「誠実な仲介者として」マルッティ・アハティサーリ元フィンランド大統領

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元フィンランド大統領で2008年にノーベル平和賞を受賞したマルッティ・アハティサーリ氏が2011年11月に来日した。宮城県の被災地を訪問した元大統領に同行し、世界的な和平調停者が考える「日本が国際社会で果たすべき役割」を聞いた。

マルッティ・アハティサーリ Martti Ahtisaari

1937年生まれ。フィンランド外務省で国際開発協力担当外務事務次官などを歴任。1977年、在ナミビア国連事務総長特別代表として独立に向けて尽力。1994~2000年フィンランド大統領。退任後、アイルランド、インドネシア、コソボで紛争解決に従事し、2008年ノーベル平和賞受賞。現在、NGO「危機管理イニシアチブ」所長兼会長。

「和平調停人は誠実な仲介者でなければならないと考えています。交渉の当事者が私のことを、何者で、何を代表し、どこまで許容できるのかを理解していることが重要です。それがあって初めて、紛争当事者たちと真摯に、また、率直に協力できるのです」

ノーベル平和賞受賞者(2008年)で元フィンランド大統領のマルッティ・アハティサーリ氏は2011年11月、笹川平和財団の招待で来日。都内で和平調停に関する講演や、日本の専門家、研究家向けの講義などのスケジュールを精力的にこなし、東日本大震災による津波の被害の状況を自らの目で見たいと被災地にも足を延ばした。

調停人の役割

11月24日の講演会で「(国際紛争の)解決はつねに可能」と述べた元大統領に対して、参加者から「紛争当事者が実現不可能な要求を持ち出したときはどうするのか」との質問があった。

「誠実な仲介者として、調停人は何が妥当で、何が妥当でないかを判断しなければなりません。例えば、私がアチェ紛争の仲介に当たった際、インドネシア政府は自由アチェ運動(GAM)に武装解除を求めました。GAMはこれを受け入れる見返りに、国軍が警察活動の役割を放棄し、防衛に徹することを要求しました。私たちは、アチェではどれぐらいの兵員が許容されるかについて交渉しました。私はGAMの主張を支持する一方で、国軍の任務を防衛機能に限定するのなら、アチェに駐留する兵員の数は軍の判断に委ねるべきだと述べました。また、地元政党を容認するように主張し、インドネシア政府側はこれを受け入れました。こうした提案も調停人の仕事です」

元大統領はまた、調停人は積極的な役割を果たすが、一方、場合によっては感謝されないこともあると述べた。

「調停人が『スケープゴート』にされ、不人気な決定の責任を負わされる場合もあります。調停人はできるだけ裏方に回り、たとえ紛争当事者がさほど努力した結果でなくても、合意が得られたときには彼らが全面的に賞賛されるようにする方が、和平プロセスを進める上ではプラスになります」

講演では、和平調停交渉は必ずしも持続的な和平実現を意味しないという指摘もあった。

「和平調停交渉はひとつのステップにすぎず、始まりでしかありません。しかし、スタート地点として紛争当事者が平和な社会に向けて歩み出すために、必要な要素を提供することはできます」と元大統領。

日本は何ができるか

参加者からは、国際紛争の解決に向けて日本の果たすべき役割についても質問があった。

「最初の和平合意を足掛かりに、長期にわたって平和な社会を再構築していくための土台作りを通じて、日本は重要な役割を果たしています。和平調停人はすべてを解決できるわけではありません。平和な社会の実現には、将来の発展に向けた枠組み作りがカギとなりますが、日本はこの分野への支援を行ってきました」

大統領は、日本の支援の中で賞賛できる例として、南スーダンにおける取り組みを挙げた。

「将来の社会発展に向けた枠組み作りという面で、インフラと物流分野への取り組みほど重要なものはありません。南スーダンでの日本の取り組みは、極めて重要だと思います。私はもともと開発協力分野で仕事をするために外務省に入りました。インフラを機能させなければ生活が元には戻らない。生活が復旧できないことが悲惨であるとことを私は熟知しています。日本では和平調停への参加機運が高まっており、今回の来日も、協力関係を深める方法を模索するためです」

国際社会における日本の役割が低下しているという指摘もあるが、元大統領は日本の取り組みを評価しているという。

「世界中の多くのパートナーと協力することは、国際社会で必要とされる活動を始めるのに役立ちます。それぞれの地域で専門分野を持つ人々と構築したネットワークは、世界中のすべての人のためになります。日本はネットワーク作りの懸け橋となるべきです」

「一人の日本人として何ができるのか」という若者からの質問にも元大統領は丁寧に答えている。

「必要なスキルを持っているのなら、それを活用できる組織に加わるのがいいでしょう。特に、情報技術とソーシャルネットワーキング・サイトは『アラブの春』を始め最近の世界的な動きで極めて重要な役割を果たしており、これらのスキルを身に付けると良いかもしれません。また、旅行の機会は大いに活用すべきです。旅は世界の物事を見る目を養い、外国語を学ぶ最良の機会です。思い込みではなく事実に基づいた意見を表明できるようになるには読書も大切です。私が運営するNGO『危機管理イニシアチブ(CMI)』のメンバーも、20カ国以上の出身です。若者にとって国際性は重要だと思います」

被災地への旅

アハティサーリ元大統領は11月26日、東京での日程を終えて東北新幹線で宮城県に向かった。目的地の七ヶ浜町は、仙台市に隣接する海岸沿いの町で、震災による大津波で甚大な被害を受けた。元大統領は到着すると、渡邊善夫町長や、町の職員から被害と復興の状況について説明を受けた。

元大統領は、2004年のスマトラ島沖地震の際に、大津波の災害対策に当たった経験がある。アチェ自治州の被害は深刻で、元大統領の和平調停の取り組みにも影響を与えたという。

「地震が起きたのは、私が調停に当たることになっていた、インドネシア政府とGAMの交渉を開始されると伝えられた1週間後でした。当時、GAMは亡命政府をスウェーデンの首都ストックホルムに置いていましたが、亡命政府は早急に対応策を見出す必要に迫られました。フィンランドでの協議で和平が実現できなければ、自分の親戚や友人を救えないことが分かっていたからです。多くの方が亡くなった悲惨な津波被害によって、紛争解決の緊急性が認識されました。津波がなければ、その後半年で和平が実現することはなかったでしょう」

スマトラ島沖地震と津波被害の後、フィンランド政府は元大統領に被災したフィンランド国民の窮状、特にタイのプーケット島でバカンス中に命を落とした約100人について、調査団を率いての現地調査を行うように要請した。

「私たちは、その場で亡くなった人には、それ以上できることはなかったと結論づけました。しかし、何もできることはなかったということをきちんと伝えることは重要でした。また、生存者への医療についての調査、被災者のフィンランド帰国後の長期的支援についての調査を行いました」

日本で発生した東日本大震災についての報道を見た元大統領は、2004年当時のことを思い出したという。

「私はどうしても、ここに来てみなさんを元気づけたかった。『Never give up!』と掲げた人を見てうれしく思いました。日本は、この災害から立ち直ることができると確信しています。過去にも津波など多くの自然被害を経験してきた日本は、他国への災害支援の提供について多くの国々よりも優れています。アチェでも日本は第一陣として到着し、極めて優れた救援活動を行いました。迅速でプロフェッショナルな仕事ぶりでした」

人々との触れ合い

七ヶ浜町では、元大統領は渡邊町長に詳細な被災状況について質問した。津波により、町の約30%が浸水し、約1000戸が破壊され、町長自身も家を失ったという。今後は、がれきの処理に110億円の費用が予想されているほか、長期的な問題として町の農地の塩害が深刻で、人口減少が進んでいるなど、多くの問題について説明を受けた。

七ヶ浜町役場で、町長らの説明に耳を傾けるアハティサーリ氏

その後、町長の案内で被害状況を視察した元大統領は、かつて人々が暮らした住居があったことを示すコンクリートの土台だけが残っている光景を目にして、言葉を失った。ようやく笑顔が戻ったのは、ボランティア・センターと仮設住宅を訪問したとき。町の復興に汗を流す住民を助けるため、全国から集まったボランティアに感謝の言葉を述べ、仮設住宅で遊ぶ子どもたちや、それを見守る老人たちにも積極的に話しかけていた。

取材・文=ピーター・ダーフィー(一般財団法人ニッポンドットコム理事 原文英語)
撮影=大久保恵三

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