シリーズ シンポジウムリポート
パブリック・ディプロマシーの時代 シンポジウム開催に寄せて

渡辺 靖【Profile】

[2013.10.11] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

日本でも「クール・ジャパン」といった形で注目を集めるパブリック・ディプロマシー。その可能性について考えるシンポジウム「好かれる国の条件」で、企画段階から参画した渡辺靖氏がシンポジウムの意義を語る。

なぜソフトパワーが注目されるようになったのか。

パブリック・ディプロマシー(広報文化外交、以下PD)への関心が近年、急速に高まりつつある。その背景には、軍事力を行使するハードルが高まり、かつグローバル経済が相互依存を深めていることがある。つまりハードパワーの裁量の余地が相対的に狭まっているのである。

むしろ国際関係における現状規定や課題設定、規範形成に際して、いかに他国の世論の「心と精神を勝ち取る(winning hearts and minds)」ことで、自国の味方を増やせるかということが重視されるようになった。その結果、ソフトパワーの重要性が認識され、その手段としてのPDがかつてない程注目されるようになったのだ。

PDの典型的な手法としては(a)政策広報、(b)国際放送、(c)交流外交(人物交流や知的対話)、(d)文化外交(言語教育や文化芸術イベント)などがある。大まかにいえば、(a)と(b)は単方向的で、広範囲に素早く情報を「発信」するのに対して、(c)と(d)は双方向的で、より限られた範囲内で情報を「交流」させ、ゆっくりと理解や信頼を育んでゆくことを目的としている。

世界の成長センターがアジア太平洋にシフトする今日、核軍縮・不拡散やテロ対策のみならず、平和構築、人権、防災、医療、環境、エネルギー、技術協力、貧困支援など、(広義の)安全保障に関わる問題群も増えている。また、日中や日韓の間には領土や歴史認識をめぐる緊張関係も存在する。

パブリック・ディプロマシーにどこまで期待できるのか

現在、日本に求められているPDとは何か。経験知や直感から政策提言を急ぐ前に、改めて考え直しておきたい点がいくつかある。

(1)PDはどこまで有効か?

シリアが化学兵器の破棄に応じた理由の一つに米国による軍事介入の可能性があった点は否めない。イランが対話モードに転じた理由の一つに欧米による経済制裁があった点についても同様だ。すなわち軍事力や経済力というハードパワーが機能したのであって、「文化」や「価値」や「制度」を源泉とするソフトパワーがそうさせたのではなかった。PDの役割はあくまで二次的ないし付随的、あるいは「後付け」に過ぎないのだろうか。

(2)PDはゼロサム・ゲームを超克できるか?

2013年9月にソウルで開催された日韓交流おまつり(日韓交流おまつり事務局)

日中や日韓の首脳会談の実現が困難な状況で、文化担当相の日中韓会合(2013年9月28日、光州市)が実現したことは注目に値する。また、日韓共催の「日韓交流おまつり」(2013年9月15日、ソウル市)には4万人以上が来場、130社以上の企業が協賛し、韓国の学生700人以上がボランティアとして携わるなど過去最大の盛り上がりを見せた。ゼロサム・ゲーム的発想に基づいたソフトパワーの国際競争が世界各国で激しくなる一方で、PDは国際協調を育むポジティブ・サム・ゲームになり得るのだろうか。

(3)ネットワーク型PDのベスト・プラクティスとは?

政府による情報やイメージの一元的な管理や統制はもはや難しく、財政的にも政府だけでPDを担える時代ではなくなりつつある。財団、シンクタンク、大学、ミュージアム、スポーツ組織、市民社会、宗教団体など、より多様なアクターが(広義の)外交関係の一翼を担う中で、政府の役割はそれらのアクターを「支配」すること(ヒエラルキー型)から「支援」すること(ネットワーク型)へと変容しつつある。いわゆる「ニュー・パブリック・ディプロマシー」の考え方である。そうした連携はどこまで可能なのだろうか。どのような創造的試みが存在するのだろうか。

(4)ソーシャル・メディアがPDに及ぼす影響とは?

ソーシャル・メディアが汎用(はんよう)化する今日、個人や集団の言動が容易に世界に拡散するようになった。とりわけ排外主義的な言動は負のスパイラルを誘発しがちだ。また、サイバー空間においては、PDとインテリジェンス活動の境界線も曖昧になりつつある。PDにとってソーシャル・メディアはいかなる可能性と危険性をもたらすのか。

(5)PDへの理解と関心をどう高めるか?

2008年にニューヨーク・フィルハーモニックが平壌公演を行なった。もちろん、そのことが北朝鮮の核・ミサイル問題の解決に直ちにつながるわけではない。しかし、聴衆の中に、将来の北朝鮮のエリート(ないしその子弟や友人)がいて、“何か”を感じたかもしれない。たった一人の考えを改めること、あるいは別の視点を提供することが、大きな意味を持つこともある。未来へ向けて種を蒔いておくこともPDの大切な役割だろう。しかし、各国とも短期的な成果を求める風潮が強いのも事実だ。PDの拡充へ向けて議会や世論の「心と精神を勝ち取る」にはどうすれば良いのだろうか。

日本におけるパブリック・ディプロマシーのあり方を考える

2020年東京オリンピック・パラリンピック開催決定で喜ぶ一団。(ロイター/アフロ)

日本では東日本大震災の復興や原発対応が喫緊の課題となる一方、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決まった。56年前に比べ激変した国内外の環境において、日本への信頼や魅力、正当性を確保するためには、政策広報、国際放送、交流外交、文化外交のそれぞれにおいて、今後いかなる戦略と創意工夫が必要なのか。

日本にはいまだPDの研究所や専門誌はおろか、大学での授業や人材育成のプログラムもほとんど存在しない。その意味で、ニッポンドットコム財団とドイツのフリードリヒ・エーベルト財団が「好かれる国の条件 パブリック・ディプロマシーの時代」と題して、国際シンポジウムを共催することは時宜を得ており、喜ばしいことだ。私自身、上記の5点を含め、国内外からのパネリストならびオーディエンスの方々との意見交換を楽しみにしている。

(2013年10月7日 記)

パブリック・ディプロマシーを考える国際シンポジウム開催のお知らせ

  • [2013.10.11]

1967年生まれ。97年ハーバード大学Ph.D.(社会人類学)、2005年より教授。ハーバード大学国際問題研究所アソシエート、ケンブリッジ大学フェローなどを歴任。著書に、『アメリカン・センター』(岩波書店)、『文化と外交』(中央公論新社)などがある。

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