天皇陛下 生前退位の意向—「平和国家」象徴の役割を次代に引き継ぐために

岩井 克己【Profile】

[2016.08.16] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | ESPAÑOL | Русский |

天皇陛下は生前退位の意向が強くにじむ内容のお気持ちを示された。長年皇室を取材してきた筆者は、その背景にある「平和国家」の象徴としての役割への陛下の思いを指摘する。

次世代への継承に大きな不安

天皇陛下が8月8日、全国民に向けたビデオメッセージで、生前に退位して皇位を皇太子さまに譲る意向を遠回しに表明された。

「皇室典範」は、天皇が崩御すれば皇太子が即位すると定め、生前退位を認めていない。それだけに、陛下のお気持ちは、昭和天皇が1945年8月15日に連合国への無条件降伏をラジオ放送で国民に告げて以来の大きな驚きをもって迎えられた。

安倍晋三首相は「重く受け止める」としながらも、直ちに法改正に着手することはせず、慎重に検討する姿勢だ。戦後に制定された憲法で天皇は政治に関与することを禁じられており、陛下の希望が政権を動かす形となれば、憲法違反の疑いも出てくるからだ。

こうした微妙な問題を承知の上で陛下が「個人としての考え」として退位の意向を表明されたのは、82歳になられる自身の老いを自覚し、戦後営々と「平和国家」の象徴として歩んできた昭和天皇と自らの道のりを次世代以降に継承することに大きな不安を抱えているためと推測できる。

欧州で相次いだ国王退位で世代交代を意識されたか

男系で皇統が125代にわたって続いてきたとされる日本の皇室では、女子は結婚すれば皇室を離れねばならないと皇室典範で定められているが、69年以来9人続けて女子が誕生したことで、陛下の孫の世代の跡継ぎが存在しないという事態が続いた。2006年には秋篠宮家に41年ぶりの男子である悠仁さまが誕生したとはいえ、このままでは皇室は先細りとなりかねない危機が続いている。

しかも、皇太子妃雅子さまが古い伝統やしきたりに満ちた皇室に対する「適応障害」により公の場にほとんど姿を見せられず、皇太子ご夫妻の公務は機能不全の状態が続いた。天皇の象徴としての役割を十全に受け継いでくれるのかという不安に陛下は長年悩まれてきた。

皇太子さまは現在、天皇陛下が即位された年齢(55歳)を超えて56歳。陛下が自身の存命中に皇太子さまを即位させ、重い責任を担わせて経験を積ませることで、将来に見通しをつけたいとお考えになるのも自然なことだ。

また、陛下から皇太子さまへ、そして秋篠宮さま、悠仁さまへと皇位を継承していく中で引き継ぎ期間を設けることで、年々増える公務や大震災のような国家的危機に対処する陣容の厚みを確保できる。当初は、新天皇となった皇太子さまを陛下と秋篠宮さまとで支える「トロイカ」体制が組めるという面もある。

欧州では、13年にオランダのベアトリックス前女王がウェイレム・アレクサンダー皇太子に、ベルギーのアルベール2世前国王がフィリップ皇太子に譲位した。14年にはスペインのファン・カルロス1世前国王がフェリペ皇太子に譲位した。陛下にとっては、長年親交を重ねた国王たちが次々に退位したことで、いや応なしに自分たちの時代が終わり、息子たちの時代に入りつつあることを意識されたのかもしれない。

「皇室先細り」対策の動きは止まったまま

戦後70年の節目を迎えた昨年、陛下は終戦記念日の全国戦没者追悼式のあいさつに、これまではなかった「さきの大戦に対する深い反省」という言葉を盛り込まれた。日本の政治がナショナリスティックな歴史修正主義の傾向を強める中、戦後の国是である平和主義が揺らぎつつあるとの危機感がこの文言に込められたと受け止められている。

ところが、その式典で陛下は段取りを誤り、黙とうの時刻にあいさつを始めようとされた。このことは、自らの「老い」に危機感を深め、残された時間は長くないと思い詰める一つのきっかけだったのかもしれない。

この10年ほど、皇室の先細りへの対策として女性皇族にも皇位継承権を認める法改正や、結婚した女性皇族も皇室に残そうとする法改正が政府によって試みられたが、いずれも「女系天皇につながって、長く続いてきた男系皇統が途切れる」と反対論が出て頓挫した。男系継承の伝統を重視する安倍内閣は改正に消極的で、対策に着手しようとの動きは止まったままの状態が続いてきた。

また仮に安倍内閣が動くとしても、敗戦によって皇族の身分を失った元皇族の子孫の男子を皇籍に戻す方向になりかねないとの見方もある。恐らく陛下にとって、70年前に皇室から離れた遠縁の血筋に皇位が移ってしまうのは気の進まないことだろう。

全身全霊で務めを果たしてきたという自負

第2次世界大戦に敗れ、国土が焼野原になった日本で、天皇は戦前の元首から国民主権下の「日本国と日本国民統合の象徴」として再出発した。

連合国の中には、昭和天皇を戦争犯罪人として訴追すべきだとの意見も強かったが、連合国軍総司令官マッカーサー元帥は、円滑な占領統治のためもあって天皇を守ることを決意。永遠の戦争放棄条項とセットで、政治権能のない儀礼的・精神的な「象徴」として天皇を残す新憲法案を日本側に飲ませることで強硬派の国々を説得し、世界で最も古い王朝である皇室を存続させた。もともと太陽神の子孫という王権神話に基づいて祭祀(さいし)を行う「祭祀王」の性格も持つ天皇には、戦後は平和と国民生活の安寧を祈る役割を期待されたし、皇室の側もそこに自らの存在意義を見いだして歩んできた。

89年の昭和天皇崩御に伴って即位し、始めから「象徴天皇」として歩んできた陛下は、日本の侵略戦争の惨害を被ったアジア諸国や欧米諸国を回って遺憾の気持ちを伝える「和解の旅」を続けられてきた。足跡は海外の戦場にも及び、05年にはサイパン、昨年はパラオ、そして今年1月には太平洋戦争の主戦場フィリピンも訪問された。国内でも戦災地の沖縄、広島、長崎などを度々訪れて犠牲者を追悼されてきた。また自然災害の被災者や障害者など社会的弱者に光を当てることにも努められた。

11年3月11日の東日本大震災では、がんや心臓疾患を抱えているにもかかわらず、広大な津波の被災地を回って2万人近い犠牲者の冥福を祈り、福島県の原発事故による放射能汚染地区から避難し故郷に帰れない人々を励まされた。そうした陛下の姿は、国民からの敬愛をさらに強めた。

それだけに、広島と長崎に原爆が投下された記念日(8月6日と9日)に挟まれたタイミングで、退位の意向を強くにじませたお気持ちを突然表明されたことに国民は驚き、理解は寄せつつも、まだどう受け止めていいのか戸惑っている状態だ。

陛下のお言葉には、憲法の規定では極めて抽象的で分かりにくい象徴の役割のあるべき姿を追求して、全身全霊で務めを果たしてきたとの自負ものぞく。全国の離島を含む津々浦々を訪れて「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と。そして次のように振り返った。

「地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」

そして、自らの忍び寄る老いによって「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と吐露したのである。

「平和憲法」の行方にも関連か

日本の歴史では、天皇の存命中の譲位は、前天皇が政治的な実権を握るために行われた例も少なくない。そのため、皇室が政治に巻き込まれたり天皇が譲位を強制されたりするなど、皇位継承の乱れにつながるという理由から、明治時代以降は存命中の譲位は法的に禁じられてきた。

しかし、江戸時代後期まではむしろ譲位のほうが通例だった時期が長く、古代以来の皇位継承のほぼ半分は譲位による。その意味で、前例のない女系の天皇を認めるのに比べれば法改正のハードルははるかに低い。しかし、天皇が終身在位することを大前提として堅牢で一貫した体系を保ってきた皇室典範に、新たに「前天皇」(太上[だじょう]天皇とか上皇などと呼ばれた)の身分を設けると、さまざまな関連法規の改正が必要となる。どのような基準で譲位を認めるのか、前天皇と天皇との関係をどうするのか、伝統的な宮中儀式とプロトコル(国際儀礼)をどう再編するかなど、多くの課題が生じるため一筋縄ではいかない。皇室関連法規の全面的洗い直しにつながって長い年月を要してしまう恐れもある。

陛下のお気持ちに対して安倍首相は、秋にも検討のための有識者会議を設けるのではないかとみられている。

ただ、首相は以前から「占領軍に押し付けられた憲法」の改正を悲願としてきた。7月の参院選で与党が勝利したことで、国会は衆院、参院ともに改憲発議に必要な3分の2を改憲勢力が占めたばかりだ。これからいよいよ憲法の改正に着手しようとしているタイミングでの思いがけない天皇陛下の重い「提案」に、18年までの自民党総裁任期中の改憲に向けた政治日程に狂いが出かねないと当惑しているのではないかという観測も出ている。

戦後70年間にわたり一度も改正されず、「国民の間に定着している」とされてきた「平和憲法」の行方にも関連して、天皇の譲位を巡る議論の行方は国内外の大きな関心を集めることになりそうだ。

(2016年8月10日 記)

バナー写真:天皇陛下によるビデオメッセージが映し出された大型ビジョンに見入る人たち=2016年8月8日午後、大阪市中央区道頓堀(時事)

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  • [2016.08.16]

ジャーナリスト。1947年生まれ。慶應義塾大学卒。1971年朝日新聞社入社。1994年から2012年まで朝日新聞編集委員、同年5月退社。「紀宮さま婚約内定」の特報で2005年度新聞協会賞を受賞。著書に『侍従長の遺言』(聞き書き、解説/朝日新聞社/1997年)、『天皇家の宿題』(朝日新書/2006年)などがある。

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