日米同盟の行方:首脳会談で不安薄らぐも、くすぶる対米不信と閉塞感

中山 俊宏【Profile】

[2017.05.08] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | ESPAÑOL | العربية | Русский |

「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ政権で、日米同盟は変容するのか。先の日米首脳会議で外交・安保面での不安は一応拭い去られたものの、これまで同盟が下支えしてきた「国際秩序や規範」については確固とした将来像が見通せなくなっている。

「対米不信」と閉塞感

米国のトランプ政権発足からおよそ2カ月半が経過した。この間、日本にとって最大の出来事といえば、安倍首相が訪米しての日米首脳会談だろう。首相は、トランプ大統領と濃密な時間をワシントンとフロリダで過ごし、日米関係、とりわけ外交・安全保障案件については、取り除き得る不安要素のほぼ全てを取り除いた。

日本は、ことによると他の国以上にトランプ政権に不安を抱いていたと言える。選挙中のトランプ氏の日本に関する発言、さらに日本が米国に依存する度合いを考えれば当然のことだろう。日本の安全保障政策の根幹には、言うまでもなく日米同盟があり、ここが大きく揺らぐ可能性があり得たからだ。

日米同盟が揺らいだ場合、日本にはどのような選択肢があるのか。私が日本の各地で講演をすると、本当に日本は米国に頼り続けることでいいのか、という疑問の声が絶えず聞こえてきた。トランプ氏に対する不信感から、右からも左からも「自主防衛」という意見が出てくる。無論、右と左の「自主防衛」ではニュアンスが大分異なる。ただ、対米不信という点では共通していた。

しかし掛け声だけではなく、現実的なオプションということになると、日本にはやはり米国しかない。そうした認識が、ある種の閉塞感を生み出していることは間違いなかった。日本は実存的なレベルでは、選択肢がない国だということを思い知らされたかのようだった。

オバマ政権で深化した「希望の同盟」

日米同盟への信頼が揺らいだことは、今回が初めてのことではない。不安感はむしろ、潜在的には常に存在していた。1990年代前半に冷戦が終わり、仮想敵国であったソ連が消滅した後、同盟そのものの存在意義が問われ、「同盟漂流」(船橋洋一)という状況に直面した。

しかし、90年代後半になると、同盟は新たな意味を獲得していく。それは単に潜在的な脅威に対応することを目的としたものではなく、日本と米国という先進的な価値を共有するパートナーによる秩序と規範を東アジアで創出する取り組みであるというものだった。

日米同盟は客観的に見て、日本が米国により多く依存する関係にある。それゆえに日本側には、この不均衡に対するある種の違和感が常にくすぶっていた。しかし同盟を「価値を共有するパートナーによる、秩序と規範を下支えする取り組み」と定義した場合、同盟を支える具体的な取り組みは、日米双方の能力に応じて異なるものの、同盟を支えるその精神において両国は対等だという意識が生まれる。

その意味で、近年日本側が同盟を形容する際に用いてきた「価値同盟」や「希望の同盟」といった表現は、単なるレトリック以上の意味を持っていた。それは同盟を支える「意味」を構成する重要な政治的資源だった。日米同盟は、こうした言説に支えられながら深化し、安倍・オバマ時代には、「同盟関係がこれほど良好だったことはない(the alliance has never been better)」という声が、日米双方の側から聞こえてきた。

オバマ外交の戦略的成果については、厳しい評価も少なくない。しかし、日米同盟を安定的軌道に乗せ、深化させたことは大きな成果といえるだろう。

日本も他の国と同様、大統領選ではヒラリー・クリントン元国務長官の勝利を前提にし、日米関係の将来を描いてきた。そのことは今さら隠しようもない。実際、クリントンは日本にすれば「ベストな候補」だった。

クリントン氏は、当然ながらオバマ政権のリバランス(再均衡)政策を継承すると想定された。さらに、あまりに知的に超然としたオバマ大統領とは異なり、米外交の伝統でもある「力の外交」を志向するだろうと推測できた。一方、ジョージ・W・ブッシュ政権ほど単独行動主義的ではなく、多国間の取り組みを重視していくだろうと想定できた。つまり安倍−オバマ時代の良好な日米関係が、さらに深化する可能性さえ見えたわけだ。

国益の追及は単独行動で

しかし米国は、大統領選で予想外の選択をした。トランプ氏は、外交・安全保障に関する政策的知見はない。選挙キャンペーンでも、外交安保エスタブリッシュメントを意識的に遠ざけたようなところがある。

だが、彼の「アメリカ・ファースト」という世界観は一貫している。それは彼が大統領選に出馬するはるか前に形成された「保護主義的傾向」「孤立主義的傾向」そして「排外主義的傾向」で構成されるものだ。「排外主義」という表現が強すぎるならば、「誰もが持っている『異質な存在に対する違和感』をためらいもなく表明する傾向」と言い換えてもいい。3つとも「傾向」としたのは、「~主義」と言い切ってしまえるほど、概念的に精緻なものではないからだ。

トランプ氏は選挙中、この「アメリカ・ファースト」のメッセージをかなりはっきりと訴えていた。政権発足後もそうだった。国際秩序や規範の下支えなどという抽象度の高い取り組みには、もはやトランプ政権は関心を寄せない、米国の直接的な脅威に対処し、そして手にとって確認できる利益を躊躇(ちゅうちょ)なく追求させてもらう――、1月20日の就任演説は、このことを歯に衣を着せず、世界に向けて明確に示したものだった。

無論、米国がこれまでも自国の利益を追求してきたことは当然のことである。しかし、米国の国益は、グローバルな秩序と規範を米国の力で下支えしていく、そして地域的な文脈では同盟国と共にそれを実践し、そうした秩序や規範の中に米国の国益を埋め込んでいく――、こういう形で追求されてきた。

もちろんダブルスタンダードはあったが、米国が同盟国と共に下支えしてきた国際秩序と規範は、リベラル・インターナショナル・オーダー(自由で開放的な国際協調主義)の基層を形成し、多くの国がその恩恵を受けてきた。

同盟支えてきた「価値観」吹き飛ぶ

日本は、最も多くその恩恵を受けた国の一つといえる。日本は、自らに有利な国際環境を形成していく「ハードパワー」を長らく有していなかった。それどころか、国是としてそれを放棄していた。このため、流動的で不確実な国際情勢の予測可能性が少しでも高まるよう、諸国家の行動を抑制し、方向付ける秩序や規範が安定していることが何よりも重要であった。

その意味でも、日米同盟は日本にとって常に「オンリー・オプション」であると同時に、その信頼性に疑念が呈されることはあったとしても「ベスト・オプション」であり続けた。そのことを日本人は感覚的に体得していたがゆえに、安保闘争以降は国内で反米的潮流が本格化することはなかった。

しかし、トランプ氏の選挙中の日本に関する発言、そして大統領就任後も一貫する「アメリカ・ファースト」の姿勢は、もしかすると日米同盟を日本の安全保障政策の根幹に置くことができなくなるかもしれない、と考えさせるほどの「深淵」をわれわれに見せつけた。「先進的な価値を共有する二国間の取り組み」という同盟を支えてきた言説も吹き飛んでしまった。

安倍訪米の「ドライなリアリズム」

この不安は日本人の意識の中に深く刷り込まれたといえるが、特徴的なのは、それでもなお、反米的潮流が高まる兆候が今のところないことである。これは欧州と比較すると対照的である。欧州諸国のトランプ政権への不信感は、日本の比ではない。

これを日本人のリアリズムとするか、柔軟性とするか、はたまた「対米追従」とするか、政治的立ち位置によってその解釈は大きく分かれるだろう。しかし、米国が誰を大統領として選ぶかは米国人の問題であり、その大統領とは好き嫌いは別に良好な関係を構築しなければならない、というドライなリアリズムがあることは否定できない。こうした認識をベースに、安倍首相はホワイトハウスに、そしてマール・ア・ラーゴ(フロリダ州にあるトランプ氏の別荘)に乗り込み、トランプ大統領を抱き込んだ。

太平洋を越えて喧騒(けんそう)は聞こえてくるが、まだトランプ政権が日本にとってどういう政権か、はっきりと見えてきたわけではない。先日のシリア国内の軍事施設に対する攻撃をもって、「アメリカ・ファースト」のロジックを完全に手放したと見るのも早計だろう。当面は過剰反応することなく、トランプ政権の実態を冷静に見極めていくという姿勢を維持することが重要だろう。

(2017年4月10日記)

バナー写真:米ホワイトハウスでの共同記者会見に先立ち、トランプ大統領(左)の出迎えを受ける安倍晋三首相=2017年2月10日(ロイター/アフロ)

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  • [2017.05.08]

慶應義塾大学総合政策学部教授、日本国際問題研究所客員研究員。専門はアメリカ政治・外交、国際政治。1967年東京生まれ。青山学院大学大学大学院国際政治経済学研究科博士課程修了。博士(国際政治学)。津田塾大学准教授、青山学院大学教授などを経て、2014年4月より現職。著書に『介入するアメリカ: 理念国家の世界観』(勁草書房、2013年)など。

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