「文字の美しさを極限まで追求した芸術です」アラビア書道家・本田孝一
[2013.01.18] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 | FRANÇAIS | ESPAÑOL | العربية | Русский |

神の言葉である『コーラン』を美しく書くために1000年以上もの時間をかけて磨かれてきたアラビア書道。ピカソもその美を愛した、世界でも例のない文字芸術に挑んだ日本人がいる。本田孝一、イスラム世界でも認められた日本人書家はアラビア書道で何を伝えようとしているのか。

本田 孝一

本田 孝一HONDA Kōichiアラビア書道家。日本アラビア書道協会会長。大東文化大学国際関係学部教授。1946年神奈川県生まれ。東京外国語大学アラビア語学科卒業。1974年、パシフィック航業に入社。約5年間の中東滞在中に、現地のアラビア書道家により手ほどきを受ける。帰国後、アラビア書道を独習。‬国際アラビア書道コンテスト審査員奨励賞をはじめ、数々の賞を受ける。2000年、トルコのハッサン・チェレビー師より書道印可(イジャーザ)を授与される。主な著書に『パスポート初級アラビア語辞典』(共著、白水社)、『アラビア語の入門』(白水社)、『アラビア文字を書いてみよう読んでみよう』(共著、白水社)。作品集に『アラビア書道の宇宙』(白水社)がある。

そそり立つ青いピラミッド。周辺からは炎のような白いオーラが沸きたち、天まで伸びている。ピラミッドに描かれた美しい文様、よく見ればアラビア文字だ。底辺の右側から上に向かって『コーラン』の章句が書かれ、頂点には「神=アッラー」の文字。「祈りのピラミッド」と名付けられたこの作品は日本人アラビア書道家・本田孝一氏によるものだ。同氏の作品は大英博物館にも所蔵されるなど、イスラム世界はもちろん世界的にも高い評価を受けている。アラビア書道に革命をもたらしたとも言われる本田氏は、なぜアラビア書道に魅せられたのだろうか。

アラビア書道ほど美学的に完成された文字はない

——アラビア書道と出会ったのはいつ頃のことですか?

「サウジアラジアをはじめとする中東地域で通訳の仕事をしていたときです。日本の測量会社が中東地域の地図作りを受注して現地にプロジェクトチームを送り込むことになり、通訳が必要だということで友人に誘われたんです。当時(1970年代半ば)、アラブ諸国がオイルダラーを自国開発のために使い出した時期で、開発には地図が不可欠でした。

日本から測量技師や通訳が10人ほど、現地で雇ったドライバーやコックを含めて総勢20人くらいのチームでした。航空写真をもとに現地調査をしながら、沢や丘の地名を記録し、首都リヤドにある石油省測量局に持って行く。その地名が承認されたら、書家たちが地図に書き込んでいくのですが、その文字がとにかくきれい。日本人の私がみても引き込まれるような形をしていて、こんなに美しい文字があるのかと心に残りました。同行していた監督官も書家だったので、『教えてください』と頼み込んだら、アルファベットのお手本と葦(あし)で作った筆をくれた。夜、ランプの光で模写して翌朝持っていくと添削してくれる。すごく難しくて歯が立たないが、やればやるほど面白くなって。自分で本を買ったりと、どんどんのめり込んでいきました」

——アラビア文字のどこに魅力を感じましたか?

「すべての文字の形が自然で、バランスが取れている。文字自体のプロポーションがすごく美しい。アラビア書道には音楽的なリズム感があって、本当に音楽が聞こえてくるような気がしませんか。意味が分からなくても、何かを感じるんです。

日本の書道は書家によって文字の形が違い、書家の個性が発揮されます。しかし、アラビア書道には主なものとして8つの書体があり、文字の形はすべて厳格なルールで決められています。もともとアラビア文字は『コーラン』を表すために発達してきました。神の言葉を美しく書くために、1本の線に磨きをかけながら1000年以上の時間をかけて作り上げてきたんです。調べて見ると、文字のいろいろな部分の比率が黄金分割になっている。ピカソはアラビア書道について『すでに芸術の最終目標に達し始めている』と言っています。西洋美術が追い求めてきた完全な美しさを体現している。黄金比率といった理論に裏付けられ、線そのものが美学的に完成されているんですね」

アラビア書道で使われる紙は筆がすべるように表面がツルツル。

文字の配置などを記したデザインの下書き。一つの作品の制作に数カ月かかることもある。

本田氏の筆。書家がそれぞれ工夫しながら、竹や葦を削って作る。

作品を製作する本田氏。複数の筆を用いて大小さまざまな文字を書いていく。

 

1000年かけて完成した文字を伝承する

——一つの書体をマスターするのにどのくらいかかりますか?

「『20年はかかる』と言われたことがあります。1988年、イラクのバグダッドで、世界から188人の書道家や書道研究家たちが集まって開催されたアラビア書道フェスティバルに招待参加したときのことです。中東地域にいた4年間はもちろん、日本に戻ってからも独学でアラビア書道を続け、企業や大使館から仕事を受けるようになり、アラビア書道家として認められ始めた頃です。日本人としては器用な方ですから、完全に書けていると思っていたんですが、そこで出会った一流の書家から、『書法を守らずに書いているので全然ダメだ』と酷評されました。

チェレビー氏による添削。文字の内部に書かれた点の数で曲線の形が決まってくる。

それで、ハッサン・チェレビーというトルコ人の書家を紹介してもらい、国際郵便での通信添削をお願いしました。最初の頃はすべての文字が真っ赤になるくらいに直されました。『おめでとう』とようやく書いてもらったのが10年後の1998年。師匠からアラビア書道の免許をもらえたのが2000年です。

1000年をかけて完成された線ですから、書くために高い技術が要求される。そしてその技術は師匠から弟子へと受け継がれる。本物の書家が書いたアラビア文字はすべて同じ美しさを持っている。人種や国籍も関係ないんです。世界でも稀有(けう)な文字芸術だと思います。人類の営みの中でこれに似た芸術は音楽。一つひとつの音は同じでも、組み合わせ方や音の奏で方で人を感動させる。アラビア書道も同じです。文字を組み合わせることでリズムが生まれ、音のない音楽が流れ出すんです」

刻々と変化する自然の美しさが世界観を変えてくれた

——本田さんがアラビア書道で表現しようとしていることは何ですか?

「大学時代、アラビア語に関しては教科書も辞書も日本語のものはなく、教育体制も整っていなかった。同級生15名のうち、アラビア語を身につけた友人は一人もいなかったんじゃないかな」。卒業後、再度挑戦。以来、気になったアラビア語の文章や熟語、単語はすべて書きとめてきた。現在でも続けて、そのノートは8冊に及んでいる。

「実は大学を卒業して4年ほど就職もせずに引きこもっていた時期がありました。自分が何をすべきなのか、分からなかったんです。だから毎日、ソクラテスやゲーテといった古典や名著を読みあさったり、バッハの音楽やセザンヌとかの絵画を鑑賞したり。自分の行く末は見えてきませんでしたが、自分の中で感性が目覚めていくのは感じていました。場末の劇場に行った時、踊っている女性の体や動きの美しさに感動して涙が止まらなくなってしまったことがありました。ギリシャ時代の彫刻家もこんな風に女性の美しさに感動していたのではと実感できたんです。

“自分がなぜ生まれてきて、どこに行こうとしているのか”。私にとって根源的な問いに対する答えを見つけたい。そして、その答えを自分にしかできないカタチで表現したい。しかし、20代半ばの何ら経験を持たない自分には何も生み出すことができませんでした。そんなとき、中東地域でイスラム文化、日本では考えられない自然、そしてアラビア書道に出会ったんです。

日本でイスラムはどうしても教義だけで捉えられてしまいます。1日5回お祈りするとか、ラマダンの時はご飯を食べてはいけないとか。でも、アラビア語で『コーラン』を読むと、私たち日本人にも理解できるような表現で、深い意味を持った言葉がたくさん書かれています。例えば、『すべてのものは滅びゆく。神様の顔を除いては』という言葉があります。現象だけ見れば私たちはいつか消えていく。でも私たちを創造した神は永遠の存在であり、神によって創造された私たち生きとし生けるものは現象を超えて永遠ではないか。そうした本質的な原理を表現した『コーラン』の言葉に触発されました。

それに、中東地域の自然は日本とは全然違う。砂漠は色彩が実に豊かなんですよ。太陽の光によって刻々と色が変わってくる。夜明けが近づくと、銀色の輝きが少しずつ広がり始め、やがて一面が青くなり、深い海にいるような光景になるんです。太陽が顔を出すと黄金色に変わるが、一瞬ですぐに見渡す限り真っ白になる。光が強すぎて、凹凸さえ分からない。太陽が落ちて来ると、また色彩が出てきて、燃えるような赤に染まり、何分かすると濃い闇が訪れる。360度すべてが地平線、満天の空が星で埋め尽くされていきます。音はまったくしない。耳が痛くなるくらいの沈黙なんです。そんな世界にいると五感がどんどん鋭くなっていく。

本田氏の作品「青の砂漠」。

本田氏の作品「赤の砂漠」。

砂漠の雷を想像できますか? 日本では怖いイメージですけど、『コーラン』においては人々に生をもたらす、喜ぶべき兆し。私も何回か見ましたが、砂漠の雷ってすごいんですよ。地面と上からピューッバチッて光の筋がはじけ合う。そして恵みとしての雨が落ちてくる。神の存在を感じる瞬間なんです。

中東での生活で私の世界観は大きく変わりました。それを表現しなくてはという使命感さえ感じました。今も私を突き動かす原動力になっています。20代の頃とは違い、アラビア書道という媒体を与えられた今、次から次へとアイディアが湧いてくるんです。その都度ノートに書いておきます。もうノート8冊ほどたまってしまいました。死ぬまでに書ききれないでしょうね」

——本田さんの作品はアラビア書道に革命を起こしたとも言われています。違いはどこにありますか?

本田氏の作品「青の方舟」。

「アラビア書道は書家が書いた文字の周囲に装飾をほどこすんですが、私はそこに疑問を感じました。中東の人はスペースが空いていると唐草とかマーブルの文様とかで埋めてしまう。日本人は空間を生かしながら、できるだけ省いて最低限必要なものだけを残す。私も装飾を辞めて、線だけで勝負しようと思いました。実際にやってみたら形がスッキリして文字そのものがイキイキし始めたんです。

ドーナツ状に文字を配置した作品。青雲が渦を巻いているようにも見える。

アラビア書道の8つの書体にはそれぞれ持ち味があります。男性的な力強い書体もあれば、女性のように優雅な書体もある。いくつかの書体を組み合わせて、色や大きさを変えながらデザインしていくと、新しい表現が可能になりました。

文字に関しては徹底的に線の美しさを追求しながら100%ルールを守っている。今後も絶対に崩さないという信念で書いています。書家たちはそんな私の姿勢を理解し、私の作品を否定しない。そして私の世界観を評価してくれる。ありがたいことですね」

日本人にはアラビア書道を理解できる感性がある

——日本でアラビア書道を始める人も多いそうですね。

日本アラビア書道協会が主催したアラビア書道作品展『砂漠の薔薇展2012』の様子。幅広い年齢層の人が参加している。

「漢字やかなを持ち、書道という文化に親しんできた日本人はアラビア文字の美しさを理解できる審美眼を持っています。アラビア語も分からないのに、これだけの人がアラビア書道に取り組んでいる国はありません。アラビア書道をきっかけに、イスラム世界に興味を持ったり、彼らのメンタリティを想像したりする。ある意味、日本と中東地域の架け橋的存在になっているんです」

取材協力=日本アラビア書道協会
撮影=コデラケイ

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