日本の人工知能(AI)の現状と「深層学習」の課題

科学 技術

世界に30年遅れて始まった日本の人工知能(AI)研究。今、注目を集める「深層学習」(ディープラーニング)に力を入れる企業は多いが、まだ目立った成果はない。この分野の人材不足も大きな課題だ。

2016年3月、米グーグル傘下のDeepMind社が開発した「アルファ碁(AlphaGo)」が囲碁界最強レベルの棋士に圧勝したニュースは、人工知能の急速な進化を証明して、世界に衝撃を与えた。

「人工知能」と一口に言っても、その歴史は古い。世界初の電気式計算機は、英国の数学者アラン・チューリングが第2次世界大戦中に開発した暗号解読機だ。元々の着想は人間の「計算手」(Computer)を機械に代替させる「デジタル計算手」 (Digital Computer)を作ることだった。人間のような知能を持つ機械を作りたいという欲望はコンピューター誕生の瞬間から存在したわけだ。実際に人工知能の基礎概念は、1947年にチューリングが論文として発表している。その後、いわゆる「AI(Artificial Intelligence)」という言葉が広く認知されるようになったのは56年、この分野を研究する科学者たちが開催した「ダートマス会議」からだ。ちなみに日本では「人工知能学会」が86年に設立され、世界に30年遅れて人工知能研究が始まった。

「機械学習」と「ニューラルネットワーク」

人工知能学会が生まれた1986年は第2次AIブームのまっただ中で、ここで議論されていたような概念を用いる人工知能を筆者は便宜上「第2世代AI」と呼ぶことにしている。チューリングが提唱し始めた頃の人工知能 (便宜上「第1世代AI」)は、神経回路を模した「ニューラルネットワーク」—神経細胞(ニューロン)間のあらゆる相互接続—の着想など、より広い範囲を想定していたが、第2世代になると記号処理や知識情報処理が主流になった。日本ではこの頃から人工知能に予算がつぎ込まれるようになり、その後、日本を含む全世界で人工知能といえば記号処理や知識情報処理を意味するようになった。今でも全世界の90% 強のAI研究者はこうした第2世代AIの研究者である。第2世代AIの研究が世界に果たした貢献は少なくない。例えば World Wide Web は第2世代AIの研究成果の応用だし、Googleのような検索エンジンもそうである。

ところが2000年代に突入し、コンピューターの計算能力が飛躍的に向上すると、それまでほとんど無視されていた「機械学習」という分野が急激に活気を帯びてきた。機械学習とは、特定の事象についてデータを解析、その結果から傾向を学習して、判断や予測を行うためのアルゴリズム(=計算手順)を使う手法だ。昔から存在する手法だが、コンピューターの計算能力が向上したことで実用的な機械学習を行うことができるようになってきたのだ。そして計算能力が向上すると同時に、かつては上手く学習できなかった多層のニューラルネットワークに大量のデータで機械学習をさせることが可能になった。これが深層学習(ディープラーニング)である。

国内に「深層学習」研究者がいない

90年代を通して機械学習は下火だったため、機械学習の研究者はもともと数が少ない。深層学習の研究者はさらに少ない。数少ない深層学習の大家たちは、それぞれ米Google、Facebook、Microsoftや中国のBaidu(百度)といった企業の研究所に招聘(しょうへい)されていった。

従って現在、深層学習を長く専門にやっていた研究者は、ダイヤモンド並みに少ない希少種である。これはわが国でも変わらない。それどころかわが国の実情は、残念なことに深層学習専門の研究者がどの大学にもどの研究機関にも、ほとんど存在しないと言っていい状態にある。

もちろん近年のブームを受けて、各大学や研究機関は急激に深層学習の研究者を養成しようと努力を始めている。しかしどの大学でも支配的な地位にいる政治力の強い教授はどちらかといえば第2世代AIの研究者が大半であり、深層学習(これを筆者は「第3世代AI」と呼ぶ)の研究者としての能力は初学者と大差ないというのが実情だ。機械学習の専門家と深層学習の専門家で微妙に意見が異なるという点も混乱を助長している。

日本のアカデミズムにおいてどれだけ深層学習が軽視または蔑視されているか、一例を挙げよう。

2016年6月、筆者は経済産業省の要請で、人工知能学会の全国大会で深層学習に関するセッションを2つ企画することになった。ところが実際にセッションの名前を決めるところで同席した学術系の研究者が異議を唱えた。「タイトルに深層学習が入っていると誰も聞きに来ないだろう」と言うのである。

そんなバカな、と思うけれども、実際、それが深層学習に対するわずか1年前の認識である。日本の研究者がもたもたしているのを尻目に、欧米や中国は次々と成果を上げている。

Google「ニューラル翻訳」の衝撃

昨年の人工知能学会の全国大会では、確かに数えてみると深層学習または機械学習という言葉をタイトルに含むセッションは全体の1割強に過ぎなかった。ところが昨年秋に人工知能研究者にとって大事件が起きた。Googleが「ニューラル翻訳」を発表したのだ。

ニューラル翻訳とは、翻訳に従来の自然言語解析的な手法を一切使わず、ひたすら対訳の対応関係のみを学習させただけのニューラルネットワークによる翻訳である。この単純とも思える翻訳手法の精度がずば抜けていることが、研究者たちの度肝を抜いた。

特に日本では、自然言語解析と機械翻訳が研究の主流だった。第2世代AIの研究者たちは、知能を「論理的に概念を理解し、再構築できるもの」と位置づけ、論理でひも解こうとしていた。自然言語を解析することで、人間の知能の正体に迫るというアプローチで、これはこれで非常に意義ある研究のように思えた。

ところがGoogleのニューラル翻訳は、そうした自然言語を解析したりするというアプローチを一切やめ、完全なるブラックボックスとして機械に学習させた。そしてそのようにして生まれた翻訳文の方が精度がいいとなれば、それまで自然言語を一所懸命解析してきた研究者たちの立場がなくなってしまう。

囲碁AIの常識を覆した「アルファ碁」

ニューラル翻訳と同様のことは囲碁でも起きた。冒頭で触れたように、2016年 3月、DeepMind社の「アルファ碁」が、プロ9段を打ち破るという快挙を成し遂げたのだ。この囲碁AIもまた、これまでとは全く異なるアプローチで開発されたものだ。

「アルファ碁」は形勢を判断するValue-Networkと、打ち筋を判断するPolicy-Networkという2つの深層ニューラルネットワークを用意し、それをひたすら、過去の棋譜を読ませたり、自分たち自身で対戦させたりして鍛えた。深層強化学習と呼ばれるこの手法は、現在、主流となっている手法の一つである。

それまで囲碁のAIは、囲碁のルールや定石をプログラミングして、どうすれば勝てるかかなりの程度人間が考えて指示していた。囲碁AIのプログラマーは人間の棋士を相手にどのように打てば勝てるようになるか研究したり、単純な機械学習を組み合わせたりしてなんとか強い囲碁AIを作ろうとしていたが、なかなかプロと互角に戦えるようなものは生まれなかった。

囲碁AIに関して、ほとんど無名だったDeepMindが突然彗星(すいせい)のように現れて勝利を奪ったことに刺激を受け、日本や中国でもドワンゴやBaiduといった大手企業やアマチュアプログラマーがAI囲碁大会に相次いで参加している。一方、07年から電気通信大学で毎年開催されていた「UEC杯コンピューター囲碁大会」は「アルファ碁」の勝利を受け17年3月の第10回大会を最後に大会の終了宣言が出された。

DeepMind社はその後も続々と新技術を開発・発表し、世界をリードする立場にある。日本国内ではYahoo、ドワンゴ、またプリファードネットワークスなどの新興勢力が深層学習に注力するほか、トヨタ、ファナックを始めとする大企業も投資を継続しているが、まだ目立った成果を出せていないのが現状である。

(2017年3月20日 記)

バナー写真:2016年3月米グーグル傘下のDeepMind社が開発した「アルファ碁」が韓国のLee Sedol九段に4勝1敗で勝利した(AP/アフロ)

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