日本の死刑を考える②—蚊帳の外に置かれた被害者遺族

藤井 誠二【Profile】

[2016.12.28] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

日本の刑事司法は「殺された側」の権利を十分に尊重しているのだろうか。数々の被害者遺族に取材を重ねてきたノンフィクションライターが、死刑廃止論に疑問を投げかける。

「生きて償う」とはどういうことか

私が犯罪被害者遺族の聞き取り取材を始めたのは1990年代の終わりごろからで、家族の誰かを惨殺された遺族を中心に100を超える遺族に会い、その声を微力ながら社会に伝えてきた。毎回、取材のたびに遺族から突き付けられたのは、「生きて償うとはどういうことですか」という、死刑廃止論に対する厳しい問いだったが、それは同時に私の考えを問うもので、私はすぐに返す言葉が見つけられず口ごもった。しかし、その経験が私の死刑制度に対する考え方—逡巡(しゅんじゅん)も含めて—の礎になっていったのは間違いない。

道を尋ねてきた男に拉致され、陵辱された揚げ句に殺され、遺体を遺棄された小学生の少女の遺族に会った時、私より若い父親と母親は震える声で、「生きて償うなんて詭弁(きべん)です。そもそも償いなんて、被害者遺族が受け入れてこそようやく始まるのです。それを最初から前提とするなんて信じられません。少しでも殺された命に対して思いをはせてほしい。そういうことを平気な顔で言える人は、遺族になったことがないから分からないのでしょうし、理解しようとするつもりもないのでしょう」と言ったことを私は今でもはっきりと覚えている。

遺族の怒りは加害者へはもちろん、加害者への死刑判決を回避させたい弁護士など、死刑廃止を主張する側へも広げられるのが常だ。そして、その言葉は社会全体へと向けられているようにも感じた。日本の世論の大方は死刑存置だが、被害当事者の思いを理解する努力をしてくれた上で、そういう世論を社会は形成しているのだろうかという疑心なのかもしれなかった。

極刑が適用されるのはごく一握り

私たちは漠然と、そして軽率に「償い」という言葉を口にする。生きて償う、というステレオタイプな物言いにどこか慣れている。しかし、殺人を犯した者が被害者遺族にどうやって「償い」をするのだろうか。謝罪の手紙を送り続けることだろうか、写経を続けることだろうか、模範囚として生きることだろうか。どれも違う。そもそも「生きて償う」という言い方は机上の空論に過ぎず、現実にはあり得ない。「生きて償う」は事件当事者の外側にいる人々が作り出した幻想ではないか。私は被害者遺族に会い続ける中でそう確信するようになった。

そして、そもそも大半の被害者遺族は「償い」など望んでいない。上っ面の謝罪の言葉など聞きたくもなく、受け入れるつもりもない。それよりも加害者には生きていてほしくない。特に修復不可能な事件の場合は、刑に服して改心をして、「善人」になったとしても、被害者遺族にとってはなんの価値もない。死刑は命を持って償うということではなく、せめて消えてほしいということなのだ。加害者の命が国家によって奪われることで、少しでも心のけじめをつけられる。同時にそれは犯罪被害の「終わり」ではなく、この世で加害者が生きているということがなくなれば、被害者だけに思いを寄せることができる—そうしたことも私は長い取材経験から知った。これは分かり切ったことだろうが、特に家族を奪われた事件の被害者遺族は、加害者に対して報復としての極刑を望んでいる。だが日本では、殺人事件の犯罪被害者遺族の応報感情が全てかなえられるわけではない。殺人事件の加害者に対して、極刑が適用されるのはごく一握りの例に過ぎない。

光市母子殺人事件の取材を通じて

私は1999年に起きた光市母子殺人事件(編集部注:99年4月山口県光市で、当時18歳の少年が、乱暴しようとして抵抗された主婦と生後11カ月の長女を殺害した。1、2審の無期懲役に対し、2012年2月最高裁は元少年の死刑を確定した)の遺族・本村洋さんを事件直後から取材し、何冊かの本に書いた。本村氏は当初、死刑にできないのなら自分で殺すから社会に戻してほしいと主張し、公判が続く中で、死刑が確定した者でないと真の「反省」はできないという確信に至り、死刑判決が出れば、妻と幼子の命を奪った当時18歳の少年の命をも背負って生きていくという悲痛な決意をも語るようになっていた。同時に、被害者遺族として死刑を望むことは正しいことなのか、という自問自答を彼は繰り返してもいた。

本村氏の身近で取材を続けていた私は、本村氏の考えの中には、加害者を裁く過程に積極的に主体の一人として国家や加害者と対等に関わりたいという思いや、死刑が必要にならないような犯罪のない社会になっていくべきだという希望も含まれていたと思う。そのことを彼は、自らが中心となって活動した被害者の権利獲得運動の中でも主張し続けた。

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  • [2016.12.28]

1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。高校時代より社会運動に関わりながら、取材者の道へ。著書に『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫、2011年)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書、2015年)、『死刑のある国ニッポン』(2015年、森達也氏との対話・河出文庫)など多数。

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