特集 日本の議会制民主主義
日本とイタリアではなぜ首相が「短命」なのか

池谷 知明【Profile】

[2013.08.06] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية |

1990年代に2党制を目指して小選挙区制を導入した日本とイタリア。頻繁な首相の交代など類似点が指摘されている一方で、日伊の比較により、日本の政治システムの特殊性が浮かび上がってくる。

日本政治とイタリア政治の類似性はしばしば指摘されてきた。日本では1955年に左右に分裂していた社会党の統一と保守合同により自由民主党が誕生したことから、2党制と政権交代が実現することが期待された。しかし、自民・社会の議席比率は2対1で、政権交代も実現しなかったことから「1か2分の1政党制」と呼ばれた。

ほぼ同時期のイタリアでも第1党のキリスト教民主党と第2党の共産党との間で政権交代がなく、その見込みもない点を強調して、その政党制を不完全な2党制とする見解が出された(※1)。首相と内閣の交代はあっても自民党、キリスト教民主党が政権党であることは変わらず、国政選挙の結果を受けた政権交代は起こらなかった。長期政権が政治腐敗を生み出し、それに対する批判が続いたことも共通していた。

小選挙区制導入後の首相交代:日13人、伊8人

政治改革を求める声が高まり、その結果、選挙制度改革が行われたのも同時期であった。イタリアでは1993年に、日本では1994年に、細かい差異はあるものの小選挙区相対多数代表制を主とし、比例代表を従とする選挙制度が導入された。小選挙区制の導入が2党制化を促し、政権交代を実現させることを目的としていた点も共通する。

近年では首相が頻繁に交代している点で、両国の政治の類似性が指摘されている。イタリアでは1993年4月のチャンピ内閣から2013年4月に成立したレッタ内閣まで、13の内閣が成立し、実数にして8人の首相が誕生した。日本では1993年8月の第79代細川護煕内閣から2012年の第96代第2次安倍晋三内閣まで18の内閣、実数にして13人の首相が生まれた。小選挙区比例代表並立制による総選挙後に限ると1996年11月に発足した第83代第2次橋本龍太郎内閣から14の内閣、実数で10人の首相が誕生した(同時期にイタリアでは10内閣、実数で6人の首相が生まれた)。<文末参考資料参照>

日本とイタリアの首相交代は同じ議院内閣制のドイツ、英国に比べるとはるかに多い。1993年から現在まで、ドイツではコール、シュレーダー、メルケルの3人のみが首相を務め、英国ではメージャー、ブレア、ブラウン、キャメロンの4人を数えるにすぎない。なぜ日本とイタリアでは頻繁に首相が交代するのだろうか。

ドイツ、英国と日本、イタリアとの違いは、二院制における上院のあり方と関係するといわれる。ドイツの上院は州代表機関であり、英国の上院の権限は極めて限定的で、いずれも上院の動向によって首相が退陣を迫られることはない。

日本では、憲法で衆議院の優越が定められているが、法律案の再議決については衆議院で3分の2以上の多数を確保してはじめて可能となり、そのハードルの高さから参議院は実際には強い院と考えられる。イタリアでは上下両院が対等であり、両院で多数派を形成しなければ内閣はそもそも成立しない。しかし、強い参議院、対等の二院制だけが頻繁な首相交代をもたらしているのであろうか。

多党化続くイタリアでは選挙ごとに政権交代

イタリアでは新選挙制度導入後に行われた1994年選挙で中道・右翼連合が勝利し、2年後の1996年選挙では中道・左翼連合が、2001年選挙では再び中道・右翼連合が勝利した。2005年に選挙制度が変わり、「プレミアム付比例代表制」となったが、直後の2006年選挙では中道・左翼連合が、2008年選挙では中道・右翼連合が勝利した。選挙ごとに政権交代が起こっているから、首相も当然入れ替わる。頻繁な首相の交代は選挙制度改革が成果をあげたことを意味する。問題は、5年の任期が全うされずに、頻繁に選挙が行われていることである。

上下両院が対等であることが首相の座を不安定にしていることは、プレミアム付比例代表制導入後に顕著になった。この選挙制度では議席が得票率に応じて比例配分されるが、政権の安定性を確保するために最大得票を獲得した政党(連合)にプレミアムとして議席をより多く配分する。

下院では定数630のうち340が勝利連合に保証されるが、プレミアムが州を単位とする選挙区ごとに付与される上院では、院全体での安定多数の確保が難しい。2006年選挙で勝利して成立したプローディ内閣は、上院での野党との議席差がわずか2議席であったため、3議席を有していた小会派が2008年に政権を離脱すると崩壊してしまった。2013年選挙では下院で中道・左翼連合が勝利したが、上院では過半数議席を獲得できなかったため、大連立内閣が成立するまで2カ月を要した。

非国会議員の実務家内閣で政治危機回避

1993年の選挙法改正による政治というゲームのルールの変更、1994年に起こったキリスト教民主党の解党など伝統政党の消滅とフォルツァ・イタリア(がんばれイタリア)をはじめとする新たな政党の登場によるゲームのプレーヤーの交代により、イタリアは第一共和制から第二共和制に移行したと考えられた。しかし、第二共和制に移行しても、多党化状況に変化はなかった。1993年選挙法も2005年選挙法も、諸政党が連合を組むことを求めた結果、中道・左翼と中道・右翼の2極による選挙戦が展開されるようになった。しかし、2党化にはほど遠い状況であり、政権を獲得した連合内の政党が離脱して内閣が崩壊することは2008年以外にも起こっている。

内閣が崩壊し、選挙が行われない場合、後継首相の選出は困難を極める。そこで重要な役割を果たすのが大統領である。大統領は調停者として各党の指導者らと協議し、合意を取り付けた上で後継首相を任命する。首相および大臣が国会議員である必要はないので、非国会議員から成る実務家内閣を誕生させて政治危機を回避することもある。1993年のチャンピからこれまで4人の非国会議員首相が誕生した。

なかでもディーニ、モンティの両内閣は閣僚全員が国会に議席を持っていなかった。こうした実務家内閣の場合には、議会内に基盤はなく、特定の政策課題を遂行することが目的であったり、選挙管理内閣的な意味合いを持つから長期政権にはならない。以上のように、イタリアで頻繁に首相が交代するのは、対等な二院制、多党化状況と不安定な連立政権、実務家内閣の登場が選挙の頻度を高めている一方で、選挙制度改革が成果をあげて選挙ごとに政権交代が起こっていることに要因が求められる。

政権交代がなくても首相が頻繁に変わる日本  

日本では1993年総選挙後に自民党が下野して政権交代が起こった。しかし、自民党は社会党と組み、翌94年の村山富市内閣の成立に伴って政権に復帰した。さらに1996年には橋本内閣が成立し、首相の座を奪還した。自民党は新選挙制度下での最初の総選挙後も引き続き政権を維持し、その後、2009年総選挙で民主党が勝利するまで政権の座にあった。政権交代はイタリアよりも少ない。連立政権ではあるが、連立を構成する政党の数はイタリアよりも少なく、その枠組みがイタリアほど頻繁に変わることもない。さらに政権基盤が脆弱な実務家内閣が誕生することもない。しかし、イタリア以上に首相が交代している。なぜだろうか。

いわれるように、強力な参議院の存在が頻繁な首相の交代を引き起こしているのだろうか。確かに3年ごとに行われる参議院通常選挙がいわば中間選挙的に内閣の進退に影響することはある。1998年の参議院選挙の敗北で橋本龍太郎は退陣した。退陣しない場合であっても首相の政権基盤は脆弱となる。

また、衆議院と参議院の多数派が異なる、「ねじれ」が生じた場合、政権運営は不安定化し、首相の指導力が弱まるとされる。近年のねじれ状態の下で安倍晋三、福田康夫、菅直人の3人が首相職を辞している。しかし、強力な参議院やねじれ状態だけではイタリアよりも頻発している首相交代は説明できない。たとえば森喜朗、小泉純一郎、鳩山由紀夫の退陣時にはねじれ状態は生じていなかった。

政権党に組み込まれた首相交代のメカニズム

見落とされているのは政権党による首相の拘束である。自民党は総裁任期を3年(2003年までは2年=党則第84条)としている。任期が来れば、首相在任中であっても総裁選、代表選が行われる。総裁と首相を分離させる議論もあったが実現せず、総裁が首相となり、総裁選挙で負ければ首相職を辞することになる。

首相を輩出している政党自らが首相を交代させる仕組みをつくっているのである。過去には、首相であった福田赳夫が総裁予備選挙で敗れ、本選挙を辞退し、退陣した例(1978年)がある。現職の首相が総裁選挙で敗れる事態は近年では起こっていないが、一国の首相を、それを支えるはずの政権与党がその座から引きずり下ろそうとすること自体が奇妙であり、連立与党、国民を無視した仕業と言える。

加えて、任期中に総裁が欠けた場合、新たに選任された総裁の任期は前任者の残任期間(党則第84条2)であることが規定されている。さらに、当初はなかった「引き続き二期を超えて在任することはできない」 (総裁公選規定第10条)ことが現在では規定されているなど、党首に対する拘束力がきわめて強い。世論の支持が高かった小泉も(本人に首相にとどまる意思があったかはともかくとして)退陣せざるを得なかったのである。

英国ではサッチャーが1990年に党首選で敗れ退陣を余儀なくされたが、すでに10年以上首相の座にあった。そもそも保守党、労働党ともに党首選は行われるが、任期はない。ドイツでは、党首の任期はあり、その座を降ろされることはあるが、首相を辞することと連動しない。そもそも党首が首相になるわけではない (1998年に首相になったシュレーダーは社会民主党の党首ではなかった)。

日本の場合、総裁選や代表選以外でも、党内抗争により与党議員が退陣を要求する首相「おろし」が頻発する。首相を支えるはずの与党が倒閣運動を起こすのだから、安定した内閣がつくられるはずもない。首相の短命化が与党によってもたらされるのである。

政党の一体性と首相の安定性

頻繁に首相が交代することから、日本でもイタリアでも参議院、上院の権限を弱めようとする声が強い。イタリアではすでに憲法改正に関する委員会が設置され、議論が始まっている。しかし、仮に一院制になったところで、多党化状況が解消されない限り、イタリアでは首相の頻繁な交代が起こるだろう。

日本でも総裁、代表の任期を定め、首相を輩出しているにもかかわらず総裁選、代表選を実施したり、あるいは与党内から首相「おろし」が起こるのであれば、やはり首相交代は頻発するであろう。

参議院、上院の制度改革とともに、あるいはそれ以上に重要かつ必要なのは、党首、首相を支える政党および政党間の一体性、まとまりであろう。もちろん党や連立与党をまとめ上げる資質を備え、能力が高く、手腕の優れた党首、首相が登場することも重要かつ必要なことである。

(2013年7月19日 記)

タイトル写真=英国で開催された主要8カ国首脳会議(G8サミット)に出席した安倍首相(左から2人目)とイタリアのエンリコ・レッタ首相(右から2人目)[2013年6月18日、写真提供=AP /アフロ]

参考資料: 日本とイタリア歴代首相(1993年以降)

日本 イタリア
1993年8月 細川 護煕(※2) 1993年4月 カルロ・チャンピ(非国会議員)
1994年4月 羽田 孜 1994年5月 シルヴィオ・ベルルスコーニ
1994年6月 村山 富市 1995年1月 ランベルト・ディーニ(非国会議員)
1996年1月 橋本 龍太郎(※3) 1996年5月 ロマーノ・プローディ
1998年7月 小渕 恵三 1998年10月 マッシモ・ダレーマ
2000年4月 森 喜朗 2000年4月 ジュリアーノ・アマート(非国会議員)
2001年4月 小泉 純一郎 2001年6月 シルヴィオ・ベルルスコーニ
2006年9月 安倍 晋三 2006年5月 ロマーノ・プローディ
2007年9月 福田 康夫
2008年9月 麻生 太郎 2008年5月 シルヴィオ・ベルルスコーニ
2009年9月 鳩山 由紀夫
2010年6月 菅 直人
2011年9月 野田 佳彦 2011年11月 マリオ・モンティ(非国会議員)
2012年12月~ 安倍 晋三 2013年4月~ エンリコ・レッタ

(※1)^ Giorgio Galli, Il bipartitismo imperfetto, 1966

(※2)^ 細川政権下の1994年1月、衆議院選挙への小選挙区比例代表並立制導入が決まる。イタリアではその前年、国民投票の結果を受けて小選挙区を主とする選挙制度が導入された。

(※3)^ 1996年10月の解散総選挙で初めての小選挙区比例代表並立制が用いられ、その結果第2次橋本内閣が成立した。

この記事につけられたタグ:
  • [2013.08.06]

早稲田大学社会科学総合学術院教授。専門はイタリア政治、政治学。1960年生まれ。1996年早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程退学。1994年~96年早稲田大学社会科学部助手、1996年拓殖大学専任講師。同大学助教授、教授を経て、2013年4月より現職。

関連記事
この特集の他の記事
  • 一票の平等を目指して同数の票を獲得しても選挙区によって候補者の当選・落選が分かれる日本の選挙。この「一票の格差」の是正に取り組む弁護士・升永英俊氏は、全ての票の価値が同じでなければ民主主義は実現しない、と訴える。
  • 日本の議院内閣制と安倍内閣の行方:ウェストミンスター化を阻む「壁」1990年代の日本の政治・行政改革は、英国的な「ウェストミンスター型」議院内閣制を目指した。だが、完全なウェストミンスター化にはまだ「壁」があると竹中治堅・政策研究大学院大学教授は指摘する。

ピックアップ動画

最新の特集

バナーエリア2
  • nippon.comコラム
  • in the news
  • シンポジウム報告