特集 沖縄を考える
「沖縄アイデンティティー」と沖縄住民の自己決定権

島袋 純【Profile】

[2015.07.10] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

沖縄の米軍辺野古基地建設を強行する安倍政権への対抗軸として打ち出された「沖縄アイデンティティー」とは何か。沖縄人の歴史認識、沖縄への「構造的差別」を踏まえて、社会的連帯を目指す動きを解説する。

「イデオロギーよりもアイデンティティー」で保革団結

沖縄の「アイデンティティー」ということがよく言われるようになったきっかけは、2014年の県知事選で翁長雄志(おなが・たけし)氏が、「イデオロギーよりもアイデンティティー」と訴えたことだ。保守系から共産党系まで沖縄のすべての政治勢力を結集して、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する対抗軸をつくろうという意思だった。

それまでも「沖縄のことは沖縄で決める」と主張する人たちはいたし、多くの国政選挙で衆議院議員、参議院議員の候補者たちが同様の主張はしていた。だが、そうは言っても自分の選挙母体、政治的な基盤を、保守系から共産党まで含めて幅広く求めて、その結集軸として沖縄アイデンティティーを用いるということはなかった。

1972年5月の沖縄復帰前後から、自民党は自民党沖縄県連、社会党は社会党沖縄県本部という形で系列化していき、沖縄でも本土と同様に保革の対決があり、それが政治の基盤だった。特に労使関係を中心とした対立軸と、基地賛成反対の対立軸とが重なり沖縄においてもいわゆる保革対立の政治が行われていた。しかし、辺野古移設の問題においては、2010年に保革が一致団結して反対を決め、自民党本部の切り崩しにあって自民党沖縄県連の大半は離脱するが、残った保守系と旧革新を結集する軸として沖縄アイデンティティーが打ち出されたことが大きな特徴だ。

国際慣習法の中で主権国家として認知されていた沖縄

その意図する沖縄アイデンティティーとは、沖縄の土地、海、資源に関して、沖縄の人々「ウチナーンチュ」が決定できる「自己決定権」を持つという主張と一体化している。
それが辺野古移設反対の大きな根拠になるとしている。

自己決定権とは主権的な権限であり、地方自治権よりもはるかに強い。そういった強い権限を持ち得るという論拠を立証すれば、日本政府と米国政府だけで沖縄の基地問題を決定することはできず、沖縄の意志が必ず尊重されなければならないということになる。沖縄の自己決定権を尊重した上で日本政府の決定を提案をしない限り、その提案は認められないという論理だ。

この主張の背景には琉球・沖縄の歴史がある。第1に重要な歴史的事実は、琉球王国の武力威嚇による強制併合であり、第2にポツダム宣言受諾とそれに続く戦後の米軍支配の歴史である。まず、1879年の「琉球併合」、つまり日本の武力による琉球の併合の前には、琉球は独立した王国として中国に冊封(さくほう)していた。中国の内藩ではなく独立した外国の関係であり、中国は沖縄の政治的な独立性を完全に認めた上で形式として臣下のかたちを取るというのが冊封体制の原型だ。

日本も足利義満の時代に日本国王として冊封を行っているが、琉球王国では500年にわたって冊封が続いていた。この冊封体制を維持することが薩摩藩のメリットでもあり、1609年の薩摩による侵略以降も琉球の内政に関して基本的に干渉しないというのが大原則だった。その中で琉球は1854年にアメリカと琉米修好条約を結んでいる。つまり、その当時の国際慣習法の中で琉球は主権国家のように扱われていたことになる。

その琉球を日本陸軍が首里城を包囲することによって、強制的に併合した。その後、琉球救国運動(または復国運動)、琉球士族の清に対する支援要請、あるいは各国の大使館に対する要請など、いろいろな抵抗があった。明治政府はその動きを徹底的に弾圧し、抵抗する士族たちは中国に亡命、あるいはその後ハワイに移住するというかたちで、最後まで抵抗していた琉球王国の旧支配層は解体し、沖縄では同化を受け入れざるを得ない状況となっていった。

「主権国家」的な存在として既に認知されていた琉球の強制併合は国際法上も正当化できないと同時に、琉球・沖縄の人々は自分らの意志で自己決定権を日本に移譲したことは一切ないというのが、現在の主張の根底にある。後で述べる「琉球民族独立学会」の結成の論拠もここにある。

スコットランドの「権利章典」にみる自己決定権の主張

わたしは長年自己決定権のモデルとしてスコットランドを研究している。一度統合された地域が主権を回復する権利があると自己決定権を主張し、その権利を平和的に獲得してきた先進事例だ。歴史的に独立主権国家だったことが明白なスコットランドは、スコットランド人民の自己決定権に関する確固たる信念が脈々としてある。

1689年、イングランドの名誉革命の際にスコットランドは「権利要求章典」(The Claim of Right)を発布、その中で、国王が守るべき自分たちの権利を定め、それを守る政府を作るべきことを宣言した。このような歴史的な経緯を踏まえ、1989年にスコットランド選出国会議員8割とほぼ全市町村の代表らが参加して会議体を設定し、スコットランド人民が、独自の政府を作る権力を有すると主張する同じ名称の権利の宣言文を発布した。その会議体はその後憲法制定会議として、スコットランドの新しい統治の構造、基本法の案を提案していく。

つまり、スコットランドはスコットランドの人民に主権があるという人民の自己決定権を主張し、その会議体が統治の基本法をつくった。その統治の基本法の原案が1997年総選挙におけるトニー・ブレア率いる労働党の選挙公約にほぼそのまま取り入れられた。政権を握ったブレアはこれを国会に提出、イギリス国会はスコットランド憲法制定会議で作られた原案をほぼそのまま承認した。

内的自決権という、内政について国の立法権、国会の法律と同じレベルの効力を持つ法の制定権を獲得したわけで、あとは外交、防衛、マクロ経済などの分野に関する権限を中央に残したが、すでにスコットランド人民の自己決定権を内外から承認され、高度な自治権を有している以上、独立するかしないかは大きな問題ではない。

沖縄でも2013年1月、41市町村の議長と首長、県議会の全会派の代表、および経済界、労働界の代表が署名した「建白書」を政府に手交した。スコットランドの権利要求章典は、そのやり方に近い。沖縄の要求は「普天間の即時閉鎖、オスプレイの配備撤回、県内移設断念」である。これを発展させていけばいいと考えている。

日本人としてのウチナーンチュのアイデンティティー

沖縄の自己決定権を追求していくといっても、「独立」を目指すという意見が現時点で多数派となっているわけではない。翁長知事を初めとする現在の沖縄の主流派は、やはり日本人としてのアイデンティティーも併存して持ち、日本社会全体に対する期待とその一員としての貢献を前提としながら辺野古反対の闘いをしている。

かつて「沖縄学の父」と言われた伊波普猷(いは・ふゆう、1876~1947)は、沖縄の住民、文化は日本民族、日本文化と同根である主張した。沖縄に奈良時代あるいはそれ以前の古い言葉、慣習、風習が残っているという見方、つまり沖縄の日本本土とは違う独自の文化を日本文化の古層に結び付けることによって、日本の枠の中で沖縄の固有性や独自性を正当化した。

日本への同化を受け入れつつ、同時に伊波は、ウチナーンチュのアイデンティティーも一緒に確立しようとした。沖縄の特徴ある文化、言語をうまく残しながら日本の枠の中に収めていくというアプローチである。沖縄の研究者、知識人には伊波普猷の影響が非常に強かった。現在でもこの考えは最も有力といってもよい。

だが、戦後の沖縄に対して、日本とは違う取り扱い、いわゆる「構造的差別」の問題が明らかになった。1945年、本土防衛の捨て石とされた沖縄戦以降、その後も日本はいろいろな局面で沖縄を「切り捨て」ていく。現在の、自己決定権を持つウチナーンチュであるというアイデンティティーは、この切り捨てによって失われた人権と自治権の回復と闘争史である沖縄戦後の歩みに基づく。

米軍基地恒久化を確定させた「天皇メッセージ」

1945年3月に沖縄に上陸した米海軍は、「ニミッツ布告(※1)」発布で、住民に対して日本の行政権が停止されたことを通告、4月5日には、読谷村比謝に軍政府を設立した。沖縄戦の死闘は3カ月以上も続く。

敗戦後の1946年、47年と始動し始めた沖縄の政党はすべて独立論を唱えていた。かりに沖縄が日本人とは異なる集団だとすれば、自己決定権を持つものとなり、沖縄人自身が自分たちの主権回復を要求できることとなる。沖縄の基地の恒久化を望む米国にとっては非常に困る事態だった。

ところが1947年9月に昭和天皇が米側にメッセージ(※2)を送り、沖縄の主権は、日本にあるとしつつも「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に「長期租借」する方針を示した。これは米国にとって渡りに船であり、1952年サンフランシスコ講和条約の第3条(※3)によって、沖縄の主権をもつとされた日本が認めた形で米国による沖縄の分離支配が確定する。

沖縄の自己決定権を認めずに、日米政府が沖縄の処遇を決めていくシステムは日本の戦前から続く基本的な政治構造に根ざしており、これを打破するには独立しかない、というのが琉球民族独立学会に代表される独立論者の主張だ。特徴的なのは、先住民族の権利回復運動こそが学会の存立基盤であり、自己決定権を持つ権利主体と会員資格を一致させていること、つまり、独立の権利主体である先住民族としての琉球王国時代の琉球民族の血統に限定されるという点と、言語、文化の継承が侵害されているという大きな危機意識だ。沖縄の文化を継承し、発展させる自由と、教育の自由が奪われているということだ。学習指導要領にそって沖縄でも東京と全く同じ教育をしている。琉球史、琉球語を通常の正規の教科カリキュラムにおいて教えることはない。それ自体が人権侵害といえるわけである。

沖縄に対する人権侵害を世界に訴える運動

一方、今、私が関わっている「島ぐるみ会議」(「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」)は、国際立憲主義に基づき、普遍的な価値、普遍的な論理で世界中の人々に連帯と参加を呼びかけるという姿勢だ。国連では先住民族権利宣言がなされており、日本政府に対して沖縄への先住民族としての権利保障に取り組むよう意見や勧告が出されている。その中で言明された自己決定権についても重視する取り組みや運動を行うが、自己決定権の権利主体として「先住民族」に運動への参加や会員資格を限定することはない。

世界に通じる普遍的な価値で一番重要なのは、すなわち人権であり、世界人権宣言、国際人権法、自由権規約、社会権規約、人種差別撤廃条約など日本が批准する国際的な規範だ。

既に国連の人種差別撤廃委員会は2010年沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別」と認定した。国連の人権理事会の特別報告や自由権規約委員会の意見などでも沖縄への人権侵害の認識は共有されている。この事実を最大に活かすことによって、沖縄の人々の訴えに対する共感者を世界レベルで増やすことを目指している。

人種差別撤廃委員会は、さらに2014年8月には沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告する「最終見解」を発表した。重要な点は、沖縄の人々の政治的な地位の自由であり、それが結果として「独立」、国内の自治州、沖縄県のいずれでもかまわないが、ただ、自分たちの自由な意志でその政治的地位を決める権限を持つということである。

「沖縄振興計画」は経済発展の自由に対する侵害

国際人権規約第1条は、政治的地位の自由、経済発展の自由、文化、社会的な発展の自由を記している。特に近年沖縄では、経済発展の自由に対する侵害がよく論議される。日本政府は「沖縄振興計画」の策定権限を持ち、沖縄に配慮してきたというが、本来は地域の言語、文化、自然への配慮、沖縄の人々のニーズに見合った経済発展であるべきだ。

しかも、90年代後半以降、基地の見返りとしてのつかみ金のような振興策事業、いわばばらまきのアメ、というような補助の与え方に対して、沖縄経済界から批判が出てきた。2014年の知事選で土木建設業を含めて多くの企業が翁長陣営に付いたのは、現在のシステムが沖縄の経済的な自立性の阻害要因であり、経済的効果がないだけではなく、沖縄の経済的な発展の自由の権利を侵害しているという認識を共有したからだ。

今、沖縄に基地を押し付けることを始めとして、沖縄が「構造的差別」を受けているという意識が、以前と比べて明らかに強くなっている。

構造的差別の端的な例は、沖縄復帰時の1972年5月に施行された「沖縄における公用地暫定使用法」である。米軍が強奪して建設した土地に対して、その正当性を全く問わずに、公用地として強制使用するための法律だった。憲法95条は、特定の地方公共団体にだけ適用される特別法は、住民投票による住民の同意を得なければ制定できない、と定めている。本来は72年の施行以前に住民投票を行うべきだった。

「島ぐるみ闘争」以来の社会的連帯をアイデンティティーに

さかのぼれば、1950年代半ばの米軍基地をめぐる土地闘争「島ぐるみ闘争」以来、沖縄の人々は土地を取り上げられる痛み、人権侵害を日本全体で共有してくれるだろうと願ったが空しく、1972年の復帰の際も痛みの共有どころか、人権侵害を合法化する「公用地暫定使用法」を制定した。その後、1995年米兵による少女暴行事件などを経て、沖縄に対する構造的な差別が可視化され強く意識されるようになった。

現在では、沖縄の保守、経済界の側ですら、構造的差別を日本政府が強制し、基地利益があるから甘受せよという姿勢を崩さず、それに対して日本国民の全体の世論もメディアも、ほぼ政府の言っていることと同じような感覚しか持っていないことに対するいらだちを募らせている。

この構造的差別と対決するために、沖縄の島ぐるみ闘争以来の歴史をもう一度学び直し、人権の闘争、自治権の闘争であることを明確にしてこれを継承していく。それをするのがウチナーンチュとしてのアイデンティティーの確立にもなっていく。

戦後の苦難の歴史で共有されたもの

つまり、今、沖縄で共有され強く主張されているアイデンティティーとは、琉球王国に直接由来するというよりも、戦後の苦難の歴史の共有に基づくものといえるであろう。米軍による分割統治・分断統治が徹底していた1950年代、土地権や人権を守るための島ぐるみ闘争により社会全体で共闘していく基盤を作り、60年代のキャラウェイ高等弁務官(※4)との自治権闘争などを経て、沖縄全体で理不尽な抑圧や侵害に対抗しながら自分たちが結びつき築き上げてきた社会的連帯に基づくものだといえる。

現在の日本の政治とメディアの主流は、在沖海兵隊が中国軍と戦う可能性が皆無であるにもかかわらず、恒久的な海兵隊基地を沖縄に置くのは軍事地理的に必然性があるという思考停止と、基地経済および基地ゆえの財政移転による大きな利益享受を理由として基地を甘受することが当然という差別的な論調にある。それは、米軍基地建設や維持のための不正義と抑圧に対して立ち上がり連帯し闘い続けてきた戦後沖縄の歴史と社会の抹殺であり、沖縄の人々の尊厳とアイデンティティ―の否定である。日本の政治とメディアによる新たな沖縄への拒絶と分離の意志を示すものと受け取られる。

(2015年6月30日 記)

タイトル写真=2014年2月沖縄県・首里城を訪れたキャロライン・ケネディ駐日米大使(左から2人目)/ 時事

(※1)^ 沖縄侵攻の総指揮を執った米海軍太平洋艦隊司令長官兼太平洋方面総司令官、ニミッツ元帥が出した沖縄占領統治の基本法令。

(※2)^ 1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内府御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ。メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしている。

(※3)^ 「日本国は,北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。),孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島,西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」

(※4)^ 復帰前の沖縄の最高責任者である3代目高等弁務官・ポール・キャラウェイ氏。1961~64年在任。強権的な政策を進め、沖縄の自治権を「神話だ」と評した発言が住民の反発を増大させた。

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  • [2015.07.10]

琉球大学教授。1961年那覇市生まれ。専門は地方自治論、行政学。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程終了、政治学博士。1993年4月琉球大学教育学部政治学助教授、2007年4月より教授。2002年自治体職員や市民らと沖縄自治研究会を設立。著書に『「沖縄振興体制」を問う』(法律文化社、2013年)等。

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