束縛を乗り越えて、未来へ導く女性たち——ノーベル平和賞受賞者タワックル・カルマンさん
世界でブレークスルーする女性たち
[2014.09.18] 他の言語で読む : ENGLISH | FRANÇAIS | العربية | Русский |

イエメンの春では、サーレハ大統領退陣と民主化を求める青年革命運動の先頭に立ったタワックル・カルマンさん。別名「革命の母」「鉄の女」と呼ばれる彼女の、女性の権利を求める非暴力闘争が評価され、2011年にアラブ人女性初、史上最年少でノーベル平和賞を受賞した。今回、WAW! Tokyo 2014会議に出席するため外務省の招聘で初来日した機会に、インタビューに応じた。

タワックル・カルマン

タワックル・カルマンTawakkol KARMAN1979年イエメン共和国タイズ生まれ。ジャーナリスト、人権活動家、政治家、平和的革命家。 1999年サヌア科学技術大学商学部卒業。政治学修士。2005年に「束縛なき女性ジャーナリスト(Women Journalists Without Chains)」を設立し、以来代表を務める。2007年より、報道の自由や人権を求める平和デモや座り込み抗議行動を組織。2011年1月、チュニジアに端を発した「アラブの春」に呼応し、青年革命運動の先頭に立った。2011年10月、アラブ人女性として初、史上最年少でノーベル平和賞を受賞。受賞理由は「女性の安全と平和構築活動に全面参加する女性の権利を求めて、非暴力闘争を行った」。既婚、4児の母。

——ジャーナリスト、人権活動家であり、同時に妻であり4児の母ですが、仕事と家庭をどのように両立させていますか。

私は、家庭とは男女間の真のパートナーシップの形態の一種であると信じています。それは、社会が男女の協力によって成り立っているのとまったく同様です。私だけでなく、夫や家族も、家庭や社会における“男女間協力”の重要性を信じています。

幸せなことに、家族はとても協力的で、仕事を遂行する上で大きな助けとなってくれます。家族が私の仕事や活動に反対することはありません。特に夫と両親はとても協力的で、私が家を空けるときには代わりに母親役を務めてくれます。祖国に対しての責任を信じ、私に何かを強要するようなこともなく、私が行う仕事をできる限り応援し、支援することの重要性を理解してくれるのです。

4足のわらじ

——大学では経営、政治学を専攻されましたが、ジャーナリストを志したのはなぜですか。

私は高校生の頃からジャーナリスト活動を行ってきました。記事や小説を書き、大学新聞やインターネットの報道サイトにも執筆していました。私にとって報道は子供の頃から取り組んできた趣味であり、知識欲を高めてくれるものでした。私はイエメンで、インターネットを通じて報道の仕事を始めた最初の記者です。

ジャーナリズムは、政治学、経営学、医学、その他のどんな分野とも対立するものではなく、むしろ補完するものです。他の多くのシニア・ジャーナリストもジャーナリズム自体を勉強したことはありません。私自身も実践を通じてジャーナリズムを学びました。

報道の仕事の中では、論説執筆に一番多く携わってきました。仕事を通じて、経済、政治などの分野で様々な役割を果たすことができ、自由の権利、汚職対策、民主化プロセスのための活動を行っています。

私の現在の仕事は、ジャーナリストであり、同時に人権活動家、政治家、平和的革命家であると言えるでしょう。 

 

「束縛なき」人権を求めて

——「束縛なき女性ジャーナリスト」(Women Journalists without Chains)を設立されました。この「Chains」は具体的に何を指しているのでしょうか。

文字通り「束縛」がない状態を目指すという意味です。この組織の設立は、人権分野における干渉、特に表現の自由の分野での干渉が激しい、ジャーナリストに敵対的な環境のただ中でした。当時、(イエメンの)ジャーナリストは(当局による)起訴、拘束、暴行などに苦しんでおり、ジャーナリスト専門の裁判所が設立され、新聞社の閉鎖、新聞没収が行われていました。

また、視聴覚媒体についても公営放送のみで、公的機関だけがテレビとラジオの所有を許されている状況でした。つまり、ジャーナリストを取り巻く環境は、人権状況のひどさに加え、非常に阻害され、自由の権利が侵害されている状態だったのです。

では、どうしたら、これらの束縛を打ち壊すことができるのか。まず、「報道の神聖さと重要さ」、「表現の自由の神聖さ」を取り巻く束縛から人権を守るための組織を設立しました。ここで言う表現の自由とは、文字媒体、視覚媒体、聴覚媒体を通じた表現と、座り込みの抗議行動、デモや平和的集会などの活動を通じた表現を指します。

——相当な圧力がかかったのではないですか。

最初に設立した団体は「国境なき女性ジャーナリスト」といいましたが、2005年、アリー・アブドッラー・サーレハ大統領(当時)政権に認可を取り消された初めての団体となりました。その経験を踏まえ、「束縛なき女性ジャーナリスト」と名を変えて新たな組織を設立し、国内の座り込み抗議行動や国内外の圧力によって、サーレハ大統領に新組織を承認させることができました。私たちは、イエメン憲法に基き、何ら許可を必要とすることも条件を附されることもなく市民社会組織を結成する自由が守られていると信じています。しかし、当時の憲法下では禁止されていました。

「束縛なき」という名は、これら表現の自由、人権、女性を取り巻く束縛と枷(かせ)を打ち壊す目的でつけたものです。私たちは女性ジャーナリストとして、デモ行進を率いる重要な役割を果たしました。男性を排除する意図はなく、男性もともに参加しますが、女性がデモを率いるのです。実際、「束縛なき女性ジャーナリスト」は自由権、表現の自由の保護において非常に重要な役割を果たしました。

ノーベル平和賞受賞で得たもの

——2011年に、イエメン人またアラブ人女性として初のノーベル平和賞を史上最年少で受賞されました。受賞後、生活や活動はどのように変化しましたか。

個人的には、受賞によって、討論する真の力を得ました。この新たな力のおかげで、私の声は受賞前より広く、国際的にも届くようになりました。これは、私が信じ議論で取り上げている平和問題、平和的革命、人権擁護、自由の権利、特に中東・アラブ地域、イエメンで不当な扱いを受けている人々の支援問題などをより強固にしてくれるものです。

国際社会から、イエメン革命に対する高い評価や、若者や女性に対する尊敬を得ることもできました。イエメンには7000万丁の小火器があるといわれていますが、民衆は小火器を手に取ることなくサーレハ政権が行使した暴力に立ち向かったことを、世界は“平和的革命”であると認めたのです。加えて、女性や若者がアラブの春やイエメン革命で果たした指導的な役割が評価されました。これらの評価は、世界が大衆、虐げられた者、若者などの意見に耳を傾ける必要があると考え始めた証拠であるという点でとても重要です。なぜならば、彼らこそが現在の不正を拒否し、未来を築くからであり、世界の利益は独裁政治ではなく、彼らとともにあるからです。

「女性の権利」は全世界で抑圧されている

——アラブの女性と、欧米や日本の女性は、それぞれの社会で様々な立場に置かれています。どのように見ておられますか。

世界中のどこにも、女性にその正当な権利を与えているところはないと考えます。全世界の政治意思決定レベルにおいて、女性の大統領、外相、防衛相、経済相、国会議員の数の平均はどのくらいでしょうか。ごく少数の国々は、女性の支援に一定程度成功していると言えるでしょうが、概して女性は全世界で実際に抑圧されています。特に中東、アラブ諸国、保守的な諸国では、女性はより虐げられていると考えます。

2年前、ミュンヘンで開催された防衛大臣会議に出席しましたが、女性はヒラリー・クリントン米国務長官(当時)と私の2人だけでした。そこで「なぜ世界に戦争と紛争が絶えないのか、今分かりました」と発言しました。平和をもたらす女性が、防衛大臣や、政治意思決定者にいないからです。

全世界で女性は抑圧されていますが、国々によってその状況は異なるのです。

アラブ諸国では、今、この抑圧状態を打破しようとする方向性が見られます。その一番重要な点は、自由権や権力を「求める」のではなく、自らで「勝ち取る」ということです。

アラブの春で、女性が革命の先頭に立ったとき、誰の許可も得ませんでした。男性たちがその後に続いたとき、女性は自ら政治意思決定し、旧政権を退け、祖国を抑圧状態と独裁から守ることができると証明したのです。なぜなら、女性は未来へと導くからです。実際、女性自身が信念を持ち、社会が女性を認め、革命の指導者として受け入れました。革命は、アラブ女性が政治参加し、指導者としての能力があることを証明した重要な契機となったのです。

現在の過渡期にあって、課題は国ごとに異なりますが、改善傾向にあります。女性議員や政府の要職につく女性の割合も増えてきましたが、これが私たちの望みでしょうか。いいえ、私たちが望むのは、革命に参加した女性の割合に見合う政治参加です。そして、これらの権利が憲法、法律に明記されることが望みなのです。

女性指導者の漸増と活躍に期待

——イエメンにはカルマンさんのような女性リーダーはどの位いらっしゃるのでしょうか。

イエメンの将来を定めた重要な国民対話会議(注:2013年3月18日~2014年1月25日)では、経済、国家建設、汚職対策、開発などのテーマについて9つの分科会に分かれて議論しました。各分科会にはメンバー数の30%を下らない女性が参加しました。また、現在開かれている新憲法起草委員会の30%は女性です。女性閣僚は4人と、以前よりも増えていますが、更なる前進、特に外交官や州知事としての女性の活躍を期待しています。真の前進は、これらの権利が憲法や法制度に明記されることです。

——イエメンと他のアラブ諸国との間で女性指導者間の連携はありますか。

一般に、各国の差はありますが市民社会の力は強く、連絡を取っています。「アラブの春」以前にはより強い連携関係にありました。しかし、各国が革命の成果の第一歩としての独裁政権打倒へと進むにつれて、残念ながら市民社会は真の革命勢力と反革命勢力に分かれ、各国間の連携も崩れていきました。

「アラブの春」が起きた諸国では、反革命の人々が「アラブの春」の成果や、自由、大義、民主主義、平和主義、法の下の平等などの価値観一掃を目指しています。市民社会は革命側と反革命側に分裂し、それが弱体化につながっていますが、革命側が完全な勝利を得た暁には、再び市民社会が力を取り戻すことを願っています。

——アラブ・イスラム諸国にとっての「女性の権利」と欧米が考える「女性の権利」に相違はありますか。

女性の権利とはすなわち「人権」であると考えます。女性は、政治的、社会的、経済的に完全な公民権を持つ人間であり、男性と何ら遜色なく、相違のない存在です。男女の公民権は平等であり、男女はいずれも他方に対して秀でているわけではありません。私が考える「女性の権利」の定義は人権と異なるものではありません。

しかし、女性が困難に直面している諸国では、特別な定義を設ける必要があります。選挙、立候補、(指名による)任命などの政治的権利、自由に仕事をする権利、相続権などの経済的権利、親や人権活動家になるという社会的権利、教育や保健などの社会的サービスを受ける権利、意に沿わない結婚や、幼児婚を強いられることのない権利などを、男性は享受しています。男女は平等な市民であり、女性もこれらの権利を享受するべきです。男女が共に、平等な社会、家庭を築くべきだと考えます。

イエメンの理想モデル「日本」と開発支援

——初の訪日に際し、日本にどのようなイメージをお持ちでしたか。訪問では何を期待していらっしゃいますか。

初の日本訪問をとても光栄かつ幸せに思います。イエメンは現在、様々な困難に直面しており、通常、私の外国訪問は2、3日と短い滞在なのですが、日本は初めて一週間ゆっくり滞在する国です。

私にとって、日本は平和、優秀、親愛と文明の精神の表れです。日本は、イエメンにとって、また私自身にとって、非常に大きな意味を持っています。

戦争、貧困、自然災害を乗り越え、未来に向かって強くしかも平和的な国になることができた日本は、非常に多くを教示してくれました。経済面、治安面、特に平和という観点で真似るべき成功モデルとしてイエメン人が挙げるのは、アメリカでもヨーロッパでもなく、日本なのです。

イエメンと日本が共に、両国の幸福と人道主義のために協力することを願っております。

——イエメンでの教育の平等についてはいかがですか。

表現の自由は民主国家の柱であり、教育は我々が必要としている強い民主国家を作る重要な柱です。

平和的革命の成果は、恐怖を打ち破り、女性や若者が先頭に立ち、憲法制定に関わっているということです。しかし、教育を受けた一部の国民だけがその成果を享受するだけではいけないのです。イエメンの非識字率は女性が60%、男性が50%に及びます。この非識字者が教育を受け、次世代が祖国や世界にその能力を示すことができるようにしたいのです。

今日の訪日が日イエメン関係の分岐点となり、教育、保健など様々な分野、特に地方の学校建設などに対しての更なる支援を得られたらと願っております。イエメンから多くの若者や女性を奨学生として特に日本へ派遣したいと希望しております。日本はイエメンの開発において大きな影響力を持っていますが、ぜひ、JICAサヌア事務所が再開し、山積する問題を解決する一助となる教育分野の支援を進めてくれたらと願ってやみません。

——最後に日本に対してメッセージをお願いいたします。

私はここに、イエメンと日本の共通の未来と、人道主義のためにともに努力しようと、兄弟姉妹に手を差し伸べに参りました。文化、肌の色、宗教、性別、人種に関わらず、共に愛情、平和と他者に対する尊敬の念に満ちた社会と世界を築いて参りましょう。

(インタビューは2014年9月12日、nippon.com代表理事・原野城治により行われた。バナー写真=タワックル・カルマン氏/撮影:コデラケイ)

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