特集 新時代の日本の成長戦略
高度成長期の「神話」を克服し、新しい時代の成長基盤を

田中 直毅【Profile】

[2012.06.13] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

これからの新成長戦略を考えるにあたり、時代を超えた日本の特徴をどうとらえるべきだろうか。経済評論家の田中直毅氏が高度成長期に生まれた数々の「神話」を検証し、新たな成長基盤を考察する。

21世紀における日本の新成長戦略を考える際、これまでの日本の成長の過程、そしてその背景にあった経済戦略の点検から始めることが至当であろう。

21世紀における成長戦略とは、特定の産業を選び出しその育成を図るなど、特定の方向に政府が資源配分を優先的に割り当てるという態のものではないだろう。為替差損の回避のために、輸出主導型を排除し、内需型に移行すべきという主張も一部にはある。ここから、高齢社会の到来の中で医療や介護等の特定の分野を成長戦略として絞り込んだらどうかというわけだ。しかしこのような方法が妥当なものとは、私には到底思えない。持続的に付加価値を増やし続けるという課題に対して、戦略を議論すべきだろう。たとえば、介護サービスや高齢者の慢性病克服のための支出等が付加価値の持続的拡大に繋がるとは考えにくい。新しい成長戦略は、毎年前年比でGDPを拡大するという視点から組まれるべきだ。

歴史的に見る高度経済成長

そもそも日本の成長戦略を議論するにあたっては、歴史的な背景から見てみる必要がある。1960年代から1970年代のはじめにかけての特定の期間、日本において極めて高い成長率が実現した。他の国々の高度成長を回顧しても明らかなように、特定の国が特定の時期に高い成長率を遂げたとしても、これがその国の時代を超えた特徴であるとは言えない。こうした時代を超えて続く高度成長は、世界経済史においても観察されてはいない。従って日本の高度成長も、日本という国が1960年代から1970年代初めの十数年の間に、極めて高い成長率を遂げたという現象に過ぎないと考えるべきである。

中国では改革開放後の加速以来、高い成長率が記録されてきたが、これも特定の時期の特定の現象であって、21世紀を通して高い成長率が持続するのかについては疑問がある。中国においても成長率の屈折を通じて、中国社会の変化、そして背景にある成長加速要因の消滅という因果関係が見られるはずである。当然、1991年以降20年にわたる日本の成長率の停滞、喪失の20年とまで言われる時期をどう解明するのかは、また別のテーマである。

我々は21世紀の新経済成長戦略を考えるうえにおいて、過去の事例を持ち出して、それとの対比で議論するという態度を持つべきではないだろう。

「成長産業」という神話

ここでは、日本の高度成長期における経済社会についての規定とでも言うべきものを我々がいまだに引きずっている面を指摘せねばならない。あえて言えば「神話」と呼ぶべき領域についてである。ここでは日本の高度成長をもたらしたと言われている6つの「神話」を取り上げてみたい。

「神話」の1つ目は、成長産業こそが重要であり、これを戦略的に抽出することが重要だという考え方である。かつて「鉄は国家」という表現があり、「半導体は産業のコメ」という表現もあった。また、重化学工業化を掲げ、日本列島の改造を実施すべきだという考え方に基づき、日本列島各地に新産業都市を配置すべきだという施策もあった。

こうした議論の背景には特定されるべき成長産業があり、それを中心としてクラスター(房)を作り上げることが望ましいという考え方があった。しかし、これは21世紀の産業を考えるうえで明らかに誤りである。特定の産業が成長を担うという議論はもはや適用の余地はないと言えよう。

実際は、顧客や消費者を作り出すようなイノベーションがどのような企業あるいは企業グループから生まれるのかが、成長のあり方を大きく左右する。たとえばアップル社はiPodをきっかけに消費者群を次々と連続的に作り上げてきた。次の段階でiPhoneやiPadにつながり、そのことが急速な企業価値の上昇に結びつき、それを通じてまた新たな研究開発資源が組織化された。フェイスブックの上場過程でも同等のことが観察される。これらのことから見られるように、新たに消費者や顧客を作り上げるという行為にこそ成長の源泉があるという考え方に収斂し始めているのではないか。

「日本株式会社」という神話

成長神話の2つ目として「日本株式会社神話」を取り上げねばならない。日本では業界横断的に、また系列取引等も含め、縦と横の系列を込みにして「日本株式会社」が作り上げられてきた。しかしこの「日本株式会社(Japan Inc.)」という考え方は明らかに大きな変化を遂げている。

冷戦構造崩壊後の喪失の20年の中で、日本の成長をかつて担った民間企業群の能力が、領域国家としての日本を超えるという現象が生まれた。すなわち、日本の内部で産業や系列を組み上げていても、クラスター(房)も系列も成長し続けることは難しいという考え方が一般的になったのである。時あたかもグローバリゼーションの進展で、世界中でそうした企業能力が希求されていた。日本の総合商社をとってみても、日本列島の内部のみの組み合わせにおいて、すなわち「日本株式会社」という看板で世界に進出することに商機は存在しなかった。ここから世界の各企業グループとの組み合わせにおいて新しい付加価値を生産するという考え方が生まれた。サプライ・チェーン・マネジメントがグローバルに築き上げられるときには、企業内貿易あるいはグループ内貿易が生まれた。日本で縦横の組み合わせを作り上げればそれが勝利の方程式になるという考え方は、過去20年間に次第に消滅してきたのだ。

産業基盤投資神話とハイテク神話

3つ目として、「産業基盤投資神話」があったと言えるだろう。過去の特定の期間において、特定の産業が日本経済を支えると考えていた際、産業基盤整備投資は成長を担う柱と位置づけられていた。しかし、過去20年において不況が深刻化するたび、公共事業が積み増されるプロセスの非現実性、すなわち時代や社会に向き合っていない側面が次々と明らかになった。さらにそのことが日本の財政赤字を急速に膨れ上がらせた要因でもあった。このことを考えれば、日本の高度成長期あるいはそれを準備する期間の産業基盤投資が不可欠だという議論には、もはや乗れないだろう。

基盤投資も一定の水準に達すれば、その修復あるいは新機能を付け加えるために必要なものがあるからと言って、高度成長を用意するものではないことが誰の目にも明らかになったのだ。

4つ目に「ハイテク神話」がある。ハイテクとは「軽薄短小」という表現に見られるように、同じ機能をより簡便な仕組みで実現する、あるいは同じサイズのものにより多くの機能を付加することができる等のことを指す。こうしたハイテクに絡む神話が生じた。しかし、世界の成長増分の多くをエマージング・エコノミー(新興経済)が占めるようになると、日本でハイテクと呼ばれたものの受け容れ先が急速に伸びたわけではなかった。当然マーケットの内部には「価格が2分の1のものであれば、機能は絞り込まれたもので十分だ」という考え方が存在したのだ。日本流のハイテク神話はここでは崩れたと言わねばならない。

すり合わせ技術と教育水準

5つ目の神話として、系列取引等も含め、「すり合わせ技術神話」が存在したと言える。組み立て工業に特有なすり合わせに関わる技法において日本が優れていることは間違いない。しかし、現実に部品や資材のアウトソーシングが広範に行われる時代になると、国境を超えたアウトソーシングの結果、すり合わせ技法の有効が相対的に低下することになった。当然、アナログからデジタルへの新技術の担い手の変化も背景にはあった。薄型テレビの時代になると、部品の組み合わせはあたかもプラモデルを作るのに近い状況になった。この結果、すり合わせ技法の優位性は相当程度低下する。このようにして、収益率の構造的な低下が生じたと言わねばならない。

6つ目の神話は、日本における教育水準の高さに関わる神話である。日本の高度成長を担った人々には他の国々に比べて高い教育水準が具備されていたという規定があった。しかし東アジア一帯に初等、中等教育が完備されると、日本の教育課程だけが特別なものではないことに誰しも気づくことになる。新しい時代に相応しい力量を引き出す教育体系を改めて再定義しない限り、日本の高い教育水準を背景として成長の担い手を用意するという考え方は成立しないと考えるべきである。

以上見たように6つの神話が少なくとも存在したと言える。そして、この6つの間には相互補完の関係があった。すなわち1つが崩れれば他も次第に崩れていく、あるいは新たな見直しが行われるというテーマ性を持っていたのだ。我々はこの6つの神話の相互補完性から議論を開始することがあまりにも多かったと反省し、総括せねばならないだろう。

グローバル時代の成長基盤

我々は21世紀において新しい成長の基盤を作る必要がある。このときグローバリズムの進展は、間違いなく大きなテーマとして生まれている。

TPPやFTA、EPAの枠組みがなぜ日本にとって不可欠かと問われれば、いまや産業内分業のゆえに、産業内において部品や資材の行き来が国境を超えて生ずる時代になったことが理由の1つとして挙げられるだろう。企業あるいは企業グループ内においてさえも国境を超えた部品や資材の調達は一般化している。これがグローバリズムを背景に、企業あるいは産業内における特異性の発揮の仕方となった。

新しい時代の成長の担い手としての結晶核をどこに見出すのかは、個々の企業が考え、そのうえで経営資源の集中を図るはずのものである。その背景におけるグローバリズムは極めて重要と言わねばならない。

東アジアをとってみても、産業化が急速に広まる中、日本は産業化のピラミッドのどの部分をどのように系統立てたうえで担うのかというテーマが登場した。これを前提としたうえで、可視化できる企業領域を認定していく作業が必要となる。そういう意味において、TPP加盟について日本の内部で根強い反対があったことは、新しい時代状況と21世紀における新しい結晶核を用意する点について、極めて無知ないし誤解が社会内部にあるからだと言わねばならない。我々はそうした誤解をいかにすれば解きうるのかというテーマを持ち続けねばならないだろう。

日本の強みとは何か

それでは日本の時代を超えた特徴は何か。それは日本流の美意識に基づく、いわば「匠」の世界である点については改めて取り上げる必要がある。中国が商人の国であり、日本は職人の国であると言われるほど、日本においては職人の領域が際立っている。技術水準の高い職人を我々は「匠」と呼び慣わしてきたが、そこには日本列島において集約された美意識を含め、職を通じての達成感および教育や伝統の伝承に関わる体系が存在したと言えよう。

21世紀の日本はどのような社会になるのかを問う際、外国の特定の国を取り上げて議論することは難しい。ただ海外の人の中には、21世紀に入った日本を訪問した際、スイスを訪れたのに近い感覚を持つと答える人が増えている。世界中を飛び回るビジネスマンや知識人の中に日本が「東洋のスイス」と映る面があることを我々は多少は意識すべきかもしれない。この場合、スイスという意味は日本の都市が美しく、水、空気、土壌等において清潔で配慮が行き届いていることがあろう。さらに言えば、工芸品あるいは街並み等についても美意識を背景とした再構築が起きつつあることを意味している。

東アジアにおいて強烈な自己主張を表に出す国々が登場する中で、逆に日本のあり方が再定義される側面がある。おそらく職人の国、匠の国である日本流の美意識がより広く地域環境、都市環境そして街並みにまで貫徹することは、極めて重い意味を持つ可能性がある。3.11以降の日本においてもこのことがもう一度問い直されている。

最後に日本のリーダーシップのあり方について取り上げたい。過去20年、連続的な喪失が生じた理由を考えてみると、先に見た6つの成長神話の相互補完性に見られるように、新しいことが系統的に拒否される現象が少なからず見られた。これを「抵抗勢力」の存在と呼ぶことはそれなりに意味があるだろう。これまでの成長神話の背景にあった社会的な仕組みに依存しつつ、自らの生活を律してきた人々がいることは間違いない。しかし、グローバリズムを前提にしなければ新しい結晶核が用意できないと個々の日本企業が考え始めているときに、新しい時代を考えるにあたっては新しい連帯と新しい結びつき(結社)が不可欠な要因となるだろう。21世紀における産業、そして社会、政治のリーダーシップとは、新しい連帯を作り上げるためにどのような結社が鍵になるのかを見据える中で問われると考えるべきだ。そうしたリーダーシップが成立したとき、日本は新しい成長戦略を得つつあると表記することができるだろう。

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  • [2012.06.13]

国際公共政策研究センター理事長。経済評論家。1945年生まれ。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。国民経済研究協会主任研究員、21世紀政策研究所理事長を歴任。主な著書に『金融クライシス 新グローバル経済と日本の選択』(新潮社、2012年)、『埋没する国家』(講談社、2008年)など多数。

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