特集 アベノミクスの100日
TPP交渉 目指すべきは貿易自由化の促進
目先の損得勘定だけでは語れないルール作り

吉崎 達彦【Profile】

[2013.04.22] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية |

安倍政権は環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉への参加を決定した。TPPがもたらすメリット・デメリットを巡る議論を超え、日本が交渉を通じて追求すべき国益を吉崎達彦・双日総合研究所チーフエコノミストが検証する。

安倍内閣が発足して100日を超えた。今のところ、すべてが怖いくらい順調に推移している。

景気は昨年秋が底であったらしく、内閣府の月例経済報告では基調判断が今年1月から3月まで3カ月連続で上方修正となった。また政府予算案は、2013年度の日本経済の実質GDP成長率を2.5%増と近来になく高めに予想している。

外交面では、2月の日米首脳会談の成功が大きい。当初はオバマ大統領への単なる「顔見世興行」と目されていたものの、会談では日米共同声明を発表し、そのまま環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉参加へとかじを切った。7月の参議院選挙までは安全運転に徹すると見なされていた安倍首相は、ここで初めて冒険に打って出た。

国内の農業団体などの反発は小さくなかった。それでも支持率70パーセントの首相による決断に逆らうのは容易ではなく、自民党内でも交渉参加反対の声は収束した。その後、交渉参加に向けて各国との事前協議は順調に推移している。

安倍首相は「TPPはまさに百年の計」であるとし、TPP交渉への参加は経済・外交政策で政権の重要課題となっている。ここではそのメカニズムについて検証してみたい。

保守=「小さな政府」ではない

2012年秋の総選挙で自民党を率いる安倍晋三総裁は、デフレ脱却に向け大胆な金融緩和政策の必要性を説いた。この提案は有権者の耳に新鮮に響き、「アベノミクス」という呼び名が定着するとともに、総選挙で自民党が勝利する原動力のひとつとなった。また、市場では将来の金融緩和への期待から円安と株高が大幅に進み、景況感が急速に改善した。

保守主義者の安倍氏による金融緩和の主張は、海外では違和感を持って受け取られるかもしれない。日本の保守政党は必ずしも「小さな政府」を主張しない。小泉政権以前の自民党はおおむね拡張的な財政政策を得意とし、戦前の政友会も同様だった。逆に革新政党の方が、緊縮政策を採用することが多かった。

外交・安全保障政策でタカ派と呼ばれる安倍首相が、金融政策でハト派の立場に立つことを日本国内で問題視する向きは少ないのである。

金融・財政政策は効果を発揮

安倍政権は2012年12月の誕生後「アベノミクス=3本の矢」との説明を前面に押し出した。すなわち、(1)大胆な金融政策(2)機動的な財政政策(3)民間投資を誘発する成長戦略――というパッケージである。結果としてアベノミクスとは、狭義ではデフレ脱却を目指す大胆な金融政策を意味し、広義では財政政策と成長戦略を加えた安倍政権の経済政策全般を指すことになった。

2本の矢((1)と(2))はすでに放たれ、効果を発揮している

(1)金融政策面では、黒田東彦・新日本銀行総裁が就任早々の金融政策決定会合で「マネタリーベースを2倍にする」という大胆な緩和策を打ち出した。「戦力の逐次投入をしない」という黒田総裁の方針は、資産バブルを加速させるリスクを伴うとの見方もあるものの、事前の市場予測を大きく上回り、円安・株高をさらに加速させた。

(2)財政政策では、安倍政権は2月末に13兆円規模の補正予算を成立させた。財源としての5兆円の国債増発は、官邸と財務省の関係が良好であることを示している。2013年1月からの15カ月を対象とする補正予算で設定された公共投資のうち、3月末までに施行されたのはごく一部に過ぎず、その大部分は2013年度に執行され、同年度の経済成長を高めることに役立つはずである。

成長戦略としての通商政策

となれば(3)の成長戦略が気になる。金融や財政を通じた景気の刺激以上に、実体経済の成長が重要だからだ。とはいえ「成長戦略」という言葉は、小泉政権時代の「構造改革」と同じように、便利な言葉ではあるが具体性に欠ける。先進国であり、市場経済である日本において政府が民間の成長分野を選別するというのも奇妙な話である。

こうした中で、TPP交渉への参加は「3本目の矢」の中でも目玉商品となりそうだ。

通商政策、特に自由貿易協定(FTA)締結の遅れが日本企業の競争力を削(そ)いでいることは以前から指摘されていた。人口減少と高齢化で国内市場の伸びに限界がある日本としては、貿易と投資こそが持続的な成長へのカギを握るからだ。

政府が2013年1月に設立した産業競争力会議は、6月までに新たな成長戦略をまとめる予定である。ある財界人委員は「TPP参加によって、日本経済の基本ソフト(OS)を書き換えるような変革をもたらしたい」と意気込みを語る。交渉参加を機会に、今まで遅れてきた分野の規制改革も一気に進めようという狙いである。

何も生まない現状維持

ところが日本国内では、これまでTPP参加への反対論が強かった。あまりに反発が強く、民主党政権は交渉参加を決断できなかった。特に農業と医療分野からの反対が多かった。

2012年3月東京で開催されたビジネスサミットで、ウェンディ・カトラー米通商代表補は、「TPPは日本や他の国に対し、医療保険制度を民営化するよう強要するものではない」「混合診療を含め、民間の医療サービス提供者を認めることを要求するものでもない」と言明している。それでも日本医師会などによる反対運動は止まらない。国民皆保険制度の維持が今のままでも危うい、という危機意識のせいもあろうが、保険制度の現状とTPPは直接の関係はない。

農業においても同様な構図がある。

農業の担い手が高齢化し、産業としての先行きが明るくないからこそ、経営環境を悪化させそうな動きには敏感にならざるを得ない。しかるに今の日本農業は「専守防衛」で何とかなるような状況にはない。営農規模の拡大や異業種からの参入促進、農産物の輸出振興など、抜本的な対策を打っていく必要がある。関税の撤廃もしくは引き下げは、日本の農産物に国際競争を迫るだろうが、むしろTPP参加を足掛かりに農政を革新していくべきだ。

一方、「TPPへの参加により日本経済の成長率はXパーセント上積みされる」式の予測もよく耳にするが、この手の予測は――エコノミストとして正直に言うと――試算のやり方次第でいかような結論も導き出せる。

メリット・デメリット論を超えて

「TPPは日本にとって得か損か」と問題を設定した議論は得てして不毛な議論に終わる。交渉事なので、どんな内容になるかはやってみなければ分からない。また、どういう立場にあるかによって「メリットとデメリット」の受け止め方は違う。さらに、変革を実施する際の議論では、損をする(と考える)業界の声が大きくなるのが世の常であり、TPPによってメリットを受ける業界にからは、交渉参加を求める声がそれほど強く聞こえてこない。

問われるべきは「TPPの本質はどこにあるのか」「TPPへの参加により日本は何がしたいのか」である。TPPはメリット、デメリットではなく「動機」で語られるべきである。

これまでTPP推進派は、根本の動機を語ることなく「とにかく心配は要りません」とだけ説明してきた。逆に反対派は、「交渉21分野のうち、どこそこの部分が問題だ」と口角泡を飛ばしていた。かくして残念なことに、両者の間では非生産的な議論が続いてきた。

目指すべき国益

日本がTPPに参加する意義は、以下の3点に尽きる。

  1. FTA競争での遅れ挽回とルール作りへの参加 世界貿易機関(WTO)の多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が迷走し、FTA締結への競争が世界中で展開する中で、最後の大型案件であるTPPは日本がこれまでの遅れを取り戻す貴重なチャンスである。同時にTPPは貿易、投資、知的財産権、労働や環境など新しいルール作りの実験でもあり、この試みに参加しない手はない。
  2. アジア太平洋地域における地域経済圏構築 TPPはFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)実現に向けての有力な道筋となる。また、日中韓FTAや東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などとの競合により、域内におけるFTA締結の「ドミノ効果」も期待できる。
  3. 国内改革の加速手段 今の日本の農業は、「TPPさえなければ将来は安泰」という状況ではない。本来ならば1986年から1994年までのウルグアイ・ラウンドの際に実施すべきだった改革に、今こそ取り組むべきである。

日米が作るルールの重み

TPPは、「第2、第3の開国」というほど大げさなものではないし、もちろん、「米国による第2の占領」でもない。あくまでも通商交渉のひとつにすぎない。「中国を封じ込める米国外交の意図」といった補助線も乱用すべきではない。

日本にとってTPPがもたらす国益とは、あくまでも貿易自由化の促進であり、アジア太平洋地域の経済圏作りである。

欧州債務危機などの先進国経済の問題は、近い将来には解決しないだろう。この間にアジア経済が持つ活力を維持・発展させると同時に、日本は貿易と投資を通じてその活力を取り込むべきなのだ。

それだけではない。安倍首相は2月の訪米時に、ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で「(日本は)ルールのプロモーターとして主導的な地位にあらねばなりません」と語った。世界第1位のアメリカと、第3位の日本という経済大国が共に作るルールは、他国に対して一定の説得力を持つだろう。ゆくゆくは中国に対しても、参加を呼びかけるようでありたいものだ。それでこそTPPは、日本の「百年の計」足り得るだろう。

(2013年4月15日 記)

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  • [2013.04.22]

双日総合研究所・副所長/チーフエコノミスト。1960年生まれ。1984年一橋大学卒業後、日商岩井(現双日)に入社。同社調査・環境部、ブルッキングス研究所客員研究員、日商岩井総合研究所調査グループ主任エコノミストなどを歴任。主な著書に「オバマは世界を救えるか(2009年)」、「1985年(2005年)」、「アメリカの論理(2003年)」(いずれも新潮社)など。自身のホームページ「溜池通信」でも積極的に発言。

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