キトラ古墳壁画の保存と修復

早川 典子【Profile】

[2016.11.28]

墓の主と共に眠りについた神々と星空が1300年の時を経て、現代によみがえった。奈良県明日香村にある国特別史跡キトラ古墳の石室から剥ぎ取った壁画「朱雀」「白虎」「天文図」の修理が完了し、2016年9月に「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」で一般公開された。12年かけて行われた修復作業の全貌を伝える。

高松塚古墳壁画以来の大発見

キトラ古墳壁画は奈良県高市郡明日香村にある古墳である。ファイバースコープによる調査で、1983年に正面に見える北壁の玄武の存在が、その後98年に東壁の青龍・西壁の白虎・天井の天文図の存在が明らかになった。

これを受けて2000年に特別史跡指定され、01年の調査で南壁の朱雀と各壁の十二支が確認された。古墳内の漆喰(しっくい)上に描かれた図像としては、朱雀と十二支は国内においては他に例がなく、青龍・白虎・玄武・天文図は高松塚古墳壁画とキトラ古墳壁画のみに確認されている。

修復後の朱雀(南壁)

修復後の天文図

修復後の白虎(西壁)

1300年の眠りから覚めた朱雀と十二支

キトラ古墳壁画は2004年の2月から行われた発掘調査で全容が明らかになり、同時に、すでに壁から浮き上がり、剥落が懸念される部分が多数あることも確認された。

その状況をもとに緊急処置として壁から浮いている部分の漆喰の取り外しが行われ、その後、壁画全体を取り外して石室外で保存修復処置を行うことが決定された。

以来12年間が経過したが、その間に行われた保存修復処置は大きく以下の3点の作業に分けられる。

①石室内における壁画の維持管理
②壁画の取り外し作業
③取り外した壁画の再構成

これらの作業が終了し、16年9月に奈良県高市郡明日香村の「四神(しじん)の館」において、天文図・白虎のある西壁・朱雀のある南壁が公開された。実物の壁画は期間を決めて公開されているが、施設は通年で開館しており、古墳・壁画の発見の経緯や原寸大の立体模型、壁画の高精細画像モニターなどが展示されている。

微生物の侵入をシャットアウト

壁画は2004年9月の段階で全面取り外しが決定されたが、その後すべて取り外し作業が終了するまで6年以上を要した。その間、壁画の劣化が進行しないように、さまざまな対策と処置が取り外し作業と並行して行われた。

石室内部は100%に近い相対湿度の環境であり、湿度を急激に下げると壁画が乾燥収縮や剥離を生じることが予想されるため、この湿度を維持する目的で覆屋(おおいや)が建設され、さらに、石室内部の温湿度が常時モニタリングされた。

また、この温湿度条件下では微生物の発生が懸念されたため、入室時にはエアシャワーの通過、防塵服・マスクの着用、消毒などが義務付けられるなど、微生物の持ち込みに細心の注意が払われ、修復技術者による壁画表面の点検と微生物処置がこまめに行われた。

失敗が許されない取り外し作業

作業初期の2004年の頃に取り外されていた漆喰は、比較的厚みがあり柔らかいものであった。この時期は、へらやナイフを工夫して用いていたが、その後、強固な漆喰やごく薄い漆喰などさまざまな状態が確認され、このような状況に対応するためダイヤモンド・ワイヤー・ソーを開発した。

ダイヤモンド・ワイヤー・ソーを使用した朱雀の取り外し

ダイヤモンド・ワイヤーはダイヤモンドの砥粉(とのこ)を表面にコーティングした刃物であり、強度の高い対象物でも断線せず、かつ切りしろによる損失を最小限に抑えて切断させることが可能と考えられた。これを装着させたワイヤー・ソーを開発することで、均一に薄く漆喰を取り外すことを目指した。漆喰の状態が不均一である上に、漆喰下の石材も平滑でないため、この状況下でも使用可能であるよう試行錯誤を重ね、さらに失敗が許されないため模擬の漆喰壁画を作製して何度も予行練習を繰り返した。こうした修復技術の開発によって、厚さ数ミリメートル以下の部分を含むごく薄い漆喰層に描かれていた朱雀を取り外すことが可能となった。

また、取り外しには、切り離す道具だけでなく、取り外し直後の漆喰にひび割れなどを生じさせずに移動するための保護材料が必要だった。この保護材料は、使用後には表面から完全に除去できなければならない。漆喰の厚さや位置、あるいは天井の曲面部など、場所に合わせて材料が検討され、壁画に直接触れる第一層の保護層には、接着剤を含む繊維シートを作製して用いた。このシートは微生物の生えにくい薄い繊維に水やエチルアルコールで再溶解が可能な接着剤を塗布し乾燥させたもので、これを現場で貼り付けて用いた。

その層の上に強度があり、かつ透明(壁画の状態を取り外し中にも確認が可能)な合成素材を漆喰の状態に合わせて選択し、固定した。特に天文図の曲面部分では、その形状にそわせた後にすぐに固定可能でありながら漆喰を支えるに十分な強度を発現する材料を探した結果、緊急土木工事などに用いられるFRP(繊維強化プラスチック)を用いた。

再修理を前提にして壁画を再構成

壁画は1143片に分割されて取り外されたため、その再構成が行われた。漆喰片の作業上の強度が懸念されたため、裏に複数層の保護強化処置を行なった上で漆喰片の間の空隙を充填(じゅうてん)し、強度のある材料の上に固定することで再構成を行なった。これらの強化材料、接着材料、そして充填材について試行錯誤を重ねながら材料を選定している。

天文図の再構成

キトラ古墳壁画については2009年に「当面の間、石室外の適切な施設で保存管理・公開する方針」が決定されたが、これはあくまで「当面の間」の形態であり、その後の保存管理時には現在の形態が改変される可能性がある。そのため、再構成後も必要があれば再度、解体と再構成が可能である状態に保つことが望ましい。従って材料の選択に際しては、保存管理に必要な強度の他に、再修理が可能であるという条件が満たされなくてはならなかった。修復に使用された材料は、全てこの点を念頭に探索と開発が行われた。

取り外した漆喰の裏面の補強

漆喰の強化材料には次の修復時に溶媒などにより除去が可能な材料を用いている。漆喰の裏面の支持には、防弾チョッキなどに使用されるポリアリレートという強度の高い繊維を、文化財修復に使用される合成樹脂でキャスト固定して作製したシートを用いた。空隙の充填には、再修復の際に物理的にも除去しやすい材料を選択し、乾燥後の収縮の少ない混合比を何度も試行錯誤の末に見いだして用いた。

日本画の修復技術を生かす

海外では壁画修復はその専門家集団が行うが、日本では漆喰の上に描かれた絵画修復の事例が少なく、今回のキトラ古墳壁画の保存修復における実作業の多くは国宝修理装潢師(そうこうし)連盟の技術者たちが担った。国宝修理装潢師連盟は、指定文化財の日本画や書跡を中心に美術工芸品の保存修復を行っている技術者集団で、文化庁の認定する選定保存技術保持団体である。

日本画や書跡は、古くから一定期間ごとに仕立て直すものであり、修復作業は常に再修理を念頭に行う。海外での壁画修復では、しっかりとした再固定や修復部分のマチエール(材質感)の合わせ方などに重きが置かれることと比較すると、日本画の修復は、再修復や再解体が行われることが前提とされている点が特徴的である。

例えば、掛け軸などの表具は、全体としては一枚に見えるものの、実際にはいくつものパーツに分かれており、解体修理がしやすい構成になっている。このようなパーツ再構成の際の技術は今回の壁画の再構成でも生かされている。また、脆弱(ぜいじゃく)化した日本画の修理時には、接着剤と薄いシートで表面の固定を行いつつ解体修理し、修理後はそのシートと接着剤を再剥離させるという手法がよく取られるが、この手法は今回の漆喰取り外し時における表面固定に応用された。

科学技術と伝統技術の融合

キトラ古墳壁画の修復では、保存科学者たちが科学的なバックグラウンドをもとに材料や手法を選択し、そこで提示した材料・手法について実際の作業の可否を日本画の修復技術者が判断するという双方向の密な連携の上に成り立ったプロジェクトだった。再修理の可能性を視野に入れつつ行う必要のあったこのプロジェクトは、科学的な調査研究をもとに日本文化の特色を生かした壁画修復であったと言えよう。

バナー写真:キトラ古墳壁画の再構成
写真提供:文化庁

この記事につけられたタグ:
  • [2016.11.28]

独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所保存科学研究センター修復材料研究室長。1972年生まれ。96東京工業大学工学部高分子工学科卒業。98同大学院社会理工学研究科修了。同年東京国立文化財研究所修復技術部研究員、2011年主任研究員を経て2016年より現職。

関連記事
最新コンテンツ

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告