国際的ブランドとなった日本のマンガ・アニメ

セーラームーンの子どもたち—日本発「魔法少女」アニメの進化

社会 文化

『セーラームーン』『プリキュア』など世界的人気を得た日本発「魔法少女」たち。西洋の「魔女」をベースに独自の進化を遂げたガールヒーローたちからジェンダーをめぐる日本の少女たちの闘いが見えてくる。

日本のテレビに「魔女」到来(1960年代)―「サリー」と「アッコちゃん」

ドジで勉強も嫌い。おまけにスポーツも苦手。いつもパッとしないけど、魔法の力で変身すれば、強くカワイイ「魔法少女」として、颯爽(さっそう)と敵に立ち向かう・・・。

1990年代世界的にヒットした『美少女戦士セーラームーン』のインパクトによって、「魔法少女」(magical girl)は、魔法で変身(ドレスアップ、メークアップ)し、ステッキなどの魔法アイテムを駆使して勇敢に敵と戦う、<変身戦闘>魔法少女として、国内外で認識されている。しかし、「魔法少女」(魔法を使う少女)アニメは、国産テレビアニメの黎明(れいめい)期である1960年代から登場しており、「魔法少女」主人公は、現在の<変身戦闘>魔法少女イメージとは異なるものだった。

まず、テレビアニメにおける「魔法少女」の歴史を簡単にたどってみよう。魔法を使う少女主人公が登場したのは、1966年。魔法の国からやってきた王女サリーが、夢野サリーとして人間の国で騒動を巻き起こす、『魔法使いサリー』だった。この番組は、女の子向け国産アニメ第1号であることでも有名だ。

当時アメリカのファミリードラマ(sitcom)『奥様は魔女(Bewitched)』の吹替版が、日本で人気を博しており、人間と結婚した若い美人魔女サマンサが、日常に非日常的効果をもたらすことをヒントに、『サリー』は制作されたという。作者の言及はないが、1965年には映画『メリー・ポピンズ』も公開されており、空から降りてきて魔法で家事をこなすという魔女像も、ヒントになったのかもしれない。西洋の魔女をベースにした少女魔女(魔女っ子)サリーはこうして生まれたのである。

『奥様は魔女』よろしく、『サリー』は基本的に一話完結のコメディで、呪文を唱えて魔法を行使する伝統的なキリスト教的魔女のイメージを踏襲していた。魔法界という外部(西洋)から来たサリーが、人間界(日本)に異化をもたらし、人間の友だちとの交流の中でサリーが土着化する様子は、高度経済成長期の日本が近代化し、西洋のライフスタイルが日本に土着化していく姿のメタファーでもあった。

『サリー』の後に放映された「魔法少女」アニメは、普通の女の子が善行の“報酬”として魔法の力を得るという『ひみつのアッコちゃん』(1969~70)である。主人公加賀美あつ子は、鏡を大切にしたご褒美に鏡の精からもらった魔法のコンパクトを使って、人や動物に変身する魔法を使う。正統な魔女が人間界に異化作用を起こすサリー型と、普通の人間が魔女になったことで特権を駆使するアッコ型というプロトタイプが出揃う。

リブの時代のパワフルでコケティッシュな少女(1970年代)

1970年代になると、サリー型である『魔法使いチャッピー』(1972)、『魔女っ子メグちゃん』(1974~75)が大人気となる。特に『メグちゃん』の登場によって、少女魔女主人公は、総じて「魔女っ子」と呼称されるようになる。主人公メグは魔法界の次期女王候補。ライバルのノンとともに、人間と結婚して暮らす魔女たちの家にそれぞれホームステイして、修行に励んでいる。『メグちゃん』に特徴的なのは、複数主人公(ライバル)、無国籍性、コケティッシュ(ほのかなセクシュアリティ)である。

西欧風の街でタイプの違うメグとノンが、時に敵対し、時に共闘しながら友情を育てるという物語は、女の子向けアニメでは画期的だった。少年と異なり、少女の友情のテーマはスポ根(スポーツ&根性)アニメ、ドラマ以外ではほぼ皆無だったからである。またコケティッシュさを、男性を意識した性的魅力ではなく、女の子自身の魅力(パワー)として描いたヒロイン像は、1970年代のリブ運動と連動し、受容された。

「女の時代」のカワイイ“大人の自分”への変身(1980年代)

こうした「魔女っ子」アニメは、主に東映動画(現・東映アニメーション)が手がけていたが、1980年代になると他スタジオも新たな魔法少女アニメを制作し始める。とりわけ女の子だけでなく男性ファンも魅了したのが、『魔法のプリンセスミンキーモモ』(1982)と『魔法の天使クリィミーマミ』(1983~84)である。『ミンキーモモ』のモモはサリー型、『クリィミーマミ』の主人公優はアッコ型であるが、両者とも魔法で“大人の自分”に変身するという共通点があった。

『ミンキーモモ』の主人公12歳のモモは、魔法の星フェナリナーサの王女で、人間に夢と希望を思い出させるために、子どもでは解決できない問題を、大人の女性になって解決。最後は魔法を喪失し、交通事故で亡くなる・・・(実は、今までの物語はモモの見た夢ということになり、目覚めたモモは人間として生き直す)。

『クリィミーマミ』の主人公9歳の優は、1年という期限付きで魔法の力を得る。少し大人の自分に変身したところを偶然スカウトされ、クリィミーマミとしてアイドルデビューしてしまう。しかも、好きだった幼なじみの俊夫がマミに恋してしまい、優は、変身した自分との奇妙な三角関係を体験する。アイドルと小学生という世界を行き来し、自己表現としてアイドルを演じるが、最終的に魔法を喪失することで、優は真の自己を肯定する。

成長した自分と、等身大の自分・・・女の子にとって、大人の世界は魅力的であるが、ずっと大人のままでいるのも困る。大人になった自分というより、「大人になれる」自分を体験することによって、女の子は自己肯定と自己表現の手段を魔法で手に入れるのである。

折しも80年代は、政治面では土井たか子らの「マドンナ旋風」、文化面では松田聖子やプリンセス・プリンセスなどの活躍により、“女の時代”と呼称されていた。また、1985年の男女雇用機会均等法制定による「均等法」時代の幕開けに際し、女性をめぐる言説は、希望と結びつけられていた。こうした中、憧れの“お姉さん”と真の自己との間を空間的に超越する魔法により、魔法少女は「美」と「セクシュアリティ」という規範と肯定的に向き合い始めたのである。

「ガールパワー」の象徴としての<変身戦闘>魔法少女(1990年代)―『セーラームーン』

1990年代には、魔法少女といえば、“カワイイコスチュームに着替え、アクセサリーを身につけ、アイテム(ステッキなど)を介して魔法エネルギーを放出して敵と戦う少女”とされるほど、<変身戦闘>魔法少女というイメージを世界中に定着させた『美少女戦士セーラームーン』(1992~97)が登場する。主人公うさぎは、物語初期はアッコ型だが、のちにサリー型(実は月のプリンセスの生まれ変わり)だと判明する。サリー型・アッコ型の結節点となった『セーラームーン』は、複数主人公(5人のチーム)、ドレスアップの変身、戦闘、マザーリング(母親業)というテーマを盛り込んだ作品であった。

東映特撮ドラマ「宇宙刑事」シリーズや「スーパー戦隊」シリーズのフォーマットを魔法少女アニメに導入した『セーラームーン』シリーズがヒットした90年代は、欧米ではちょうど音楽界で少女たちがフェミニズム的なパワフルな女性の力を力説する歌を歌い、人気を集めていた「ガールパワー」ムーブメントの時代だった。男性の力を当てにせず(戦闘における「タキシード仮面」の手助けは、徐々になくなっていく)、自分たちだけで戦闘するセーラー戦士たちは、まさに日本の「ガールパワー」の象徴だった。

しかもセーラー戦士たちは、セーラー服に着替え、アクセサリー装着やマニキュア、髪を長くするなど、明らかに戦闘には不適切な格好に変身する。仮面ライダーやスーパー戦隊が、基本的に自己強化のために変身するのとは異なり、魔法少女たちの変身は、「美」と「セクシャリティ」という女性性の強調であった。「美」「セクシュアリティ」が女性のパワーと表象されることによって、カワイくあることと強くあることの二項対立が消滅したことは、非常に画期的なパラダイム転換であった。

しかし忘れてはならないのは、『セーラームーン』には、うさぎと地場衛(ちば・まもる)との異性愛の成就があり、ちびうさ、ちびちびムーンの設定により、母として子どもを育てるマザーリングのメタファーも、パワーとともに提示されていたことだ。これは、欧米の「魔法少女」たちとは一線を画すファクターであった(詳細は後述)。

「ジェンダー平等」時代の多様化した「魔法少女」たち(2000年代以後)

『リトルウィッチアカデミア』はヨーロッパの魔女育成名門校を舞台に、主人公アッコとその仲間の冒険を描く。当初YouTubeで英語字幕版が限定公開され、世界中で反響を呼んだ。クラウドファンディングで続編が製作され、劇場公開が予定されている。©Y.YOSHINARI/TRIGGER

『セーラームーン』以後、<変身戦闘>魔法少女は記号化し、そのフォーマットに沿った作品やパロディも次々と作られるようになる。2014年に10周年を迎えた「プリキュア」シリーズでは、中学二年生の少女たちが戦い続けているし、『魔法少女リリカルなのは』シリーズ(2004~07)、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)、『幻影ヲ駆ケル太陽』(2013)、『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』シリーズ(2013)などの深夜アニメでは、女の子向け「魔法少女」アニメでは難しかった、魔法力の代償、生死、不条理などの<変身戦闘>魔法少女の負の部分も描かれるようになった。

一方で、伝統的な魔女をベースにした『魔法少女隊アルス』(2003~04)や、「アニメミライ2013」で放映され、インターネットを通じて世界的にヒットした『リトルウィッチアカデミア』(2013)のように、劣等な人間の少女が、魔法界の特別な力をもつ魔女たちに希望や夢の価値を説き、異化作用をもたらすという物語も現れた。

欧米のヒロイン像とは異質のパワフルさ、カワイらしさと母性

こうした歴史を概観すると、日常のトラブル解決から世界の命運をかけた戦闘まで大きな世界観の違いはあれ、小学〜中学生の少女たちが魔法の力で成長するというプロットは一貫している。もちろん欧米にもサリー型のドラマ『サブリナ (Sabrina the Teenage Witch)』や、セーラームーン型のドラマ『聖少女バフィー (Buffy the Vampire Slayer)』、アニメ『ウィッチ (W.I.T.C.H.)』など、魔法少女的な少女主人公は存在する(ただし『ウィッチ』は『セーラームーン』の影響がかなり見られる)。

しかし、それ以前には少女が魔力を持つ場合、思春期の不安定さとともに否定的に語られることが多かった(映画『エクソシスト』、『キャリー』など)。パワフルな女性には、少女ではなく成人女性が設定された。アメコミ原作のドラマ『ワンダーウーマン (Wonder Woman)』、『姫戦士ジーナ (Xena: Warrior Princess)』、ゲーム原作の映画『トゥーム・レイダー (Lara Croft: Tomb Raider)』などのヒロインは、強さという男性性が結びつけられるのと同時に、異性愛男性の性的対象としてセクシーさを付与される運命にあった。

『セーラームーン』以降日本では頻出したマザーリングの表象も、欧米の魔法少女的ドラマやアニメではほぼ不在である。少女が母になることは一種の禁忌であるが、日本の魔法少女アニメでは、パワフルさと同時に、カワイらしさや子育て(女の子らしいケア)が結びつけられ、伝統的性的役割分業が男性に脅威を与えない要素として担保されているのだ。

“プリンセス願望”の復活と異性愛主義への対抗

こうして、日本発の「魔法少女」アニメは、西洋の魔女イメージを摂取して発展し、カワイさ、強さ、マザーリングというハイブリッドなファクターの表出によって、欧米とは異質な少女像を産出してきた。それが欧米に逆輸入されることによって、今度はセーラームーン型の少女ヒロインがヒントとなり、新しい魔法少女的作品が生み出されている。

2014年に10周年を迎えた「プリキュア」シリーズ11作目の『ハピネスチャージプリキュア!』。現在はシリーズ12作目『Go! プリンセスプリキュア』が放映中。©ABC・東映アニメーション

こうした「魔法少女」アニメは、どこに向かうのか。一つは、ノスタルジアであろう。『ハピネスチャージプリキュア!』などに見られるように、“プリンセス願望”が復活しているのは、少女はパワフルでカワイイだけでなく、特別で唯一のお姫さまであるべきという規範への、ノスタルジックな回帰なのかもしれない。

もう一つは、『魔法少女まどか☆マギカ』などに見られるように、異性愛主義から脱した女性同士の共闘を通じて、いわゆる「百合」(女性同士の友愛関係)という装置を利用することによって、規範に対抗するという方向であろう。そんな中(パロディやコメディの枠組みではあるが)、少年が「魔法少女」になるというアニメ作品も登場してきている。

このように、「魔法少女」アニメは、ジェンダーをめぐる日本の少女たちの闘争を研究するうってつけの場にもなっているのである。

(2015年1月5日 記/バナー写真=『リトルウィッチアカデミア』©Y.YOSHINARI/TRIGGER)

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