サハリン最後の犬ぞり使いを救え!
「犬を助けたい」と北海道に救援要請

相原 秀起【Profile】

[2014.07.04] 他の言語で読む : Русский |

「タロとジロ」の物語で知られる樺太犬。サハリン最後の犬ぞり使いが病気で引退しようとしている。助けを求めたのは北海道。果たして、犬たちを助けることはできるのか。

日本最北端の稚内から北に約千キロ、サハリン北端近くのネクラフスカ村にサハリン最後の犬ぞり使いセルゲイ・リュビフさん(63)が暮らしている。リュビフさんが長年育て、ともに雪原を走ってきた犬たちは樺太犬だ。戦後、日本の第一次南極越冬隊とともに南極大陸へ渡り、昭和基地に置き去りにされた後、驚異的な生命力で生き残ったタロとジロの物語で知られる樺太犬。リュビフさんは現在、12頭を飼育しているが、体調の悪化から引退の瀬戸際にある。地元の先住民ニブヒの人々もすでに犬ぞりからスノーモービルに乗り換えて、後継者もいない。最悪は自らの手で犬たちを処分することだが、リュビフさんは「犬たちは友人。殺したくない」と悲痛な声を上げている。

犬ぞりは極寒の地の欠かせぬ交通手段

リュビフさんは同島北部のルィブノフスクという間宮海峡に面する漁村で生まれた。ロシア人の両親は、同村内の漁業コンビナートで働き、そのまま村に居着いた。子どものころから犬好だったリュビフさんは、10歳のころ、初めて3頭の犬を飼い、同海峡対岸の大陸から犬ぞりを駆ってやってくるニブヒや地元の男たちから犬ぞりを習った。

当時、犬ぞりは村と村を結ぶ重要な交通手段であり、厚く凍りついた間宮海峡は大陸とサハリンを結ぶ道だった。ルィブノフスクから大陸まではわずか50キロ。リュビフさんも16歳の時にはすでに11頭の犬を操って、大陸まで足を伸ばすようになっていた。

樺太犬を駆って雪原を走るサハリン最後の犬ぞり使いのセルゲイ・リュビフさん。(撮影=ウラジスラフ・チトフさん、2009年)

太古の昔、人類が現在のロシア極東やサハリン、カムチャツカ半島などに進出して以来、犬は冬場のそり、夏は舟を引く大切な足であり、厳寒の地で伝承されてきた文化だった。江戸時代後期の1808年と翌09年にかけて、サハリンと大陸の黒龍江(現アムール川)を調査した間宮林蔵(1780-1845年)は、幕府への報告書の中で「(サハリン北部の)人々は皆よく犬を使う。貧富の差なく、どの家でも飼っているが、犬をかわいがり、大切に養っている。一人で3頭も5頭も飼っている場合が多く、一家の犬の頭数は相当なものである」と記している。林蔵は、現在のニブヒに当たるとみられる先住民が犬ぞりで雪原を走っている絵も紹介している。

雪穴から出てきた子犬だけを育てる厳しい現実

自宅で樺太犬を飼育するリュビフさん。(撮影=著者)

ネクラフスカ村に暮らすようになったリュビフさんは、冬場に近くの結氷した海や湖でコマイなどを捕り、犬ぞりで運ぶ。犬たちはペットではなく生活の一部だ。そりもトドマツや白樺を使用して自作する。夏に白樺を切って製材して、たき火で熱して曲げた後に2カ月間かけて乾燥させる。これもニブヒに習った。犬をつなぐ鎖も自分で作り、雄犬たちの去勢も自らの手でナイフで行う。犬の名前も「チュルヌシュ」(黒い犬)、「プックライ」(鼻先が黒い)などニブヒ語、先導犬への指示もニブヒ語を使う。現地では犬ぞり使いのことを「カユル」と呼ぶが、リュビフさんは「最後のカユル」であり、地元のニブヒの古老は「ニブヒになったロシア人」と呼ぶ。

スノーモービルの全盛時代、サハリンはもちろん、大陸でも犬ぞりを引くような使役犬はどんどん少なくなっている。だが、森の奥の集落などにはまだ力強い犬たちがいるといい、リュビフさんはそうした血を求めて各地を訪ね、犬たちを集めてきた。樺太犬は血統書などはなく、いわば雑種犬である。だが、そうした概念は近代のものであり、人類は長い時間をかけて良い犬たちを集めて育て、交配させてそりを引く犬を育ててきた。

犬は一度に10頭前後の子犬を産む。リュビフさんは子犬を雪穴に埋めて、這い出して来た順に5、6頭だけを育てる。ほかの子犬は、水に沈めて溺死させる。走れなくなった犬は殺して、毛皮でコートなどを作る。「弱い犬や老いた犬を生かすことは犬への愛情ではない」とリュビフさんは語る。

「死ぬ時は犬たちと一緒」

「自分は宇宙旅行に行きたいとは思わない。だれもいない雪原や氷付いた海を犬たちと走れば、行きたい場所どこへでも行けるから。静けさの中でとても自由を感じる。犬たちと走っていると心が休まる」とリュビフさん。「死ぬ時は犬たちと一緒に死にたい」とも。

猛吹雪の間宮海峡で、3日間も閉じ込められた末、先導犬の動物的な勘で近くの村にたどり着いたこともある。その時、リュビフさんは犬にすべてを託した。犬にはスノーモービルのような故障もない。何よりも犬たちが大好きなのだ。

「犬たちは人類に永々と貢献してきた」とリュビフさんは言う。今、樺太犬はその数を減らし、極東から消え去るのも時間の問題だ。サハリン州政府は北方先住民族の文化振興をひとつの課題に挙げているが、リュビフさんにまで支援の手は行き届かない。

リュビフさんの夢は、昔ニブヒがしていたように、川や海でサケやマスを捕り、山野で木の実や野生果実を採取して暮らす自給自足の村をつくり上げることだった。犬ぞりの後継者を育てる努力も続けてきた。

訓練に耐えられなかった現地の若者

リュビフさんが自作した犬ぞり。(撮影=著者)

これまでにも何人かのニブヒの若者らが、リュビフさんから犬ぞりを習おうとしたが厳しい訓練にすぐに音を上げた。昨年にはサハリン北部の拠点都市ノグリキでの先住民の祭典のため、主催者から「ニブヒの若者を派遣するので短期間で犬ぞりを教え、犬ぞりも貸してほしい」との依頼が舞い込んだが、リュビフさんは断った。そんな簡単に習得できるものではないからだ。

「地元の若い連中の興味はビールとセックスだけだ。伝統や文化にはまったく関心がない。もう後継者を育てることは諦めた」と、リュビフさんは寂しげにつぶやく。

犬たちの餌はアザラシの肉や脂、干したサケやマスなどが中心で、小麦粉などを混ぜてソフトボール大のだんごを1日2回与える。アザラシはコマイなどと交換して入手する。しかし、最近は若いころに痛めた右足が悪化、歩くのもつらく、自由に犬ぞりを操れなくなった。長期入院しなくてはならないかもしれない。コマイ漁ができなくなれば、アザラシの肉も得られなくなる。このため、リュビフさんは今年夏までに12頭いる犬を7頭に減らさざるを得ないと考えている。地元のニブヒに飼ってほしいと頼んだが、もらい手は現れなかった。だが、力強い犬たちを野に放せば、野犬となって牛などを襲う恐れもある。もちろん銃殺はしたくない。

日本の犬ぞりの多さに驚き喜ぶ

リュビフさんの一つの希望は隣国日本。

1995年、筆者がリュビフさんと樺太犬のことを北海道新聞で記事にしたところ、稚内の犬ぞり愛好家阿部勇さん(63)らが関心を寄せ、リュビフさんとの交流が始まった。稚内は、南極へ派遣される前にタロやジロなどの樺太犬が訓練された地であり、市街地を見下ろす丘には樺太犬の像が建つ。毎年、全国から犬ぞりの愛好家が集い、全国犬ぞり大会が開催されている土地柄だ。

リュビフさんと妻リディアさんは99年2月、稚内に招待された。来日前、招待の話を村人に話したところ、誰もリュビフさんを信じず、「日本人にだまされて」とせせら笑われた。だが、実際に日本から航空券と招待状が届き、夢の稚内行きが実現した。

リュビフさんは稚内の犬ぞり大会にも参加した。「腰を抜かすほど驚いたよ。こんなに多くの犬ぞりが集まり、日本に犬ぞり好きがこれほどいるとは思わなかった」。喜んだリュビフさんは大会にも飛び入り出場し、ニブヒ仕込みの犬ぞり操縦術を披露した。稚内での心温まる歓迎と盛大な犬ぞり大会はリュビフさんの心に深く刻まれた。

その後、阿部さんはリュビフさんの元を訪ねて厳寒期に一緒に犬ぞりで間宮海峡を横断した。言葉は通じなくても、気持ちは通じ合い、何も不自由はなかった。

現在、リュビフさんが「ぜひ、北海道で何頭か受け取ってほしい。伝統的な犬の育て方やそりの作り方も伝えたい」と話すのも、日本には自分と同じような犬好きの人が数多くいることを知っているからだ。

リュビフさんが初来日した99年秋、リュビフさんの元で生まれた5頭の子犬が海を渡り、稚内へとやってきた。残念ながらそうした犬たちはすでに絶えている。

今回、リュビフさんの苦境についての筆者の記事が北海道新聞(2014年5月13日夕刊)や東京新聞に掲載されると、「何とか犬たちを助けられないか」「リュビフさんを支援できないか」という反響が筆者の元に寄せられた。

樺太犬と犬ぞりは北方圏文化

リュビフさんが暮らすネクラフスカ村(写真左)。冬場にコマイ漁をするネクラフスカ村のピリトン湾(写真右)。(撮影=著者)

現在、サハリンのコルサコフ(大泊)と稚内間には夏季に定期フェリーが運航されている。だが、このフェリーで犬たちを北海道へ運ぶことはできない。海外の犬を日本へ運び入れるためには検疫を受ける必要があるのだ。欧米などでは事前に当事国で病気の有無などのチェックを済ませ、短期間で日本へ運ぶことができる。サハリンにはそうした施設はなく、道内で唯一の動物検疫がある苫小牧港に入れ、狂犬病などに感染していないかを確認するため、1カ月間、港内の施設に留め置く必要がある。

サハリン最北のネクラフスカ村から南部のコルサコフまで犬たちを運び、苫小牧へ向かう貨物船を探し、犬の同乗を承諾してもらい、さらに苫小牧港で1カ月間もの間、犬たちの世話もしなければならない。つまり、犬たちを日本に引き取るためには多くの時間と費用が掛かる。

筆者は、そうした多くの困難を承知した上で樺太犬たちを救い、苦境にあるリュビフさんを支援したいという人が現れることを願う。動物愛護という観点だけではない。リュビフさんが引退し、樺太犬と犬ぞりが消えてしまうことは北方圏で育まれたひとつの文化が消えることであると考えるからだ。

タイトル写真は2009年、サハリンのフリーカメラマン、ウラジスラフ・チトフさんが撮影

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  • [2014.07.04]

北海道新聞編集委員。1962年横浜市出身。北大農学部卒。85年に北海道新聞入社。社会部、根室支局などを経て95年からサハリン・ユジノサハリンスク支局駐在。現在、同新聞で企画「極東」を担当。52歳。

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