特集 東日本大震災から5年
廃炉完了に100年想定も
事故から5年:福島第1原発の現状

高橋 秀樹【Profile】

[2016.03.07] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

チェルノブイリ原発事故と並び、史上最悪の原子力災害となった東京電力福島第1原発事故から5年が経過した。廃炉作業の続く原発構内には汚染水を保管する巨大なタンクが林立し、1日約7000人の作業員が働く。

政府・東電の工程表では廃炉完了まで事故から最長40年としているが、1、2、3号機の原子炉内で溶けた燃料はまだその所在すら正確に把握できておらず「廃炉完了までには100年単位の時間が必要」と指摘する専門家もいる。廃炉工程で最難関となる溶融燃料の取り出しに向け、国内外の英知を集めた調査、研究が進む。

東京電力福島第1原子力発電所の全景=2015年2月撮影(筆者提供)

汚染水との闘いだった5年間

第1原発に足を踏み入れると円筒形のタンク群が目に飛び込んでくる。構内にあるタンクは約1100基、保管されている汚染水は約80万トンに上る。事故からの5年間は、この汚染水との闘いに費やされたといっても言い過ぎではない。おびただしい数のタンクは、これまで増加する一方だった汚染水への対応がいかに大変なものであったかを物語っている。

福島第1原発を西側から見る。敷地を埋めるタンクの向こうに原子炉建屋が見える

とりわけ高濃度の汚染水増加をどう抑制するのかが大きな課題だ。1~4号機の建屋には地下水が流れ込み、既にある汚染水と混ざることで新たな汚染水となる。東電は複数の対策を組み合わせることで、2020年には流入量をほぼゼロにしたい考えだ。

対策の中で、比較的順調に機能しているのが、建屋に流入する前の地下水を建屋の山側(西側)に掘った井戸でくみ上げ海に放出する「地下水バイパス」と、建屋周辺にある井戸で地下水をくみ上げ海洋放出する「サブドレン」だ。この2つの対策でこれまで海に放出した量は計約23万トンに上っている。それでも建屋地下には1日約150トンの地下水が流れ込んでいる。

一方で汚染水対策が新たな問題を生んでいるケースもある。土壌から汚染された地下水が海に染み出すのを防ぐため、東電は護岸沿いに長さ約30メートルの鋼管を総延長780メートルにわたって打ち込んだ「海側遮水壁」を2015年10月に完成させた。しかし、この影響で護岸付近の地下水位が上昇したため、東電は地下水をくみ上げて建屋地下に移送せざるを得なくなった。移送量は1日最大550トンにも上り、汚染水対策がかえって汚染水を増やすという皮肉な結果を生んでいる。この問題の解決策となりそうなのが凍土遮水壁だ。1~4号機の建屋の周囲約1.5キロの地盤を凍らせて地下水の流れを遮断する。まず凍土壁の海側部分が凍れば、護岸へと流れていく地下水の量が減り、くみ上げて移送している量も減少するだろう。既に設備は完成している。全面的に凍結が完了するには8カ月程度掛かる見通しだ。

汚染水の問題をめぐっては、安倍晋三首相が2013年9月、国際オリンピック委員会(IOC)総会での東京五輪招致にあたり「状況はコントロールされている」と断言。当時は地上タンクから高濃度汚染水約300トンの漏えいが発覚した直後で、首相の発言とはほど遠い状況だったが、事故5年でようやく不測の事態が起きない程度にまではリスクが低減、ようやく発言通りに、ある程度はコントロールできている状態になった。

改善した作業環境

構内の空間放射線量もこの5年でだいぶ低下した。東電は敷地境界での年間追加被ばく線量を3月末時点で1ミリシーベルト未満に減らせると見込んでいる。かつてはがれきや地上タンク内の高濃度汚染水から出る放射線で、敷地境界の線量が年間10ミリシーベルトを超えていたことを考えれば大きく改善した点と言えるだろう。

東電は構内の放射線量を抑制するため、第1原発の敷地(約350万平方メートル)のうち145万平方メートルの舗装を進め、既に84%の作業を終えた。また地上タンクに保管する汚染水のほとんどを多核種除去設備(ALPS)などで一度処理し終えた。構内の線量低下はこうした対策の効果だ。

空間線量の低下で労働環境も改善した。空間線量が毎時100マイクロシーベルトを超える場所もある1~4号機の原子炉建屋周辺を除けば、ほとんどのエリアで全面マスクを着けずに済む。原子炉建屋から遠い敷地西側では、使い捨ての医療用マスクと作業着だけで屋外を歩ける状態になった。筆者が取材に訪れた日、この辺りの路上にたまたま野生のキツネが現れた。時々、現れることがあるのか、作業員たちはキツネをにこやかに見ながら通り過ぎる。キツネも慣れているようで逃げようとしない。やや場違いともいえるなごやかな雰囲気からは、作業現場のストレスが軽減されていることが感じられる。

原発敷地内に現れたキツネ。人に慣れているようで逃げようとしない

2015年6月には食堂や休憩スペースを備えた9階建ての大型休憩所が敷地西側の正門近くに完成。2階の食堂では原発敷地外の給食センターから運ばれた温かい食事が提供される。定食や麺類、丼物などはどれも1食380円。仲間と食事する作業員たちの顔が自然にほころぶ。3月1日には休憩所内にコンビニエンスストアも開店した。事故発生当初、作業員1人に配られる1日の食事といえば、少量のクラッカーとミネラルウオーターのペットボトル1本だけだった。

廃炉・汚染水対策の責任と意思決定の迅速化を目指して2014年4月に設立された福島第1廃炉推進カンパニーの増田尚宏最高責任者は「普通の現場に近づけることが重要」と話す。今や、故意に高線量の現場に足を踏み入れでもしない限り、命に関わるという状況は第1原発構内には存在しない。

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  • [2016.03.07]

共同通信社原子力報道室次長。1964年生まれ。東京都出身。共同通信記者として札幌支社、さいたま支局、本社編集局社会部などに勤務。2011年3月の東日本大震災以降、福島第1原発事故の現場や関係者への取材を続けている。12年5月より現職。編著書に『全電源喪失の記憶 証言・福島第1原発―1000日の真実』(2015年、祥伝社)

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