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【日本の安全保障】普天間飛行場移設問題の経緯
懸念される固定化
[2012.02.10] 他の言語で読む : 简体字 | 繁體字 |

2012年現在、日米関係の最大の懸案事項といえる、沖縄・普天間飛行場移設問題の経緯を年表で振り返る。

関連記事:沖縄の「基地問題」の現状シリーズ・冷戦後日本外交の軌跡【第4回】日米同盟再定義

普天間飛行場は移設できるのか

2012年2月8日、日米両政府は在日米軍再編のロードマップ(工程表)の見直しに関する基本方針を発表した。従来は普天間飛行場の名護市辺野古への移設と、在沖縄海兵隊8000人のグアム移転は同時に実施するとしてきたが、グアム移転が先行して行われることになった。また、米軍嘉手納基地以南の6施設の返還もグアム移転と同時に進められる。一方で、計画の切り離しが、普天間飛行場が固定化されるのでは、との懸念の声も出ている。

難航する普天間飛行場移設問題の経緯

1995年9月 米海兵隊員らによる少女暴行事件。
11月 日米両政府が「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」を設置。
1996年4月 橋本総理・モンデール米大使会談、普天間飛行場の全面返還を表明。
SACO中間報告。5~7年以内に、十分な代替施設が完成した後、普天間飛行場を返還することとされた。
12月 普天間飛行場に関するSACO最終報告。代替施設は撤去可能な海上施設を沖縄本島の東海岸沖に建設するとされた。
1999年11月 稲嶺沖縄県知事(当時)軍民共用を条件に移設候補地として名護市辺野古沿岸域を表明。
12月
岸本名護市長(当時)、受け入れを表明。
「普天間飛行場の移設に係る政府方針」を閣議決定。
2003年11月 ラムズフェルド国防長官(当時)沖縄訪問。
2004年8月 沖縄県宜野湾市の大学構内に米軍ヘリが墜落。
2006年4月 周辺地域上空を回避するV字案を含む「普天間飛行場代替施設の建設に係る基本合意書」を防衛庁長官と名護市長が締結。
5月 「日米安全保障協議委員会(2+2)」共同発表。「再編の実施のための日米ロードマップ」において最終取りまとめ、V字案を承認。
「在日米軍の兵力構成見直し等に関する政府の取組について」を閣議決定。
2007年8月 環境影響評価手続き開始
2009年9月 鳩山内閣発足。普天間飛行場移設先変更も含めた在日米軍基地の在り方について見直しの方向で合意した民主党・社民党・国民新党の連立政権合意書を締結。
2010年5月 「2+2」共同発表。普天間飛行場の代替施設をキャンプ・シュワブ辺野古地域および隣接する水域に設置する意図を確認。
「平成22年5月28日に日米安全保障協議委員会において承認された事項に関する当面の政府の取組について」を閣議決定。
2011年6月 「2+2」共同発表。代替施設の滑走路の形状をV字案に決定。
2012年2月 日米両政府が普天間飛行場移設と、海兵隊のグアム移転を切り離すロードマップの変更案を発表。
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