日本のODA60年を考える

開発経済学から見た日本のODA

政治・外交 経済・ビジネス

開発途上国の貧困削減、経済発展のため、日本のODAは今後どのようなアプローチで臨めばいいのか。気鋭の開発経済学者が提言する。

成果はあったが知られていない日本の援助

サケの生産が盛んで、日本に大量にサケを輸出している国はどこか。答えは、チリである。それでは南半球で、大豆の生産が盛んな国はどこか。ブラジルである。しかし40~50年前には、チリには一匹のサケも生存していなかったし、ブラジルは大豆の大生産地ではなかった。それでは誰がチリでサケの養殖を始めたのか、誰が不毛と信じられていたブラジルのセラードという広大な土地で大豆の栽培を始めたのか。答えは日本人であり、JICA(現在の国際協力機構)である。しかしこれらの偉業を誰が実現したかについては、日本ばかりでなく外国でも知られていない。世界銀行では、チリのサケやブラジルの大豆の生産の大成功はしばしば話題にのぼるが、日本がそれに貢献したという認識はない。(※1)

もう一つ質問しよう。タイは、今やアジアのデトロイトと呼ばれるほどの自動車の大生産地帯になっている。それはなぜか。日本の自動車関連の企業も含めて、日本からの指導があったからである。中国南部の珠江デルタも自動車生産の一大基地だが、それは日本がこの地域で自動車生産に必要な人材を育成した結果であるという。

中国広東省広州のホンダ合弁工場。珠江デルタには日系をはじめとする自動車製造、部品工場が集積している=2006年撮影(時事)

アジアの「緑の革命」に貢献した日本のODA

上述のケースは、いずれも日本が誇るべきODAの成果である。筆者自身がよく知っているのは、アジアの緑の革命である。1960年代の熱帯アジアは、耕地拡大の余地がなくなる一方で既存の農地からの生産が伸び悩み、食糧生産の伸びが人口の伸びをはるかに下回っていた。そのために、深刻な飢餓の発生が危ぶまれたのである。それを解決したのが、フィリピンにある国際稲研究所(IRRI)が開発した高収量品種であり、それをサポートしたかんがい投資であった。

それによって「緑の革命」が起こり、1970年から2000年にかけて熱帯アジアの土地当たりの水稲の収量は約2倍に、総生産量は約3倍になった。その結果、1970年代末にはアジアの飢餓を危ぶむ声はなくなった。日本人研究者はIRRIで大活躍し、日本政府は研究と人材育成のためにIRRIにふんだんに資金を提供し、アジア開発銀行とともに強力にかんがい投資をサポートした。これも、日本の海外支援が画期的な変化をもたらした好例である。しかし、ここでもまた一般の人々は日本の貢献を知らない。

これ以外にも、日本の援助はアジアを中心として大きな成果をあげてきた。ところが、開発経済学を専攻する筆者ですら、日本の援助の実態はよく分からない。開発経済学の立場から見れば、上述のいずれの成功例でも、人材育成とインフラ投資が組み合わさっていたことが重要である。詳細は今後検討される必要はあるが、日本のODAは人材育成とインフラ投資を通じて多くの途上国の産業の発展に寄与してきた、というのが筆者の現在の評価である。

効果的な戦略が不可欠

日本の援助担当者は、援助の資金を使って途上国の産業を発展させることが、援助の唯一の目的であると考えている。それはひどい間違いではないが、筆者に言わせれば問題である。現在、援助の国際社会のどこを探しても、どうすれば途上国を発展させることができるか、あるいは貧困を削減することができるかについて、誰もが合意する「戦略」はない。もちろん、「戦略なき援助」では効果は期待できない。それは、やみくもにゴールめがけてボールをけり込もうとしているようなものである。このような状態において何よりも重要なのは、効果的な戦略を示すことである。つまりそれこそが、重要なODAの目的の一つでなければならない。

日本は、そのことを認識してこなかった。だから、効果的な援助を実施していたにもかかわらず、データを集めてこなかった。つまり、証拠がないのである。そのため、日本のODAが他のドナーの政策に影響を与えることもなかった。しかし、イギリスをはじめとした西欧のドナーは、援助疲れすると同時に、支援策に自信を失っているように見える。だからこそ日本は、知的支援こそ最大の援助であることを肝に銘ずるべきである。

正しい開発戦略を考える

貧困削減が叫ばれるようになって久しいが、どうやってそれを実現したらいいのかという「開発戦略」の議論は相変わらず低調である。合意が形成されつつあるのは、以下の2点である。すなわち、貧困を削減するためには貧困者のために「仕事」をつくり出すことが重要であり、そのためには新しい技術を導入して農業や製造業を発展させなればならない、というきわめて当たり前のことである。

世界銀行の基幹的出版物である『世界開発報告』の2013年版のテーマは「仕事」であったが、2016年は「インターネットと開発」であるという(実際の出版は2015年の秋)。世界銀行は情報通信の発達を利用したイノベーションによって産業を発展させ、仕事を創出し、貧困を削減しようというシナリオを描いているのであろう。しかし、それを実現するためには、どうやってイノベーションを起こすかという戦略がなければならない。(※2)

設備・インフラよりも、まず人材育成

まずやるべきことは、人材育成である。製造業であれば、経営者を鍛えることである。いくら立派な設備があっても、インフラが整っていても、経営者に経営や技術についての知識がなければ、企業は成長しえない。最近の研究で分かってきたことは、途上国の経営者は経営能力が乏しく、それが企業の発展を阻む最大の要因だという点である。優れた技術や経営の知識のストックは先進国にあるから、途上国の経営者はそれを学べばいい。

そこで筆者は同僚の園部哲史教授とともに、日本式経営である「カイゼン」の有効性を、JICAや世界銀行と協力しながらアフリカで検証中である。これまでのところ、成果は上々である。企業の経営効率が上がればインフラや融資が生きてくるから、その段階でインフラに投資し、融資を助けるのがいい。特にインフラの整った工業区の建設は、飛躍する企業の支援策として有効である。これが、筆者たちが考えている製造業の「開発戦略」である。

農業でも話は似ている。農業で大事な人材は、研究者と技術普及員である。農業技術は気候風土に左右されるので、海外の技術をそのまま他の国に持ち込むことができない場合が多い。その場合には、先進的技術を当該地域の風土に適合させる応用研究が必要である。ところが驚いたことに、水稲の場合にはアジアの技術がそのままアフリカで通用することがわかってきた。だからアフリカにおけるコメの緑の革命は、ほとんど応用研究を行わずに実現することが可能である。

そこで筆者は、JICAにCARD(アフリカ稲作振興のための共同体)を組織することを推奨し、2008年から10年間でコメ生産を倍増することを目指している。しかし、普及員の養成に充分な資金が回らず、倍増が実現できるかどうか微妙な状況である。普及員の養成が進めば新しい技術が浸透し始め、かんがい投資やマーケティングの向上につながる運輸・通信への投資の収益率は高まる。製造業の場合と同じように、その段階でインフラ投資を行えば、農業の生産性は確実に高まる。肥料代が払えないという問題が起これば、その段階で融資の仕組みを考えたらいい。これが、筆者達が考えている農業の「開発戦略」である。

これらの戦略と、これまでの日本のODAの考え方とは基本的に矛盾しない。次のステップは、JICAや民間企業や研究者が共同してこの開発戦略をさらにグレードアップし、その有効性を実証し、それを効果的な開発モデルとして世界にアピールすることである。それができれば、日本のODA政策は世界中から大きな評価を受けるようになるに違いない。

タイトル写真:インドネシア・ジャカルタ近郊でイネを収穫する農民=2012年2月(提供:ロイター/アフロ)

(※1) ^ この二つのケースについては、国際協力機構研究所が興味深い著書を出版している。細野昭雄『南米チリをサケの輸出大国に変えた日本人たち』(2010年)、本郷豊・細野昭雄『ブラジルの不毛の大地「セラード」開発の奇跡』(2012年)。

(※2) ^ 詳しくは、拙著『なぜ貧しい国はなくならないのか』(日本経済新聞社、2014年)を参照してほしい。