南シナ海判決を前に軍艦を日本領海に侵入させた中国の思惑

香田 洋二【Profile】

[2016.07.15] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL | Русский |

南シナ海の領有権をめぐる国際裁判で、中国の主張を無効とする判断が下ったが、判決直前の6月、中国は東シナ海で行動を活発化させた。そこには南シナ海への世界の関心をそらし、東シナ海の主権問題をアピールする思惑があると、元海上自衛隊幹部の香田洋二氏は指摘する。

南シナ海の仲裁裁判、中国に厳しい判決

南シナ海ほぼ全域に主権が及ぶとする中国の主張は国際海洋法条約に違反するとして、フィリピンが仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)に提訴した国際裁判の判決が、7月12日に下された。

仲裁裁判所は、中国が「歴史的権利」を主張する「九段線」に法的根拠がないと判断。同国の南シナ海での人工島造成を強く非難した。

判決前には東シナ海で行動をエスカレート

近年、南シナ海問題で国際社会から厳しい批判にさらされてきた中国政府は、判決が自らの立場を否定するものになると事前に予想し、裁判には従わない姿勢を示していたが、この数カ月間、極度に警戒もしていた。そうした中、中国は6月になって、日本の領海や接続水域で相次いで軍艦を航行。南シナ海だけでなく東シナ海での行動もエスカレートさせ始めた。

中国空軍のJ-10戦闘機は6月7日、東シナ海公海上空を情報収集飛行中の米空軍電子偵察機RC-135に異常接近。9日未明には中国海軍のフリゲート艦1隻が、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海外側に隣接する接続水域に中国軍の艦船として初めて進入した。15日は情報収集艦が鹿児島県・口永良部島周辺のトカラ海峡で日本領海に侵入し、翌16日には沖縄県・北大東島周辺の接続水域を航行した。

中国政府の本音は、いかなる手段を講じても南シナ海判決から国際社会の関心をそらしたいという点にあっただろう。そして、南シナ海と東シナ海の双方に「核心的利益」を有すると主張する中国は、東シナ海の主権問題を国際社会に再認識させようとしたと考えられる。

冷静に見た場合、中国にとって今、対日緊張を高めるメリットはない。東シナ海の緊張状態が続いているのは事実だが、4月末に岸田文雄外相が日本の外務大臣として4年半ぶりに訪中し、日中首脳会談に向けた協議も進むなど、両国の政治関係は一時期の最悪の時に比べれば、徐々にではあるが改善しつつある。しかし中国は、東シナ海であえてトラブルを引き起こしたのである。

国際社会の関心という意味では、ここ1年半ほど南シナ海の陰に隠れていた東シナ海の問題だが、その当事者は日米中という大国であり、軍事力を考慮すると、危機が生じた際の緊迫度は南シナ海の比ではない。ここに小さくとも一石を投じれば国際社会の注目を再度東シナ海に引き付けることになる。これが中国の思惑だと推察される。

尖閣接続水域への進入は今後も続く可能性

6月9日未明の尖閣諸島周辺での接続水域進入は、その直前にロシアの駆逐艦が同水域を航行しており、同艦とそれを監視・追尾する海上自衛隊の護衛艦を「監視」することが中国艦の目的だったという分析も日本国内にはあるが、説得力に欠ける。航行したのが領海ではなく接続水域であったことは、北京政府の計算に基づくものである。

国連海洋法条約で「無害通航権」が認められているとしても、尖閣諸島の主権で対立する中国の軍艦船が領海に侵入することは尋常ではなく、状況次第で自衛隊による海上警備行動(※)の対象となり得る。一方、接続水域は国際法上の公海である。武装した戦闘艦が進入しても問題はなく、それを非難できる法的根拠はない。

中国は軍艦を接続水域に進入させることで東シナ海に「波風」を立てつつも、日中間の決定的軍事対立にならない絶妙な行動を取ったのである。斎木昭隆外務事務次官が午前2時に程永華駐日中国大使を呼び出して抗議した後、1時間ほどで中国艦が接続水域を出たことは、中国海軍の勝手な行動ではなく国家的な統制下にあったことを強くうかがわせる。

今回の接続水域への進入が、日本が領有する尖閣諸島を侵略する意図に直接つながるものではないとしても、今後の類似、あるいは、より強硬な軍事行動への警戒を怠ってはならない。特に仲裁裁判所判決後の数週間は、日本周辺の海空域において同じような行動を繰り返す公算が高い。

トカラ海峡領海侵入、中国主張への懸念

6月15日にトカラ海峡を航行した情報収集艦は、その後西太平洋で海自・米海軍・インド海軍による「マラバール2016」演習(10~17日)参加部隊に対する情報収集を行ったとみられる。この領海侵入は、あえて戦闘艦ではない非武装の艦船を投入した点に、自衛隊との物理的対峙(たいじ)を避けたい思惑が明確に感じられる。

中国艦の活動は、他国領海内の無害航行として、国際法上の正当な権利行使という解釈が一般的には成り立つ。ただし、中国は自国領海での外国艦の無害航行の権利は認めるものの、事前通告を要求している。日本に事前通告しなかった今回の行動を無害航行とすることは自らの立場と明確に矛盾する。

そこで中国は全く別の理論で自己の行動を正当化しようとした。中国は、東シナ海と太平洋という2つの公海の間に存在するトカラ海峡を、海洋法条約で定める「国際海峡」だと主張した。それを根拠に、中国艦は沿岸国への通告が不要かつ万人に認められた「通過通航権」を行使して、同海峡を航行したというのである。

この主張は、外国艦の中国領海航行に関する自らの立場と矛盾することなく、自国艦による外国領海の自由航行を実践する便法である。しかし、日本政府はトカラ海峡を国際海峡と認めていない。一方で、地理的形状からは日本の領海となる鹿児島県沖の大隅海峡を「特定海域」と定め、領海幅を通常の12カイリから3カイリに狭めて中央に公海部分を残し、全ての船舶・航空機に航行の自由を与えている。つまり、国際海峡の通過通航よりもさらに自由度が高い「公海上の自由航行」を保障している。大隅海峡に隣接するトカラ海峡をあえて国際海峡とする必然性は全くない。これまで中国軍艦が日本周辺を周回した際も大隅海峡を航行している。さらにトカラ海峡のすぐ南にある、奄美大島と横当島(トカラ列島南端)間の海峡は中央に公海部分が存在するため、多数の船舶の常用航路となっている。

仮にトカラ海峡を国際海峡とする中国の主張を容認または黙認した場合、幅24カイリ以下の日本の海峡全てが国際海峡であるとの主張も可能となる。通過通航権を乱用して中国潜水艦が潜没航行したまま太平洋に抜けるなど、日本やアジア太平洋全体の安全保障上、最も避けるべき事態が生じることになる。

「国際海峡」戦術が日本の安全保障を揺さぶる

中国のトカラ海峡をめぐる主張は、日本として到底認めることができないが、6月の領海侵入時の日本政府の対応は、中国の主張を明確に否定する強いメッセージとなっていなかった。

中国政府に対し、①トカラ海峡は国際海峡として認めていないこと、②中国の通過通航権の主張は一方的な国際法解釈であり、決して認めないこと、③類似の主張を繰り返す場合、それは日本の主権と国益に対する挑戦であること、④今後の同様の行動に対しては所要の措置を講ずること、特に潜水艦の潜没航行には、海上警備行動を発令できる「領海内潜没潜水艦」として対処すること――など、明確な立場表明が直ちに必要である。

また、日本には、中国軍艦と同種の行動を中国に対して速やかに実施する選択肢がある。具体的には、自衛艦が中国の接続水域内を航行し、中国領海内の海峡を国際海峡として通過通航権を行使することである。これは「やられたらやり返す」という単純なことではなく、国際法上の権利の確認と実行であり、各国の海軍活動として定着している。国際法に記されている権利は、何もしない場合には権利として広範に定着しないことが多い。折に触れてその権利を実行して初めて、真の国際法上の規定として定着するのである。

日本では自衛隊が平時にこうした活動を展開することへの心理的抵抗が依然として根強いが、「法の支配」に従う国を標榜(ひょうぼう)するのであれば、国際社会の一員、そして有力な構成員として、上記のような活動を必要な時に毅然(きぜん)として実施することは当然である。

これは国際法確認のための活動であり、武力による挑発でないことは明白だ。こうした対応を取らない場合、なし崩し的に中国の主張を黙認してしまうことになる。「国際海峡と通過通航権」戦術は日本の安全保障の骨幹を揺さぶるものであり、この点を突いてきた中国の老獪(ろうかい)さ、したたかさにあらためて恐ろしさを禁じえない。

なお、拙論執筆中に気付いたことであるが、前述した奄美大島と横当島の間の海峡など、いくつかの重要海峡には正式名称がない。これでは日本の立場を国際的に主張する際に、場所の特定さえ困難になる。政府は名前のない全国各地の離島の命名に着手しているが、海峡名も同様に必要だ。

中国・太平洋進出の要衝、南西諸島のコントロールは日本の責務

仲裁裁判所判決後の中国の東シナ海における活動は、南シナ海問題への国際社会の関心をそらすためという生易しいものではなく、より厳しい事態となる可能性が高い。中国にとって、尖閣諸島を含む南西諸島は戦略的要衝であり、安全保障戦略上確保することが必須の地域である。つまり、中国海・空軍が太平洋に進出・帰投するために重要であり、アジア地域において米軍の展開・介入を阻止する中国の「接近阻止・領域拒否」(A2/AD)戦略実現のカギとなる海域・列島なのだ。しかし、そこはわが国領土・領海である。そのコントロールは独立国としての日本の責務であるとともに、アジア太平洋地域安定の要である日米同盟を安定的かつ柔軟に運用するために極めて重要である。

その観点からは、中国の国際海峡に関する主張は毅然と否定するのに加えて、国際法上、正当でない中国の東シナ海での諸活動について、正面から中国と向き合う必要がある。そして今後予想される類似事案、さらにエスカレートした事案への備え、特に自衛隊の防衛力と態勢整備および日米共同体制の向上を整斉かつ早急に実施することが日本政府に求められる。

バナー写真=尖閣諸島周辺の接続水域を航行した中国軍艦船と同型のジャンカイI級フリゲート艦(防衛省統合幕僚監部ウェブサイトより)

(※)^ 自衛隊法に基づき、海上での人命・財産保護、治安維持のため特別の必要がある場合、首相の承認により発令される。正当防衛に限った武器使用と停船命令に応じない場合の威嚇射撃が認められる。

  • [2016.07.15]

元・海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)。ジャパンマリンユナイテッド顧問。1949年徳島県生まれ。1972年防衛大学校卒業、海上自衛隊入隊。1992年米海軍大学指揮課程修了。統合幕僚会議事務局長、佐世保地方総監、自衛艦隊司令官などを歴任し、2008年退官。2009年から2011年までハーバード大学アジアセンター上席研究員。

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