金星探査機「あかつき」軌道投入成功と宇宙開発へのまなざしの変化

中野 不二男【Profile】/玉澤 春史【Profile】

[2016.01.04] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | العربية |

2015年12月7日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、探査機「あかつき」の金星周回軌道投入に5年ぶりに再挑戦し、成功を収めた。この5年間、日本社会の宇宙開発に対する見方には大きな変化があった。

宇宙開発では忘れ去られる「順調な成功」

米航空宇宙局(NASA)アポロ計画の7号から17号までの有人飛行は、すべてが何らかの形で成功とされている。そのうち11号は、月面着陸の中継映像から流れた「これは人類にとって偉大な一歩だ」という言葉とともに、歴史の1ページとなっている。そして月周回軌道に入りながらも機器の異常により月面着陸を断念した13号も、地球帰還時の記録フィルムのみならず、トム・ハンクス主演のヒット映画を通じて、私たちに強烈な印象を残している。しかし他の9機については、月面着陸ばかりか宇宙飛行士の船外活動や軌道上の長期滞在にも成功しながら、一般の人々には印象が薄い。忘れ去られているといってもよい。それは、いずれも「順調な成功」だったからだろう。

「あかつき」金星軌道投入失敗からの5年間

12月7日、日本の金星探査機「あかつき」の金星周回軌道への再投入が試みられ、2日後にその成功が判明した。「あかつき」は、2010年にH-2Aロケット17号機で打ち上げられ、軌道投入されることになっていたが、噴射装置の不具合で失敗に終わった。そして5年後の今回、再投入に成功した。ソ連(当時)、米国、欧州に続いて、いよいよ日本による金星探査が開始される。日本の探査機が地球以外の惑星の周回軌道に入るのは初めてのことだ。

「あかつき」が打ち上げられた2010年は、日本の宇宙開発・探査にとってエポック・メーキングな年だった。5月21日の「あかつき」打ち上げは、おそらくはあまり多くの人の記憶には残っていない。しかし3週間後の6月13日の出来事は、鮮明に覚えているはずだ。小惑星探査機「はやぶさ」の大気圏再突入である。カプセル投下地点のオーストラリアの砂漠には、多くの宇宙関係者が待機し、再突入時の様子はUstream(ユーストリーム)やニコニコ動画、また大学チームなどによりネット経由で中継された。さらに20世紀フォックス、松竹、東映の映画3社がそれぞれ劇場用映画を制作するなど、日本の宇宙探査としては異例のフィーバーになった。この流れを受け、半年後に行われた「あかつき」の金星軌道投入の試みも、失敗はしたものの、それまでは考えられなかったほどに注目された。

あれから5年、「あかつき」は漫然と宇宙を漂っていたわけではない。制御系には破損部分があったが、カメラなどの観測装置は生きていたので、再挑戦を目指して変更した軌道を周回しながら、科学成果を上げてきた。2011年3月には、軌道上の位置が「太陽―『あかつき』―金星」と並ぶタイミングを利用し、金星測光を実施した。2011年6月には、「地球―太陽―『あかつき』」となる位置で、超高安定発振器による電波を地球に向けて発信している。地球側では、太陽から噴き出ているプラズマや太陽風をかすめて送られてきた電波を受信し、それによって太陽風の挙動に関する情報を得ることができた。超高安定発信器はもともと金星観測用に作られたもので、こうした利用には最適だった。

とはいえ、5年におよぶ太陽系の航海で、「あかつき」には多大な負荷がかかっていたはずである。想定していなかった太陽への接近により、機器は高温にさらされており、正常に作動する保証はなかった。そのうえ軌道投入用のスラスタ(噴射装置)は5年前に破損しており、今回の再投入は、姿勢制御用の小さなスラスタに頼らざるを得ないなど、5年前よりもはるかに困難な条件下にあった。そんな状況で、針の穴をくぐりぬけるように周回軌道に入っていった。

宇宙探査には継続性が重要

「あかつき」が高度約7万2千キロメートルから撮影した金星(12月7日午後2時19分ごろ[日本時間]/JAXA提供)

探査機の運用には、地球からの指令と機器の作動にタイムラグを生ずるなど、特有の困難がある。そのうえ人間が作った精密機械である以上、ある程度の問題は起こり得る。それらを前提に、ミッションの遂行は可能か不可能か、不可能ならば別のミッションは可能かを即座に判断しなければならない。「はやぶさ」の例はそれを象徴している。トラブルが連続しながらも、その都度、運用部隊が知恵を絞ってリカバリーし、その結果“はやぶさ君”は燃え尽きながら地球に帰還して、多くの人々に感動を与えた。

しかし運用とは別の視点に立ってみれば、「はやぶさ」にはエンジンの動作不良やサンプルリターンの手順変更、超小型ローバー「ミネルバ」の投下の失敗など、設計面で解決すべき問題があったことは否めない。こうした問題を解決するためには、運用によって得られた知見を設計にフィードバックし、連続した開発を進めることが不可欠である。大学院生を含む若手研究者や技術者に、設計から運用に至るまで、そして時にはトラブルも経験させながら現場での判断力を継承していくためには、プロジェクトの連続性がなければならない。1つのプロジェクトと次のプロジェクトへの間隔が開いてしまうと、「現場感覚」が育ちにくいのだ。しかし残念ながら予算は限られており、思うようにはいかない。そういう状況の下で、どうにか進んでいるのが日本の宇宙探査の現状である。

「順調な成功」が普通になった日本の宇宙開発

「あかつき」再投入のおよそ2週間前、H-2Aロケット29号機により、カナダの通信放送衛星「Telstar 12 VANTAGE」が打ち上げられた。日本にとっては、海外からの受注による初の“打ち上げビジネス”である。H-2Aの第2段エンジンLE-5Bには、世界初の再々着火技術が採用された。クルマでいえば高速道路で直線の下り坂になったらエンジンを切って走り続け、上り坂に差し掛かってパワーが足りなくなったときだけ、オンにするようなものだ。走行距離は飛躍的に伸び、“ガソリンスタンド”のない宇宙航行において、衛星を静止軌道の直前まで送り届けることができる宅配便のようになった。打ち上げビジネスにおいては大きな意味を持っているのだが、「順調な成功」だったがゆえに、それほど注目されていない。

「はやぶさ」の4年後(2007年)に打ち上げられた月観測衛星「かぐや」は、動作・ミッションともに完璧だった。しかしこれもまた「順調な成功」だったがゆえに、やはりほとんど注目されることはなかった。トラブルが多発していた“はやぶさ君”のほうが、そのトラブルゆえに注目され、リカバリーばかりが世間に評価されたというのは、まさに皮肉というほかない。

もっとも、「かぐや」による月探査が“はやぶさ君”でかすんでしまったことも、「Telstar 12 VANTAGE」の印象が薄いことも、必ずしも悪い話ではないかもしれない。宇宙関係者には歯がゆいだろうが、探査機であろうが観測衛星であろうが宇宙ステーションへの輸送機であろうが、日本もすでにたくさん打ち上げており、個々のプロジェクトなど人々の印象に残らない。しかも近頃は、その母数のほとんどを「順調な成功」が占めている。かつては不具合の発生によって打ち上げや衛星の軌道投入の失敗などがあると、ここぞとばかりに“○○億円が海の藻くずと消えた”とか“税金を投入した衛星が宇宙のゴミに”とたたいていたマスメディアも、最近はあまり批判しなくなっている。

日本社会も「成功した失敗」を許容か

冒頭に述べたアポロ13号は、月面着陸というメーンのミッションは達成できなかったが、米国では「成功した失敗(successful failure)」として評価は高い。ニクソン大統領(当時)は、乗員と、その帰還を支援した運用部隊の努力を称賛し、大統領自由勲章を授与している。あのころ米国社会の宇宙開発や探査に対する考え方に、変化があったのではないかと思う。

日本人には「明けの明星、宵の明星」としてなじみのある金星の探査が、間もなく始まる。ただし「あかつき」の設計寿命は2010年の打ち上げから4年半。しかもダメージを受けている。“徳俵”につま先を引っかけて探査を続け、やがて矢尽き刀折れれば、「はやぶさ」と同じように、“あかつき君”として人々に親しまれることになるかもしれない。他方、何事もなくミッションを遂行し、いつかポックリと通信途絶になれば「順調な成功」である。

最終的に「あかつき」が人々の記憶に残るか、「順調な成功」として忘れ去られるかは、まだ分からない。ただ、まさに「あかつき」が打ち上げられた2010年、「はやぶさ」が失敗を重ねながらも人々に感動を与えたのを境に、日本社会に宇宙開発のトラブルや再挑戦を許容する雰囲気が生まれ、それが今回の「あかつき」再投入成功を下支えしたと言えるかもしれない。

(バナー写真=金星探査機「あかつき」の想像図/JAXA提供)

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  • [2016.01.04]

ノンフィクション作家、科学技術ジャーナリスト。京都大学宇宙総合学研究ユニット特任教授。工学博士(東京大学大学院工学研究科)。1978年に渡豪し、アボリジニの研究に従事。1982年から執筆活動を行う。著書に『レーザー・メス 神の指先』(1989年、新潮社、大宅壮一ノンフィクション賞/1992年、新潮文庫)、『日本の宇宙開発』(1999年、文春新書)など。

京都大学大学院理学研究科付属天文台博士課程在学中。京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科修士課程(物理学・宇宙物理学専攻)修了。

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