特集 3.11後の日本
震災ルポ 極まる東北の中央政治不信
人災に漂う無力感

菊地 正憲【Profile】

[2011.10.03] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL |

震災後4カ月。一日も早い復興を望んでいるのは壊滅的な被害を受けた被災地の人々に他ならない。彼らは、そして被災地の首長らは今、どんな思いで毎日を生き抜いているのか。気鋭のジャーナリストがその現実に迫る。

最高気温33度。7月中旬の炎天下の宮城県女川町は、不思議な静けさに包まれていた。3月11日の東日本大震災発生から12日後に最初に訪れた際には、町民、町職員、漁協関係者、自衛隊員、警察官たちが慌しく動き回っていたのに、今回はほとんど見かけない。

海岸部に下りると、波がひたひたと打ち寄せるひび割れた港や鉄筋コンクリートの廃墟が放置されたままだ。山のようにうず高く積まれていた瓦礫だけはかなり減っている。それでも、人の気配がほとんどない。魚介類の腐臭が漂う中、黒々としたハエの群れが飛び交うばかりだ。

仮設住宅で4回落選


女川町の避難場所となっている総合体育館。ここを含めて女川町には13の避難場所がある。


総合体育館の中。プライバシーは確保されていない。

「もう諦めかけてるよ。なんぼ申し込んでも当たらんちゃ。他にも同じような避難者がいっぱいいるよ。俺は孫さ抱えて、これからどうすればいいのか……」

避難所になっている町総合体育館では、地元の建設会社の従業員だった男性(65歳)が、噴き出す汗を拭おうともせず、住居探しの窮状を訴えた。自宅が津波で流され、母親、長男、そして40年連れ添った妻を失った。5月以降、仮設住宅の抽選に4回、立て続けに外れた。残された中学3年の男子生徒の孫と避難生活を続ける中で、一番の気がかりは来年の高校受験だという。

「避難所では、段ボールの低い仕切りがあるだけで、音が全部筒抜け。しかも9時に消灯だから、勉強もろくにできねえんだわ。また近いうちに仮設の抽選があっけど、当選できっかな……」

人口約1万人の女川町では、死者・行方不明者940人を数える。海岸部の中心街はほぼ壊滅した。町によると、7月中旬の段階での町内の避難生活者は約820人。被災直後の5700人からは大幅に減った。仮設住宅の建設も進んでいるが、昼間は蒸し風呂のような避難所での生活を余儀なくされている町民が、まだ大勢いるのだ。町内13カ所にある避難所では、やはり例年にない大量のハエが飛び交っている。

静寂の中に飛び交う大量のハエ


平山武さんは女川町への愛着を捨て切れないでいる。


総合体育館の横にある仮設住宅。昼間なのに人の気配がしない。


ピーク時には100を超える人が集まっていたボランティア事務所も今は閑散としている。

総合体育館のすぐそばに建ち並ぶ仮設住宅に立ち寄った。ここも日中はあまり人の動きは見られない。町内出身の平山武(ひらやま・たけし)さん(77歳)は、幸い6月上旬の1回目の抽選に当選し、妻とともに避難所から転居できた。4畳半の部屋と簡単な台所、風呂、トイレがついている。が、以前のような快適な生活からは程遠いと訴えた。

「自宅が流されちまったから贅沢は言えないけど、やっぱり2人では狭い。ハエだけでなく蚊も異常に多い。避難所よりはましだけど……」

入居期限は2年間。その後は、栃木県にいる長男の家に移り住もうと考えているが、「この年まで住み続けた女川に愛着があるし……。その時になってみないと、なんとも言えない」とぽつりと言った。

ボランティアの数も急減

総合体育館の近くに設置されたボランティア事務所の周りも、閑散としていた。若者を中心とする男女数人が、和やかな雰囲気でおしゃべりを楽しんでいる様子である。

一番の理由は、ボランティアの人数そのものが減ったからだ。災害ボランティアセンターの事務局によると、町内には震災直後のピーク時で、県外からの人々を中心に100人近くいたが、現在は10人程度だという。

「最初のうちは、泥のついた家具の清掃、食器の洗浄、炊き出しなどでてんてこ舞いの忙しさでしたが、ようやく落ち着きました。食料などの支援物資も順調に届いていますので、ボランティアのニーズ自体が減っています。最近は仮設住宅や他の自治体の民家への引越しの手伝いが増えています」

ボランティアのまとめ役である武石久美子(たけいし・くみこ)・ボランティアコーディネーターは説明する。

「隣接する石巻市のようになおボランティアが足りない被災自治体もある中では、恵まれている方だと思います。今は暑さが厳しいので、お年寄りの避難者の熱中症対策に特に気をつけています。医療担当者のチームと連携しながら、水分、休息に特に注意していきたいと考えています」

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  • [2011.10.03]

ジャーナリスト。1965年北海道生まれ。『北海道新聞』の記者を経てフリーに。『AERA』『中央公論』『新潮45』『プレジデント』などの雑誌を中心に人物ルポ、社会派ルポなどを執筆。著書に『速記者たちの国会秘録』(新潮新書/2010年)ほか。

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