シリーズ 冷戦後日本外交の軌跡
真価問われるアジア太平洋外交

渡邉 昭夫【Profile】

[2011.11.29] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

1970年代に入りアジアの経済は重層的な発展を遂げ、日本外交もアジア太平洋地域の重要性に着目し始める。そして冷戦の終焉。日米中の3国間関係に注目が集まる中、日本のアジア太平洋外交はどう推移していったのか。

冷戦後の日本のアジア太平洋外交という主題について論じるには、(1)「冷戦後」という明らかにグローバルな意味合いを持つ1つの時代意識があることを前提として、その「時代」の中で、日本外交において「アジア太平洋」がどのような位置を持つものとして認識されていたのかという問題と、(2)時代を超えて、明治初期以来の、あるいは少なくとも「敗戦後」の、より長期にわたる日本人の対外意識の中に常にあったといえるであろう「アジア太平洋」についての認識(perception)の流れの中で何が「冷戦後」的と呼べるような特徴なのだろうかという問題の2つを念頭におきながら考えを 進めることが必要である。(※1)

一般に冷戦の終焉を端的に示す事件はベルリンの壁の崩壊(1989年)とされる。同じ年に発表された日本政府の『外交青書』第1章は、次のような書き出しで始まっている。「現在、国際社会は大きな変化の中にある。戦後世界を形づくってきた国際秩序は、この急激な変化を前にして,自らを適応させることを余儀なくされており、様々な模索が行われている」。(※2)ここで急激な変化への適応を迫られ模索をしているのは、今日の国際社会を構成するそれぞれの国家であり国民であるが、より直接には、日本外交であるのは言うまでもない。

日本の場合は、この冷戦の終焉が、たまたま、昭和から平成への移り変わりと重なったことも手伝って、新しい時代への希望と不安とが交じり合った、一種の「昂揚した」調子が、この年の『外交青書』にはうかがえる。お役所の文書にありがちの淡々と事実を述べるだけのスタイルの中にあっては、少し珍しい。

アジア太平洋地域の重要性の増大

では、具体的に何が新しい時代の日本外交の課題だというのか? アジア太平洋についてはどのような記述があるのか?『外交青書』の筆者はもとより1人ではなく、外務省だけをとってみても、多数の局や課がそれぞれの言い分を持ってその作成に関わっているし、その上、少なくとも理論上は内閣や国会の政治家たちの立場とか思惑への考慮も入ってくるだろうから、この種の政府の公式文書は多様な意見の寄せ集めであって、その中である特定のテーマが際立つようなことは期待できない。そのような留保をつけた上で読んでみると、この年の『外交青書』が、「アジア・太平洋地域の一国としての外交」に力を込めて述べているのが印象的である。

ベルリンの壁の崩壊をはじめとする中東欧の情勢やその背後にある米ソ関係の急激な変化がアジア太平洋地域にも少なからぬ影響を及ぼしつつあることに留意しながらも、例えば1985年を境として太平洋貿易が大西洋貿易を追い越したことに言及し、「昨今の国際情勢における特筆すべき1つの傾向として、アジア・太平洋地域の重要性の増大」があると述べている。このことから分かるように(※3)、狭義の冷戦の終焉に先立って、この地域の重要性の増大を示す諸事象が顕われていたことも忘れられていない。

言い換えれば、冷戦の終焉とともにアジア太平洋地域の重要性(への認識)が高まったと考えるのは、短絡的に過ぎよう。グローバル化した状況のもとで、欧州情勢からの影響は否定しきれないにしても、アジア太平洋には地域固有の内在的な動きがあり、アジア太平洋の重要性に着目した日本の外交的取り組みは、遅くとも1980年代初頭までには、始まっていたのである。例えば福田赳夫首相の「マニラ演説」(1977年)や大平正芳首相の「環太平洋連帯構想」(1980年)などがある。(※4)

つまり、日本のアジア太平洋外交の軌跡を十分に観察するには、最近の20年(田中明彦氏の言う「新しい危機の20年」)に限定せずに、少なくともさらに10年ほど遡って、最近の30年間に視野を広げる必要がある。

だからといって、あるアメリカの学者が書いているように、「冷戦の終焉以後、アジア太平洋地域の諸問題や将来性が国際政治や外交政策の研究者たちの関心をより多く惹き付けるようになった」ことを否定するつもりはない。(※5)

では、冷戦の終焉後に識者(特に欧米の)がアジア太平洋地域への関心を増大させたのはいかなる理由によるのであろうか。冷戦時代に彼らの第一の関心事であった米ソ関係やヨーロッパ情勢が東西間の緊張緩和とともに後景に退き、それに代わって、日米中の3国間の関係を含むアジア太平洋の動向に多くの注目が向けられるようになったからである。そして、中国の国際政治・経済上の重要性は、1970年代に起こった米中接近と日中関係の修復とともに目立つようになったことを考えれば、アジア太平洋地域の重要性が増し、それへの外交当局者や識者の関心が高まりはじめたのが米ソ間の冷戦の終結に先だって生じていたという、前述の指摘も頷けるであろう。ただし、急いで付け加えておくが、中国だけでなく、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国やアジアNIEs(新興工業経済地域)の経済的発展やそれに伴う政治的発言の活発化(これもまた1970年代から1980年代にかけて生じたことである)という事実も、この地域の重要性の増大に寄与したことを忘れてはならない。

1970年代以来のこのような趨勢に拍車をかけたのが、冷戦の終焉であった。その過程で、日本のアジア太平洋外交にどのような新しい面が加わったのであろうか、それについて以下に考察してみたい。

(※1)^ 「アジア太平洋」と「アジア・太平洋」の二つの表記方法があるが、この論文では、引用文の場合を除いて「アジア太平洋」と書く。なお、長期の歴史的視野からの考察は、佐藤誠三郎他『近代日本の対外態度』(1974年、東京大学出版会)所収の渡邉昭夫「対外意識における『戦前』と『戦後』」を参照。なお、内容と文体の情報を用いて歴代首相の国会演説を分析した以下の論文も参照。Suzuki Takafumi, “Investigating macroscopic transitions in Japanese foreign policy using quantitative text analysis”, in International Relations of the Asia-Pacific, Volume 11, Number 3(2011), pp.461~490.

(※2)^ 『外交青書』第33号(1989)、1ページ。

(※3)^ 同上、7ページ。

(※4)^ 詳細は、渡邉昭夫編『アジア太平洋連帯構想』(NTT出版、2005); 同『アジア太平洋と新しい地域主義の展開』(千倉書房、2010)。

(※5)^ G.John Ikenberry & Michael Mastanduno (eds), International Relations Theory and the Asia-Pacific, (New York: Columbia University Press, 2003), p.1.

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  • [2011.11.29]

平和・安全保障研究所副会長、日本防衛学会会長。東京大学文学部国史学科卒業、オーストラリア国立大学にて博士号取得。1966年から香港大学にて教鞭を取る。その後明治大学助教授、東京大学助教授、同教授、青山学院大学国際政治経済学部教授を経て、2000年平和・安全保障研究所理事長、東京大学、青山学院大学名誉教授。主な著書に『アジア太平洋の国際関係と日本』(東京大学出版会/1992年)、『現代日本の国際政策』(編著/有斐閣/1997年)、『アジア太平洋と新しい地域主義の展開』(編著/千倉書房/2010年)など。

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