「国籍や人種、宗教さえも関係ない!」大相撲力士・大砂嵐金太郎
エジプトから“お相撲さん”がやってきた
[2012.11.28] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية |

「絶対に横綱になる! 最後まであきらめない」そんな信念を胸に、アフリカ・中東地域から初の大相撲力士となった大砂嵐。宗教による違いも乗り越え、慣れない異国の地で奮闘するエジプト人力士の素顔に迫った。

大砂嵐 金太郎

大砂嵐 金太郎‏ŌSUNAARASHI Kintar‏ō大相撲力士。1992年エジプト・マンスーラ市に生まれる。14歳のときに相撲を始め、2008年エジプト相撲大会で優勝。エストニアで開催された世界ジュニア相撲選手権大会では個人で銅メダル、団体でも銀メダルを獲得。2011年大嶽部屋に所属し、2012年3月場所で初土俵を踏んだ。通算成績は、24勝3敗1休、最高位は東三段目20枚目(2012年11月場所終了時点、2013年正月場所で幕下昇進)。

力だけでは勝てないのが相撲の魅力

——エジプトで相撲はどのくらい知られていますか?

「全然、知られていません。柔道は有名です。ロサンゼルス五輪大会で山下選手とエジプトのラシュワンさんが決勝を闘ったこと(※1)はみんな知っていますが、相撲は見たことも聞いたこともない人がほとんどです」

——そんなエジプトにいて、相撲に興味を持ったのはなぜですか?

「通っていたボディービルのジムで、『相撲は日本でとても人気のある格闘技。君は体がしっかりしているから相撲に向いているよ』と誘われたんです。最初のトレーニングがジムで一番細い人との試合。その人の体重は75キロ、私は120キロだったので、『簡単に勝てる、片手でも勝てる!』と思っていたら、2秒もしないうちに負けてしまった。5回やって5回とも負けたんです。監督からは、『相撲は力だけじゃなく、技術が大切なんだ。分かったか』と言われてしまった。悔しいと同時に、そんな相撲に魅力を感じました。

家に帰り、インターネットで調べたら、相撲にはプロの世界があった。そして、力士は24時間、人生のすべてを相撲に費やしている……。すぐに思ったんです、この世界に入りたいと。翌日、ジムに行き、『日本へ行きたい、プロの世界に入りたい』と監督に申し出たんですが、『まだ何にも知らないのに日本に行きたいなんておかしい。プロなんて無理だ』と言われました。

それでも、相撲のことで頭がいっぱいで、インターネットを見ながら、毎日、見様見真似で練習しました。レベルを高めれば、いつか日本に行くチャンスが来ると信じていたんです」

宗教(イスラム)は障害にならない

——日本でプロの力士になるのが夢になったんですね。実現までどんな苦労がありましたか?

大嶽部屋の稽古は早朝7時半から始まる。

「練習を始めてから1ヵ月ほどで相撲のエジプト全国大会があり、準優勝。翌年には優勝できた!これが私のデビューだったと思っています。2008年にエストニアで開催された世界大会に出場したときは個人で3位、チームとしても日本に次いで2位になりました。ただ、喜びよりも悔しさの方が大きかった。エジプト・チームはレベルが高く、体格も大きかったのに、なんで日本に勝てなかったのか。彼らが私たちよりも練習していることを痛感しました。その後も、世界大会でメダルを獲得しましたが、負けるのはいつも日本人。自分ひとりの練習には限界があったんです。

何とか日本に行けないかと相撲のチャットに参加して『自分はエジプトのお相撲さんで、プロの世界に入りたい』とコメントしたこともありましたが、返ってくるのは『アラブ人に相撲が取れるのか』とか『イスラム教徒が相撲をする資格はない』とか馬鹿にするようなコメントばかり。

でも、あるとき、ヨーロッパ相撲協会の人が『もし、あなたが真剣に考えているならヘルプできますよ』とコメントしてくれたんです。ただ、『先輩、後輩の関係が厳しく、後輩は先輩の世話をしなければいけない。相撲部屋に入ったら集団生活になるので、プライバシーもなくなります。宗教的に困ることもあるでしょう』とも言われました。

どうやら、ヨーロッパにいるアラブの人たちが相撲協会の方にアドバイスするようお願いしてくれたのです。『どんなことがあったとしても夢を実現したい。宗教も個人的なものなので障害になることなんてない。すぐにでも日本に行きたい』とヨーロッパ協会の方に強く訴えました。

『では、エジプトで具体的な話をしましょう』ということになり、2011年1月26日、エジプト革命の翌日にもかかわらず、エジプトまで来てくれたんです。迎えに行くと、まず家族に会いたいと言われました。ただ、デモの最中だったので、空港から40キロ離れた私の家まで連れて行くのに、銃で撃たれそうになったり、催涙弾や石を投げられたりで、45分で行けるところ3時間もかかりました」

——実際に来日したのはいつですか?

「日本に着いたのが2011年9月。入る部屋の段取りができていると思っていたんですが、私を紹介する手紙にはほとんど返事が来なかったそうです。だから、いろんな部屋に挨拶に行き、練習に参加するというのを繰り返しました。大嶽部屋はスケジュールの7番目。親方に認められたときはうれしくて泣きました。夢を実現するための一歩をようやく踏み出すことができたんだから。

いったん、エジプトに戻り、家族に報告したら、『あなたは大きくなったら、必ず有名な人になると信じていた』と言ってくれて……。両親は小さい頃から私のことを信じてくれていた。日本行きが実現できたのは、両親からのサポートも大きかったんです」

2人で幾度も相撲を取る「三番稽古」。大砂嵐に親方からの檄(げき)がとんだ。

自分へのプレッシャーと期待が原動力

——アフリカ・中東出身の最初の力士として、プレッシャーを感じますか。

「もちろん、私しかいませんからすごいプレッシャーを感じています。同時に、アフリカと中東全体の代表として注目されていることが、頑張らなければという原動力にもなっている。世界中の人に、相撲って何なのか、もっと知ってもらいたいと思っています。それに、中東地域の人は問題を起こす人と誤解されていますが、どんな業界に入ってもきちんとやっていけることを示したい」

——デビュー以来24勝3敗1休(2012年11月場所終了時点)と素晴らしい成績。力士としての手応えは感じていますか?

「私にとって重要なのは何回勝ったかではなくて、何回負けたかなんです。『なんで負けたのだろう』と、いつも自分に問いかけています。負けたときこそ反省して、次に負けないようにしなければいけない」

——練習中に、親方から「負けたのは悔しいか」って言われていましたね。

「今のままでは、いつか勝てなくなるぞ!」大嶽親方の言葉は厳しく、そして温かい。

「いつも怒られています。アフリカ、中東地域の代表としてもっと頑張らなくてはいけないと思っています」

——力士として、ずっとやっていく自信はありますか?

「とにかく横綱になるまで頑張らないと。1回も辞めようと思ったことはないけど、『疲れた』とか『しんどい』とか思ったことは何度もあります(笑)」

——相撲部屋特有の上下関係はどう感じていますか?

「すごいショックでした。エジプトではチャンピオンだったので王様のようでしたが、ここでは奴隷のようにみんなに使われている(笑)。でも夢を実現するためには我慢しないと駄目です」

力士として、人間としての大砂嵐が評価される日まで

——ラマダンはどうですか? 食事はもちろん、水分も取れない中、厳しい練習を続けるのはつらくないですか?

「ラマダンのときは名古屋場所でしたが、ラマダンより湿気がつらかったです。今まで体験したことがないほど蒸し暑く、病気になってしまいました。最初は風邪かと思ったのですが、熱が40度まで上がってしまい、足まで痛くなり、病院に行ったら、蜂窩織炎(ほうかしきえん)(※2)だと診断されました。トイレにも一人では行けないほどの痛みで、結局、手術。痛み止めの注射は相撲に影響すると思い、我慢しましたが、気絶するほどの痛さでした。名古屋場所には間に合わず、初日は休場。テレビで見ていて、『大砂嵐、休場』と言われたときは悔しくて涙が出ました。お医者さんに『親方に連絡してください。絶対、試合に出たい』と直訴して、病院から会場に向かいました。残り5番、すべて勝ててよかったです。最後の3日はラマダンでしたが、その影響はなかったと思います」

——ちゃんことか、日本の食事はどうですか? 梅干しとか納豆とか、日本にしかない食事もありますよね。

大嶽部屋のちゃんこは元力士の友鵬さんが中心となって作る。

大鵬親方から受け継いだちゃんこ鍋は鶏ガラから出汁をとる本格的なもの。

ちゃんことは力士の作る手料理の総称。大砂嵐は鶏肉の入ったちゃんこ鍋がお気に入り。

「豚が入ってなければ大丈夫。親方や食事を作ってくれる人たちに宗教の話がきちんと伝わっていて、豚を抜いた食事を用意してくれるので安心です。梅干しは、まだ食べてないですが、納豆は正直、気持ちが悪い(笑)」

——親方から、「日本語を覚えろ」と言われていましたが、難しいですか?

「日本語をまだちゃんと話せなくて困っています。第2外国語として英語は話せるけど、3つ目は難しい。でも、日本語の勉強も大切なので頑張ります。休みのときに勉強すればいいんですが、インターネットとかゲームとか誘惑が多くて(笑)」

力士であることに誇りを感じる

——浴衣を着て街中を歩くのは恥ずかしくないですか?

後援会の人との交流も力士にとっては大切。

「逆に自分は自慢しています。『お相撲さんだ、かっこいい』と思ってもらっているんですから。世界中に私のファンだと言ってくれる人が増えています。今まで相撲のことを知らなかったけど、関心を持ったという人もいます。だから、自分が力士であることに誇りを持ちながら浴衣を着て歩いているんです」

——日本のどんなところが良いと感じていますか? 反対に悪いところはありますか?

「日本は組織がすごくしっかりしていて、みんなシスマティックに動いています。決まり事もきちんとしていて、中途半端に終わらせることがない。中東の人はどちらかと言えば飽きっぽくて、途中で止めてしまうことも少なくない。だから、日本人の良さを知ってほしいと思います。自分の夢が実現するまで、飽きることなく、最後まで頑張ってほしい。

ただ、決まり事が多すぎて、大変なときもあります(笑)。相撲部屋に関して言えば、外出できるのが月に1回ぐらいしかなく、あまり開放的ではないですね。

渋谷とかに行くとヘンなところだと思います。見慣れない髪型やファッションをしている人が多く、マンガの世界にいる気がしてしまう。私のいた世界では、髪を染める男性はホモセクシャルの場合が多いので、誤解してしまいました(笑)」

——力士として目標は何ですか?

大嶽部屋を創設したのは昭和の大横綱・大鵬。部屋には大鵬の絵が飾られている。

「国籍や宗教、人種も関係なく、相撲の実力で評価されるようになりたい。だから、横綱になりたいんです。ファンにしても、中東から来たとか、イスラム教徒だからというのではなく、私の相撲や性格を見て、大砂嵐のファンになったという人が増えてくれるとうれしいですね。相撲に限らず、人と人との関係に国籍とか宗教とか肌の色とか関係ありません。私が頑張ることで、そんな違いを超えた交流を中東の人と日本人の間でできるきっかけになればと思っています」

(※1)^ 引退まで203連勝を記録し、外国人選手には無敗という大記録を打ち立てた日本でも有数の柔道家・山下 泰裕が唯一出場した五輪大会が1984年のロサンゼルス大会だった。2回戦で軸足の右ふくらはぎを負傷した山下だが、決勝まで進出。対戦相手となったエジプトのモハメド・ラシュワンは強気の攻めに徹するものの、負傷した足を攻めず、山下が横四方固めで勝利した。試合後、ラシュワンのフェアプレイ精神は高く評価された。

(※2)^ 蜂窩織炎とは、皮膚の深い層から皮下脂肪組織にかけて細菌感染することによって発症する化膿性炎症。怪我や風邪による細菌感染などが原因となり、特に下肢に発症しやすく、広い範囲が赤く腫れ、痛みをともなう。発熱、頭痛、関節痛などをともなうこともある。

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