統合して発足したJDIは、画面に指で触れて操作できるタッチパネルの機能を一体化したインセル型の液晶パネルで挑んできた。

シャープの液晶パネルはタッチパネルを張り合わせなければならない。同社はインセル型の開発を急ぎ、6月頃から供給できる見込みだが、後手を踏んだつけは大きかった。技術に自信がある割に、シャープは、売れる技術の開発にしばしば後れを取る。今主流になっている発光ダイオード(LED)をバックライトに使う液晶パネルも製品化でサムスン電子などに先行された。高精細の4Kテレビも出遅れている。

技術担当の水嶋繁光副社長は「液晶の開発力はわれわれが世界で一番ではないか。40年近く開発に携わってきた優秀な技術者がたくさんいるから」と言っている。技術力はあっても、市場の動向をよく見ていないから、的を外すのではないか。

事業構造にメスを入れない「新中期経営計画」

14日に記者会見した高橋社長は「抜本的な構造改革を断行して、安定した収益基盤を確立する」と表明した。しかし言葉とは裏腹に発表した経営再建のための新中期経営計画は、事業構造にメスを入れるものではない。

主な項目は、回収の見込みのない設備の減損処理や割高で契約した太陽電池材料の価格差の引き当てなどと、国内3500人の希望退職およびグローバルで10%の人員削減、さらに本社の売却などである。つまり固定費を中心としたコスト削減である。構造的問題を先送りしている。

3月末で締めた14年度連結決算は、売上高が前期比4.8%減の2兆7862億円で、480億円の営業赤字、減損処理などで2223億円の純損失を計上し、自己資本比率は前期末の8.9%から1.5%に落ち込んだ。連結では445億円の純資産が残るが、シャープ単体では60億円弱の債務超過に転落した。

6月の株主総会の議決を経て、主取引銀行のみずほと三菱東京UFJの両行が合計2000億円の貸金を優先株に振り替えるとともに、投資ファンドのジャパン・インダストリアル・ソリューションズが第3者割当増資に応じて250億円を優先株として出資する。そして99.8%減資して資本金を5億円にする。減資は繰越欠損を埋めるためである。これらのやりくりで債務超過状態が解消されても、危うい財務状態は続く。

“大手術”なしでの存続は望み薄

高橋社長は続投し、支えてきた水嶋代表取締役副社長は会長になり、大西徹夫代表取締役副社長は取締役を外れて副社長執行役員になる。事業グループを担当してきた方志教和と中山藤一の2人の代表取締役専務は業績悪化の責任を取る形で顧問に退く。

高橋社長は記者会見で「不退転の覚悟で先頭に立って、社員と一丸となって新中計を実行する」と決意を述べた。しかし二つの事業グループを五つの独立性を持たせたカンパニー制に再編する程度では済まないだろう。差別化しにくく市況商品化した液晶や太陽電池の事業を、乏しい資金力で経営できるのか。例えば、大きく振れる液晶事業などがまた下向いたら、規模が大きいだけに元の木阿弥(もくあみ)になる。

何を残すのか決めて持ち切れない事業を売却するなり、他社との合併に動くなり、新中計に書いていない真の抜本的構造改革が必要ではないか。大手術を避けていては、シャープが存在感ある会社として存続するのは望み薄である。

バナー写真=大阪・阿倍野区にあるシャープ本社。経営再建策として売却されることが発表された(写真=時事)

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  • [2015.05.20]

ジャーナリスト。1950年東京都生まれ。1972年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。日本経済新聞社入社後、産業部記者を経て、編集委員、論説委員、論説副主幹を歴任。この間、日経BP社『日経ビジネス』副編集長、米コロンビア大学東アジア研究所・日本経済経営研究所客員研究員を務める。著書に『日本の経営』(2004年、日経文庫)、『経営にカリスマはいらない』(2008年、日経プレミアシリーズ)など。

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