「働き方改革」のわな
昭和のチューニングを超えて、次世代の労働社会像を示せ

常見 陽平【Profile】

[2016.10.20] 他の言語で読む : ENGLISH | ESPAÑOL | Русский |

安倍政権が現在、“最重要”政策課題に掲げる「働き方改革」。長年日本の問題とされてきた長時間労働の慣行は、これを機に是正の方向に向かうのか。

時代は「働き方改革」である。「働き方を変えよう」と言われて、総論では誰も反対しない。これらが国を挙げた議論になっていることに時代の変化を感じるし、期待をしないわけではない。ただ、この国家を挙げたチャレンジに、私は曖昧な不安を抱いている。この取り組みがわが国の労働問題を解決する本質的な取り組みになるよう、懸念点を指摘したい。

「働き方改革」が議論されるのは画期的だが・・・

夏の参議院選挙を経て発足した第3次改造安倍内閣は、自らを「未来チャレンジ内閣」と位置づけた。中でも「働き方改革」を最大のチャレンジと位置づけている。すでに、労使の代表や有識者を交えた「働き方改革」の会議も開かれた。検討事項として、次の9項目があげられている。

  1. 非正規雇用の処遇改善(同一労働同一賃金)
  2. 賃金引き上げ
  3. 長時間労働の是正
  4. 転職・再就職支援、職業訓練
  5. テレワークや副業・兼業など柔軟な働き方
  6. 女性・若者が活躍しやすい環境
  7. 高齢者の就業促進
  8. 病気の治療、子育てや介護と仕事の両立
  9. 外国人材の受け入れの問題

(朝日新聞2016年9月28日付朝刊より)

まず確認しておきたい事実は、「働き方改革」の論点は多岐にわたっているということである。「働き方改革」はメディアでも大きな話題となっており、さまざまな取り組みが日々伝えられる。「全従業員(正社員以外も含む)を対象に在宅勤務を推進」(リクルートホールディングス+同社グループ企業)、「週休3日制の導入検討」(ヤフージャパン)などユニークかつ大胆な企業や、副業、兼業などを実践している個人の取り組みが報じられる。それもまた「働き方改革」の一事例ではあるが、実際の検討項目は幅広い。

とはいえ、この中でも大きなテーマは長時間労働の是正と非正規雇用の処遇改善、中でも同一労働同一賃金の導入だろう。この大きなチャレンジにどのように立ち向かうのか、どのような落とし所にするのかが注目される。

残業が生まれる真因に踏み込め

この論考では特に、長時間労働是正の話をしよう。「働き方改革」の中でも大きなテーマとして挙げられている。読者の皆さんにとっても、身近な問題であるがゆえに最も関心が高いのではないかと思う。

やや自分語りをさせていただく。私は会社員を15年間経験した。長時間労働の日々だった。新人の頃は、朝から翌日の早朝まで働いていたこともある。正直なところ、サービス残業をしたこともある。上司から指示されたこともあったが、自ら進んでタイムカードを修正し、少なく申告したこともあった。かけた労働時間の割にパフォーマンスが低く、アウトプットの量も少なく質も十分ではないと感じたからだ。

改めて、自分はなぜ残業していたのだろう?仕事の要領が悪かったこと、仕事の絶対量が多く難易度も高かったこと、社内の競争に負けたくなかったこと、自分として納得のいくまで仕事をしたかったこと、「不夜城」と言われるほどのモーレツに働く企業風土だったことが理由として思い浮かぶ。おそらく読者の皆さんの中にも、同じような理由から残業している人は一定数いることだろう。

この長時間労働の是正は、日本において長年問題となり続けていた。長時間労働者の割合は国際的にもトップレベルである。日本の正社員の労働時間はこの20年間、約2000時間で横ばいである。非正規雇用者も含めた総労働時間では1994年に1910時間だったが、2015年は1734時間だ。現在、非正規雇用者の割合は約4割となっている。90年代半ばから増加を続けた。これらの労働者は短時間で働く者の割合も多いが故に、労働時間が減ったかのように見えるのである。

「働き方改革」をめぐる議論では、長時間労働の規制を強化する議論が行われている。現状も長時間労働に関する決まりは存在する。しかし、労使間で協定を結べば、事実上いくらでも残業を行うことができる。これが36協定(サブロク協定)である。「会社と労働者代表が合意をして労使協定を締結した場合は、1日8時間、1週40時間の法定労働時間を超えて働かせることができる」と定めている。この協定が機能していない件を是正しようというわけだ。

長時間労働に関する規制については、賛成か否かでいうと賛成ではある。しかし、私はこの対策は十分ではないと考えている。規制をかけるから、残業を減らすよう創意工夫せよという、現場丸投げの改革案であるからだ。そもそもの仕事の絶対量を減らす、仕事の役割分担を変えるという方向での解決を促さなくては、昭和型の「気合いと根性」の改革案になってしまうのだ。

「働き方改革」の議論においては、そもそもなぜ残業が発生してしまうのかという視点が完全に抜け落ちてしまっている。残業が生まれる背景には、誰もが出世を夢見て競争していること、そして個々人に任される仕事が明確に定義されていないというものがある。

もちろん、私が触れたような組織の風土などの問題もある。日本人は勤勉だという国民性に答えを求める者もいることだろう。しかし、これらのいわば精神論ではなく、誰もが上のポジションを目指して競争する社会、何もかも仕事が任される社会であるという構造の方にメスを入れなくてはならない。正社員であれば昇進・昇格があり得ること、仕事の絶対量が極論すると無限に増えていく可能性があるというこの労働社会の構造にこそ長時間労働の原因がある。

長時間労働の規制も、これらの変革を促すものにならなければ意味がないのだ。つまり、そもそもの仕事の絶対量や任せ方を見直すことが必要なのだ。

このような働き方(ここでは昇進・昇格のシステム、職務範囲の明確化、仕事の任せ方などを指す)に移行することを促す「働き方改革」なら賛成だが、単に「労働時間を減らしましょう」「規制をかけますよ」という改革は、昭和的な「気合いと根性の取り組み」と何ら変わりはない。

このような現場丸投げの改革は、サービス残業を誘発する。つまり、こなしきれないが故に、しかも規制がかかるが故に、自分の責任として残業に走ってしまうのだ。メディアで若者を使いつぶすブラック企業として叩かれた企業も、実は残業に関する社内の規制を厳しく課している企業も存在する。しかし、仕事の絶対量や責任は変わらない。結果として、サービス残業を誘発してしまう。従業員も自己責任だと思ってしまう。

もちろん、人間の可能性に限界はないという考え方もある。長時間労働の是正、労働時間改革に取り組んだ企業は、強制退社の時間などを設けることによって現場の意識も変わり、それぞれが創意工夫をするようにはなる。「長時間労働はかっこ悪い」と従業員が考えるようになった職場も存在はする。ただ、全ての企業でこのように上手くはいかないことは明らかだろう。

「働き方改革」という言葉をちらつかされて、反対する者は少ない。しかし、あまりに総論で現場丸投げという改革案は、副作用しか生まないのではないだろうか。

官邸主導の「働かせ方改革」に庶民の声を

政府が「一億総活躍プラン」や「働き方改革」に対して本気であることは、それぞれに担当の大臣を立てる、有識者による会議を開くなどの動きを見ても明らかではある。しかし、この官邸主導の改革に死角はないだろうか。

専任の担当を立て、有識者の意見を取り込もうとするのは、この改革に本気であるとも見えるのだが、単なる懐柔策にも見えてしまう。この夏に行われた参院選でも、雇用・労働に関する政策は与野党ともに横並びだった。自民党はこれまで野党が論じてきた主張を良くも悪くも柔軟に取り入れることで、論点封じをするとともに、支持を増やそうとしているようにも見える。

有識者会議にしても、経団連会長、連合会長といった労使を代表するかのような人物が登用されているが、彼らは大企業を中心とした利害関係の代表者だ。日本人の6割強は中堅・中小企業で働いている。これらの企業で働く者の利害関係をどう取り入れるのか。さらには、労働者の約4割が非正規雇用者である。個人請負という形式で仕事をする者も増えつつある。「一億総活躍」「働き方改革」と言いつつ、多様な労働者に対する眼差しは、そこに存在するだろうか。

「働き方改革」と言いつつ、しょせんは「働かせ方改革」である。別にこのことを悪く言うつもりはない。労働とは労使の関係のもとに成り立つものであるからだ。ただ、官邸主導の急な改革は、現場不在、労働者不在のものにならないか。

いや、そこには経営者の論理すら不在ではないか。当たり前だが、企業がもうからなくては労働者の生活は改善されない。この改革は、企業にとってもうかる改革になるだろうか。単に人件費を抑制する改革ではなく、パフォーマンスが上がる改革でなくては意味がないだろう。

この手の議論には必ず労働生産性が論拠として登場するが、これは生み出した付加価値額と労働投入量がものをいう。よく日本の生産性は低いという事実が独り歩きするが、資源に恵まれた国、金融センターとなっている国など、希少価値の高い産業を抱える国が上位に入る。たいていの報道はその事実に着目せず、「ムダな会議」などの光景などと相まって「日本の生産性は低い」と断じてしまう。わが国が破綻したアイスランドやギリシャよりも下にきているランキング自体を、なぜ疑わないのか。

国家として、この産業でもうけるというような成長戦略のビジョンが明確でないまま、働き方を変えるという話に走るのは、戦略ではなく、戦術レベルの話である。これからどの産業でもうけるのかという発想がない限り、つまり付加価値をいかに上げるかという発想がないかぎり、生産性など上がらないのだ。

そもそも「働き方改革」においては、いったん感情と常識を手放して、「なぜ今までこうなっていたのか?」という視点を持つことが大事だ。長時間労働は安全衛生管理という意味でNGだが、それでもそれが続いているのは合理性があるからだ。好況期、不況期に人員の増減をすることなく柔軟に対応できる。同じようなスペックの人材を内部労働市場からも外部労働市場からも獲得困難である場合、現状のスタッフが長時間労働をした方が現場は回る。この合理性といかに戦うかという視点が必要だ。

長時間労働に限らずだが、働き方改革で提示されている論点はこのように、官邸主導で現場丸投げの改革案になっていないだろうか。「働き方改革」により逆に国が滅びないように、労働者不在の改革にならないよう、われわれは声を上げなくてはならないのだ。

万国の労働者、いまこそ団結せよ。

バナー写真:徳島県神山町に進出した映像データの管理や配信を手掛ける「プラットイーズ」(東京都渋谷区)の社員ら。改築した木造家屋に大容量のデータのやりとりができる通信回線を敷き、仕事に励む=2013年8月撮影(時事)

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  • [2016.10.20]

千葉商科大学国際教養学部専任講師、評論家。専攻は労働社会学。1974年生まれ。北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。1997~2005年リクルート勤務。その後玩具メーカー、コンサルティング会社を経て、雇用・労働、キャリア、若者論などをテーマに執筆、講演活動を行っている。主な著書に『僕たちはガンダムのジムである』(日経ビジネス人文庫)、『「就活」と日本社会』(NHKブックス)など。

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