ニッポンを変えるJETプログラム

毛受 敏浩【Profile】

[2016.11.02] 他の言語で読む : ENGLISH | ESPAÑOL |

JETプログラムは今、世界中の若者たちから熱い視線を注がれている。子どもたちに英語を教え、地方の自治体で国際交流の手助けをすれば、憧れの国に暮らすことができるからだ。こうして日本に迎えられたJET青年はこの30年間で6万人を超え、ニッポンのありようを変えつつある。

英語をはじめとする外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図ることを目的に開始されたJETプログラムは、日本の国際化に大きな影響を与えてきた。

2016年には創設30年目を迎え、招致国も当初の4カ国から40カ国に、年間の参加者も848人から4952人へと大きく飛躍した。(※1)JETプログラム(ジェット・プログラム)の延べ参加者は6万2000人以上と、世界的に見ても極めて規模の大きな国際交流事業と言える。現在、45都道府県、約1000の地方公共団体がJET青年を受け入れている。

異文化交流の扉を開く

JETプログラムは、それまで外国人から直接学ぶことがなかった日本の英語教育に革新をもたらした。JET青年から生徒が直接指導を受け、ナマの英語に触れる授業が提供されたことは単に語学教育面での効果を超えて、異文化とは何か、世界とつながるとはどういうことかを生徒が考える機会となったと言えるだろう。

一方、JETプログラムによって日本を訪れ、全国津々浦々に配置された青年たちは感受性の高い時期を日本で過ごすことで、日本の真の姿に接し、彼ら自身の価値観やその後の人生に大きな影響を与えることになった。

そのインパクトは、JETプログラムの同窓会組織であるJETAA(JET Alumni Association)の充実ぶりにも伺える。JETAAは現在、15の国と地域に設置され、52支部、会員数は2万6000名以上となっている。米国ではニューヨークやワシントンをはじめ、全米を網羅する19都市に支部が設立されている。

JETプログラムには中国からの参加者も含まれる。中国青年の招致は1992年に開始され、近年では毎年約70名が参加している。彼らのほとんどは中国の地方政府から派遣され、帰国後は各地域で対日交流の中心的な役割を担っている。緊張状態が続く日中関係の中にあって、草の根交流の人材育成の役割をも果たしている。

日本全国でカルチャーショックが

多様な成果を挙げてきたJETプログラムであるが、地域の国際交流の面に焦点を当てて考えてみよう。

このプログラムが開始された1987年。日本に住む外国人は80万人程度、総人口の0.6%に過ぎなかった。地方では外国人の存在そのものが珍しく、そうした時代に始まったJETプログラムは多くの地域で一種のカルチャーショックを日本中に引き起こした。テレビでしか見たことがない外国人が町を歩き、顔をじっくりと見つめられて、「あなたの目の色でちゃんと風景が見えるのか?」と尋ねられた青年もいた。

またテレビの天気予報で「波浪(はろう)警報」を聞いた地方の子どもが、「ハロー警報」と考え、「今日は外国人が町を歩いているから注意が必要」と勘違いしたという、笑えないエピソードも残されている。

そうした時代にJET青年は地方都市のみならず離島にまで配属され、現地に住み着き、人々と交流し、そして現地の子どもの語学教育に携わった。地方の人々にとっては「第2の黒船」であり、外国や外国人に対する意識を変える上で、大きな成果を果たしたと言えるだろう。

「土」人間と「風」人間との出会い

国際交流では「土人間(つちにんげん)」と「風人間(かぜにんげん)」という例え話がある。土人間は土着の人々であり、土人間だけがいるとその地域は波風が立たず安定はしているが、やがて活気がなくなり、停滞してしまう。一方、風人間はよそ者であり、地域へ移り住んできた人たちを指す。土人間と風人間が出会うと、そこには葛藤や対立が起こり、地域社会に波風も立つだろう。しかし、その中から共存の知恵や新しい発想、今までにない新たな活力が生まれる。風と土の両者があって豊かで活力ある「風土」が生み出されるのである。国際交流とは風人間を海外から連れてくることであり、人為的に新たな風土を生み出すことを意味する。

まさにJET青年は風人間であり、異文化を持った彼らが地元に定住することで、それまで海外との交流に乏しかった多くの地域社会に新しい風を吹き込んできた。

それは必ずしも調和のとれた楽しい経験ばかりではなかっただろう。文化や制度の違い、コミュニケーションの不足など、JET青年はさまざまな壁にぶつかった。しかし、そうした苦労を乗り越え、彼らは自分自身のアイデンティティを理解し、また日本社会、日本文化を自らの体験を通して学んだ。日本人も必ずしも優しい人たちばかりではないし、硬直的な組織風土もある。しかし、その一方で彼らを温かく迎え入れた多くの日本人との出会いもあった。そうしたものをひっくるめて日本での凝縮された経験が彼らの成長につながったはずである。

手づくりの土佐弁ミュージカル

そうしたJET青年が行ってきた活動の一つに、高知県での「GENKI青年会土佐弁ミュージカル」がある。これは高知県に配属されたJET青年が、高知弁を駆使して地元の題材を取り上げてミュージカルとして地元の日本人に披露するというものである。1996年から20年にわたって続けられ、毎年、日本人ボランティアや地域住民の協力によって公演が行われている。

4月に行われた土佐弁ミュージカル「お遍路オールスターズ」の公演

地元の人々にとって生活の一部となっている身近な土佐弁で、外国人が演技やダンスを披露することでユーモアあふれる演劇となり、地元の人々は土佐弁や郷土の文化の素晴らしさをJET青年の演技を通じて再認識する。毎回、異なる演目が上演されるが、彼らが自ら脚本を執筆し、演出し、上演するという手づくりの舞台をつくりあげている。

全国でも例のないこのユニークな活動に対して、2005年には国際交流基金から地球市民賞が授与された。まさにJET青年と地元の人たちとが一体となってつくり出した芸術活動と言える。彼らの滞在は基本的には1年間と短いが、この活動は途切れることなく継続して行われ、高知に根づく名物事業となっている。

姉妹都市の縁結び役

さらにこの事業では公演のたびに募金活動が行われる。集められた募金は県内の中高大学生が海外留学する際の助成金として使われる。つまり、JETプログラムによって日本で貴重な体験を得ることができた青年たちが、高知の青少年に海外留学の機会を与えようとし、日本の次世代の国際的な視野を持つ人材を育成することに役立っている。この事業はまさに未来志向であり、人材育成の好循環が生まれている。

未来志向という点では、JET青年が派遣された地域と出身地との姉妹都市提携を果たした例も報告されている。福島県三春町と米ウィスコンシン州ライスレイク市との姉妹都市提携はJET青年が縁結び役を果たした。

姉妹都市交流では、地域同士が期限を決めずに提携関係を結び、青少年交流を中心に成人の交流や経済分野の交流などさまざまな交流が行われる。国を超えて永続して行われる地域の人々の交流の機会となる姉妹都市提携をJET青年が取り持ったとすれば、未来につながる交流活動に貢献したと言ってもいいだろう。姉妹都市によって、将来にわたって多くの人々が相互の文化を学び、友情を深め、意義のある交流を行うことにつながっていくのである。

定住するJET青年も

このプログラムに参加することによって日本を知り、日本に定住を決めたJET青年もいる。彼らはプログラム終了後帰国を想定していたが、日本に残った人たちだ。現在では日本に新たな職を見つけて留まる人々も増えつつある。世界に散らばり、それぞれの分野で活躍する人々と同時に、人口減少が続く日本で、永住し、あるいは帰化する人も増えるだろう。地方の活性化にも役立つのは言うまでもない。

成功した国際交流事業がそうであるように、JETプログラムは30年前の想定をはるかに超えてさまざまな成果を生み出し、大きく成長した。日本最大のソフトパワーの一つとも言えるJETプログラムの今後のさらなる進展に期待したい。

バナー写真:高知県内の小学校で、日本人教諭とともに英語の授業を行うJET青年

(※1)^ The Japan Exchange and Teaching Programme

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  • [2016.11.02]

公益財団法人日本国際交流センター執行理事。兵庫県庁で10年間の勤務の後、1988年より同センターに勤務。草の根の国際交流、移民問題を中心に幅広い分野を担当。慶応大学、静岡文芸大学で非常勤講師を歴任。総務大臣自治体国際交流・表彰選考委員、新宿区多文化共生まちづくり会議会長などを務める。著書に『自治体がひらく日本の移民政策』など。

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